蝉が鳴く夏休み

鷹野ツミ

 バンドやってモテたい!と、おれが軽音楽部に入った理由は単純だった。

 残念なことに、黄色い声援が聞こえてくる気配はない。


 そんな中だが、今日も文化祭に向けて曲を仕上げる為、汗をかきながらもギターを背負って登校している。


 蝉の声しか聞こえない廊下を歩いていると、チープなベースの音が聞こえてきた。あずまが先に練習を始めているようだ。ガラガラとドアを開ければ教室には東しか居なくて、見慣れた場所なのに知らない場所のようだと思った。夏休み中だから人が居ないのは当たり前か。

「お、北川きたがわ!」

 東がおれに気付いて演奏を止めた。振り向きざまに金髪が光り、待ってましたと言わんばかりの笑顔を向けてきた。

「おはよ、東しか来てないの?」

「他のメンバーはバイトだって、連絡見ろよな」

 スマートフォンをタップすると通知が何件か来ていた。

「ごめん見てなかったわ」と言いながらおれもアンプにギターを繋いだ。机の上に乗るサイズのアンプからは、やはりチープな音がした。


 ギターとベースだけだが、合わせると割と曲になって楽しかった。ひと通り弾き終われば自然と雑談の時間になる。お互いに楽器を抱えたまま適当な椅子に座った。

 このフレーズ弦抑えるのキツいんだよなとかこういうアレンジしたいとか話した時だ、

「北川、指細っそいよな。折れそうで怖えわ」

 東はそう言って指を絡ませてきた。流れるような動作で振り払う隙もない。東の瞳は情欲の熱を帯びていて、甘い空気を一気に創り出した。おれの反応を見てからかっているだけなのか本気なのか分からなくて固まってしてしまう。ジーっと鳴るアンプの機械音とジーっと鳴く蝉の声だけが教室に響いていた。

「あ、東……はなして……」

 とりあえず出したおれの声は、飛んいでる蚊の音に掻き消されるほどのボリュームだった。東のことを意識しているみたいで羞恥が込み上げた。

 東はふっと息を吐くように笑っておれの髪に触れ、頬から唇へと指が這っていった。硬い指先がベースを弾く人の指だなと思った。椅子から立ち上がった東の顔が近付く。目にかかる金髪がサラリと揺れた。


 不意にガラガラとドアが開き、ハッとした。振り向けば顧問の先生が棒付きアイスの箱を抱えていた。

「お前らちゃんと練習してんのかあ?ご褒美やらねえぞ」

 先生は眼鏡を指で持ち上げつつ言った。

南部なんぶ先生……まじで邪魔……」

 東は舌打ちをして前髪を掻き上げながらアイスを二本乱暴に取った。

「邪魔とは何だあ」

「いいから早くどっか行け」


 おれは東と南部先生のやり取りを聞きながら、ふーっと息を吐いた。

 キスされるのかと思った。東にならいいか、なんて少し思ってしまった。おれは女子との経験が無さすぎてどうかしてしまったのかもしれない。


 渡されたアイスをぼんやり齧っていると、東がおれの耳元で「また今度」なんて言ってくるからめちゃくちゃ噎せて死ぬかと思った。

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