小噺 其の六 底なし沼にご用心

 自分の人生が順風満帆じゅんぷうまんぱんかと聞かれたら、そうですねとすぐに答えられるほど、残念ながら良い目にはあってはいない。

 ただ、今こうやって国の中心である王城の、王族の住まう宮殿の部屋付きの侍女をしているのだから不幸と言うほど不幸ではないと思う。

 地方の成り上がり小貴族だった父が病に倒れ、後を追うように母も亡くなった。一代限りの小貴族にはなんの後ろ盾もなく、あっという間に周りから人がいなくなって、一人娘のリズは一人ぼっちになってしまった。

 何代も続く貴族であれば、そんなことにはならなかっただろう。が、たまたま手柄を立てて小さな領地を頂いただけの地方貴族にはままある話だ。


 リズがそのまま野垂れ死にしなかったのは、ある意味幸運な事に、唯一父と懇意こんいにしてくれていた伯爵が城の侍女にとリズを推薦してくれたからだった。

 父の生前、慣れない貴族暮らしの中で、父母は一人娘のリズだけにはしょせん田舎の成り上がり貴族の娘よと言われ恥ずかしい思いをさせまいと、礼儀作法等はしっかりと叩き込まれていたのが功を奏した。伯爵の推薦もあり、王宮の侍女になることが出来たのだった。



 王宮に上がり、見習いとして先輩の後ろについて仕事を覚え、ここを追い出されてはもう行くところのないリズはそれは必死に仕事を覚えた。

 なにせ王族相手の仕事である。なにか失態を犯せば自分の首が飛ぶし、紹介してくれた伯爵にも面目が立たない。

 他の侍女や女官に意地悪な事をされたらどうしようなどと城に上がった頃はビクビクしていたのだが、国王や王妃様の人柄のせいか王宮に仕える侍女や女官達は厳しくも理不尽な人は誰もいなかった。


 そしていよいよリズが本格的に仕える事になったのは、貴賓室に住まう事になった少数民族の姫。

 故郷を滅ぼされ、たった一人生き残った若干十四の女の子。

 創世記に出てくる女魔法使いの末裔であるらしいが、自分も天涯孤独になった身だったので、その境遇に共感し、さぞ落ち込んでいるだろうと思ったのだが……


 リズの予想に反し、やってきた暁色の瞳の少女はそんな境遇を感じさせないくらい明るく屈託のない少女だった。

 王妃様や王子殿下を庇って大怪我をしたり、記憶を失ってしまったりと大変な目に合っているが、未だにその明るさは失われていない。

 辺境地の少数民族の姫というせいか、飾った所がなく、リズの事を姉のように慕ってくれた。


 リズはあっという間にこの少女が好きになっていた。



 この部屋の主、イルが城の暮らしにすっかりなじんだ頃、今まで浮いた話など一切なかった赤毛の侯爵ガヴィ・レイが、イルを伴ってノールフォール領を治める事になった。レイ侯爵は何処吹く風の体であったが、城内はそれはそれは二人の話で持ちきりになった。

 二人の仲睦まじさは城の人間ならば周知の事実であったが、それは『仲の良い兄妹』の関係に映っていたので、まさか恋仲に発展するなどとは皆思わなかったのである。

 ただ、リズは驚きはしたが、やはりなという気もしていた。

(イル様が怪我をされた時も、記憶を無くされた時も……侯爵様は誰よりも心配されておいででしたもの)

 ちょっと言葉に荒い所はあるものの、レイ侯爵は別に乱暴者と言うわけではない。

現に以前、リズが手に盆を持ってイルの部屋のドアを開けようとした際、たまたま居合わせたレイ侯爵が扉を開けて先に通してくれた。

 本来ならばレイ侯爵の方が目上なのだから、先に通すのが当然なのだが、そんな事は関係ないとでも言うように自然とリズを先に通したのだった。

 それに何だかんだと理由をつけながら、今までは余り積極的に寄り付かなかった宮殿にも侯爵は足繁く通っている。

軽口を叩きながらイルを見つめるその目元が、以前より柔らかく細められている事にも気づいていた。



 だから今日も、レイ侯爵がこの部屋を訪ねて来たことは、リズにとっては日常の一欠片だったのである。


「アイツいるか?」

 どこか少しそわそわとした様子で赤毛の侯爵が訊ねる。

いつもとは少し違う様子に内心首を傾げながらリズは職務を全うした。

「大変申し訳ございません。イル様は今王子殿下の離宮に外出なさっております」

 リズの返答にレイ侯爵はちょっと困った顔をした。

「……王子んとこか。……あー」

 長くて骨ばった武人の手を己の口に当てながら悩む様子を見せた途端、廊下の奥の方から賑やかな王家専属魔法使いマーガの声が聞こえてきた。

 レイ侯爵は面白いくらいにビクリと肩を震わせると、断りもなく目の前のイルの部屋にリズを引きずり込んだ。

「……」

「……」

 しばらくして扉の前を通り過ぎたのは、やはり魔法使いマーガとアヴェローグ公爵で、話し声が遠ざかるとレイ侯爵は長い息を吐いた。

「あ、……あの……」

 半ば扉に押し付けるようにしていたため、未だリズの腕を掴んだままな事に気づきレイ侯爵はパッとその手を離した。

「わ、悪い。さっきまであいつらに捕まっててよ。また見つかるとややこしい事になると思って」

 以前からこの侯爵が何度かマーガからイルの部屋に逃げてきたことがあったので、リズはコクコクと頷く。

 自らの非礼を詫びて足早に部屋から去ろうとドアノブに手をかけた瞬間、先ほどより一層元気な声が廊下に響いた。

「あれ? こんにちは! ゼファー様、セルヴォさん!」

 どうやらこの部屋の主であるイルが戻ってきたらしい。しかも間の悪いことにせっかく扉の前を通り過ぎた二人を悪気なく呼び止めた。

廊下でしばし談笑すると明るく「お茶でもいかがですか?」とイルの誘う声がする。

 レイ侯爵の肩がギクリと跳ねた。侯爵は瞬時に外庭の方にきびすを返すと庭に飛び出し、程なくして部屋の扉がガチャリと開く。

「お、お帰りなさいませイル様」

 しかし、そこに立っていたのはイル一人であった。

「ただいま〜リズ! ゼファー様とセルヴォさんをお茶に誘ったんだけど、これからお仕事なんだって〜」

残念〜とソファに座る。リズはチラリと庭を見た。貴賓室の庭は背の高い垣根で部屋ごとに区切られている。よって、レイ侯爵には逃げ道がない。

「? どうしたの?」

 キョトンとイルに問われてリズは慌てて「お茶を淹れますね」と準備を始めた。



 さて、庭の赤毛の侯爵様をどうやって部屋の外に導こうか、いや、正直に出てきてもらった方が良いのではないか? リズがイルにお茶を淹れながら考えあぐねていると、渦中の侯爵の名をイルが口にした。

「ガヴィもどこに行っちゃったんだろ。王子のトコの帰りに執務室に寄ったら不在だったんだよね〜」

 先日出張先でレイ侯爵が買ってきてくれた土産を口にしながら言う。見た目は淡い色の宝石のように見えるのに、表面は薄氷のようで口に入れるとホロリと溶ける珍しい砂糖菓子だ。

両の手のひらに乗るような小ぶりな瓶に淡い緑や青、桃色の砂糖菓子が入っており見た目も可愛らしい。

 以前から密かに思っていたが、赤毛の侯爵様は精悍せいかんで男らしい見た目に反して意外にもお土産や贈り物の趣味が良い。と言うか、ちゃんと婦女子に受けが良さそうなものを選んでくるのだ。

(センスがいいと言うか……割りと少女趣味でいらっしゃいますよね)

 レイ侯爵が土産をイルに渡した時、イルはそんな物を今まで見たこともなかったのか、それはそれは喜んでいたのを思い出した。イルは宝石のような贈り物が食べ物だと知ってより驚き、勿体なくて瓶に入れたまま一週間は眺めて過ごした。日持ちする菓子とはいえ、食えなくなるから早く食べろと侯爵に促されても中々口に出来ず、無くなったらまた買ってきてやるからの一言で渋々それを口にした。

 口にしたらしたでその美味しさにまた感動して飛び跳ねて喜んだ少女に苦笑していた侯爵の姿はつい最近の事だ。

 愛の言葉をささやくレイ侯爵の姿は、失礼ながらちょっとリズには想像できないが、この土産しかり、普段のちょっとした行動しかり、イルを大切に思っている事は伝わってくる。

 ただ、最近はそうでもないが、この少女に対するレイ侯爵の態度は割りと雑だし容赦がなかったのも事実。しかも直ぐ側には容姿端麗で家柄も性格も良い銀の髪の公爵様が控えていて、尚且つ公爵様はイルの事を傍目から見ても可愛がっている。イルはレイ侯爵のどの辺りに惹かれたのだろうか。

 リズは庭に侯爵がいる事を一瞬忘れてイルに問うた。

「……イル様はレイ侯爵様のどの辺りに惹かれたのですか?」

 庭の垣根がガサリと揺れる。リズの唐突な問いに、イルは目をパチパチとさせた。リズは侯爵の存在を思い出しハッとしたが、イルはそんなリズの変化には気が付かず素直に考え込み、ううーん、と唸った。


「……どこだろう……。

 笑うとね、目がきゅうーって無くなっちゃって、元気が出るような笑顔は好きだよ」

誰かを好きになるとさ、どこだって良く見えてきちゃわない? だから難しいよね! と、どこまでもまっすぐな少女は屈託なく笑う。


 イルの言葉にはリズにも覚えがあるから共感しかない。イルは他にも思う所があったのか、しばらく考えて「あのね……」と言葉を続けた。

「ガヴィはさ、なんでもできちゃう人なの。

 ……口は悪いし、私もすぐにカッとなってケンカしちゃうんだけどね。でもね、本当は周りの人が傷つかない様に誰よりも気にしてるし、皆が傷つくぐらいなら自分が傷つく方がいいと思ってる人なの」

 イルの口から、思ってもいなかったレイ侯爵の横顔が語られてリズは驚いた。イルは続ける。

「私も大好きな人達の助けになりたいって思ってるよ。

 でも、私、実際は人を助けられるくらいの力なんてないから何も出来なくて……。

 でも、ガヴィにはそれができる。

 ……それが出来るからガヴィは誰よりも前に立って一人で行っちゃうの。出来ることが多い人は一人で色んな事を抱えちゃうの」

 リズには言うけどナイショだよ? と笑う。


「……私、ガヴィからみればまだまだお子様でさ。

 ガヴィを助けたくても何の助けにもならなくて、いつも助けられてばかりで。

 だから……だからね、せめて自分の事は自分で出来るようになりたいの。自分の身は自分で守って、ちゃんと自分で生きていけるようになりたい。ガヴィが傷ついたらちゃんと手当てができるように、お帰りなさいって言えるように。ガヴィが出掛ける時に不安なく私を置いていく事が出来るようなちゃんとした人になりたい」


 本当は、どこまでも一緒に行きたいけれど、まだまだ足手まといだから。

 でも、ちゃんとした大人になれたらどこまでも付いて行くんだ!



 そう言って金の瞳を細める少女は、もうとっくに子どもではない。

少女時代に誰しも経験するような、砂糖菓子のような甘い恋でなく、相手を尊重し、思いやり、幸せを願っている。

 この少女はまだ自分より歳下で、いつもはまだまだあどけない顔をしているのに、時折こうやって急に大人びた事を言う。

 それはきっと、彼女の身に起きた悲しい出来事が原因なのだろうけれど。

ともすれば子どものままごとだと思われかねない赤毛の侯爵への想いが、想像以上に深いものであった事にリズは胸がいっぱいになった。


 イルの話を聞いて押し黙ってしまったリズに気がついてハッとすると、イルは一気に顔を赤面させて手をブンブンと自分の前で振った。

「な、なーんてね! なんか格好つけちゃった! 忘れてっ!

 ……ガ、ガヴィには今の話……本当に内緒だからね?!」

 絶対だよー! と叫ぶと勢いよく立ち上がり、そそくさと部屋を出ていくイルを見送る。

 自室はここであると言うのにどこへ行く気だろう。


 外からは明るい日差しと小鳥のさえずり。


「……内緒、だそうですよ?」

 リズは一人呟いた。


 あまりにいらえがないので心配になり、もしや垣根を超えてとっくに姿を消したのかと外庭を覗きに行けば、体に木の葉をつけたままの赤毛の侯爵が足早にリズの隣を通り抜けた。

「邪魔したな」

 そう言って片手を上げた侯爵の声はいつも通りであったけれど、彼のハイネックから見える首と耳は彼の髪の毛に負けず劣らず真っ赤に染まっていたのだった。




「……」

 誰もいなくなったテーブルのカップを片付ける。

剣を持たせたら国では右に出るものはいないと言われている赤毛の侯爵様。今ごろきっと奥歯からジワジワと広がるような甘いうずきにさいなまれていることだろう。あの侯爵にこんな思いをさせるのは、この広いアルカーナでこの部屋の我が主だけに違いない。

「……底なし沼ですわね」

 リズは一人呟いた。

 困っている人は助けるのが正しい人の道である。が、この沼にはまってしまったレイ侯爵を助けようとは思わないし、助けに入れば共に落ちるのは目に見えている。既に自分も片足を突っ込んでいる気がしないでもないが、助けられなくてごめんなさい、と赤毛の侯爵に心の中で謝罪しつつ、王宮侍女になれる立場に産んでくれた父母に深く感謝して職務に戻ったのだった。


2023.12.1 了

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❖あとがき❖


 本編3のあとのお話。

 お城のイルのお部屋の侍女視点(イルが泣き腫らした後にハーブオイルを持ってきてくれたあのコです)

 イルは本当に特殊能力はないんだけど、人の本質や良いところを見つけられる事が一番の長所かなと思います。人を素直に褒めることも出来るので、本心を隠したり、あまり褒められる事の少なかった人を沼らせる傾向有り。

 赤毛の侯爵さんは実は母を子ども時代に亡くしていたり、意外に苦労しているので我慢する事や飲み込む事が当たり前になっている為、割りとチョロい(笑)自覚したら完全にドボンしてます。自分を認めてくれる人の存在ってデカいですよね。


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