昔ホームステイで家に来ていた金髪碧眼の女の子が俺の嫁になりに日本にカムバックしてきた件

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俺のことが大好きな金髪碧眼の嫁、爆誕。

 肌を突き刺すような強烈な寒さが和らぎ始めて、ぽかぽかとした暖かな春の訪れを感じる三月下旬。

 十六歳の男子高校生、綾坂あやさか圭太郎けいたろうは四駅離れた隣町の繁華街にて、途方に暮れていた。

 来たる四月に高校二年生となるこの圭太郎という男は、己から行動を起こすことが殆ど無い非活動的な人間である。

 勿論部活は帰宅部、趣味はネットと睡眠。休日はもっぱら部屋にこもって過ごす絵に描いたようなインドア人間、それが圭太郎だ。


 そんな圭太郎が何故繁華街などというその生き方とは対極線に位置する騒々しい場所に来ているのかと言えば、他者に強制されたからに他ならない。

 仰ぐように見上げた空から顔を落とし、大通りから逸れた裏路地の方へと圭太郎が視線を向けると、室外機の陰に体を隠しながらもそこから顔だけを出して、此方の様子を伺っている二人組と目が合う。

 片方はキリッとした理知的な見た目の眼鏡で、もう片方は線の細い華奢で小柄な糸目。

 残念ながらその怪しい二人組はただの不審者では無く圭太郎の数少ない友人だった。そして、この難解な状況を作り出している張本人達でもある。

 片割れの眼鏡が大きく口を開けたかと思えば、金魚のようにパクパクとダイナミックに、圭太郎に向かって何かを語りかけてきた。


『は・や・く・は・な・し・か・け・ろ』


 読唇術の心得など全く無い圭太郎をして、即座にそう言っているのだと理解が出来る程度には分かり易い口の動きだった。

 その後ろでは糸目が急かすように、圭太郎の横を通りすがる女性達を次々に指差しているのが見える。

 

 見ての通り現在圭太郎は、活動的な人間の中でも最上位層の者にしか行えないナンパと呼ばれる不貞行為を、友人達(絶交予定)によって強制されているところであった。


(無理に決まってるだろ……)

 

 かれこれ三十分以上、圭太郎は大通りのド真ん中で立ち尽くしている。

 見知らぬ異性に話しかける勇気なんてものを圭太郎が持ち合わせているわけがないので、それは仕方のないことだった。

 このまま一時間、二時間、しまいには一日中立ち尽くしていても何らおかしい話ではない。


(こんなことになるのなら、あんな見栄を張るべきじゃなかった)


 本当に勘弁してくれと、目頭を指で強く押さえたら、大きな溜息が自然と圭太郎の口から溢れ落ちた。

 別に成功するまでやり続けろと無茶を言われているわけでは無いので、適当に話しかけてあっさり断られるだけでも良いのだとは頭では分かってはいるが、体は別物のようで「すいません」という簡単な挨拶すらも上手く出てきてはくれない。

 呼吸とも声ともつかない雑音をひう、すう、と微かに声帯から絞り出しながら、道の真ん中で手を伸ばしたり引っ込めたりしている挙動不審な圭太郎はかなりの悪目立ちをしており、近くのカフェのテラス席で優雅なティータイムに勤しんでいる方々の話の種にされてしまっている。ヒソヒソと、それは良くない噂話だろう。

 当の本人は一杯一杯になっているお陰でそんなところにまでは気が向いておらず、そこだけは不幸中の幸いだった。


(どうして春休み中なのに、俺はこんな目に遭ってるんだ)


 二年への進級を控えた三月の下旬頃から始まる春休み。

 二週間の休日の続くこの期間は非活動的人間の圭太郎にとってはまさしく天国と呼べるものであり、堕落に満ちた至福の日々であるはずだった。

 だと言うのにどうして自分がこんな残忍極まりない刑罰を受けているのか、圭太郎はまた天を仰ぎ、今ここに至るまでの経緯を改めて振り返ることにする。

 決して、現実逃避が目的では無い。決して。

 


 休日は朝早くに起きる必要が無いので、圭太郎は毎日正午頃に活動を開始していた。顔を洗って歯を磨いて昼飯を食べて、その後は見もしないのにBGM代わりにテレビを流しながらゴロゴロとベッドの上でスマホを弄り続ける。そして夜になったら夕飯を食べて風呂に入って、眠気の限界まで動画などを見て寝落ちという形で就寝。まさしく典型的な駄目人間の生活スタイルそのもの。

 初日から前もってSNSの通知は全部切っておいたので、このベストライフを外的要因によって邪魔される可能性はゼロ。圭太郎は謎の無敵感に包まれながら怠惰な春休みを過ごしていた。

 

 そんなこんなで一週間が経過し、春休みの折り返し地点を迎えた今日。

 母親に荷物が昼前ぐらいに届くから宜しくね、なんてことを言われた圭太郎はいつもより少し早く起き、机の上に用意されていたおにぎりをモグモグと寝ぼけ眼で頬張っていれば、ピンポンと大きい音がリビングに鳴り響いた。

 寝起きで上手く働いていない圭太郎の頭は簡単にそれを宅配によるものだと信じ込んで、誰が来たのかを確認するためにあるモニターすらも見ずに玄関の扉を不用心に開けると、そこには見知った顔の二人が得意げな顔で立っていた。圭太郎の眠気が一瞬で覚める。


「すいません。宗教の勧誘とかはお断りしていますので」

 

 そう言いながら圭太郎が早々に扉を閉めようとすれば


「待て待て馬鹿」

「話ぐらい聞いてよ圭太郎」


 と、二人がかりで止められる。隙間には足まで挟まれて、閉じようとしても閉じられない。

 圭太郎は扉を閉じることを仕方なく諦め、目の前にいる二人を見据える。今回は良い言い訳があるので、その表情は自信に満ち溢れていた。


「何の用だかは知らないが、あいにく親に頼み事を任されてる。心苦しいが他を当たってくれ」

「安心しろ。荷物など届かない」


 クイッと眼鏡を押し上げながら、司波しば博史ひろふみがそう言い切る。


「春休みに入って全然連絡がつかないから心配になってね。圭太郎のお母さんに協力して貰ったんだよ。本当に圭太郎は優しい親友を持ってるよね」


 次いで腹黒糸目の七宮ななみや椿つばきが悪びれもせずにそう宣う。

 昨日の夜に母さんがえらくニコニコ楽しそうだった理由はこういうことか、圭太郎は納得すると同時に腹立たしくもなった。可愛い一人息子を騙すとは何事か。


「茶なんて出ないからな」

「気にするな。そんな気遣いをお前に求めるのは酷な話なのは分かっている」

「じゃあ、お邪魔させてもらうね」


 観念した様子で圭太郎が大きく扉を開き直すと、二人は何の遠慮もなしに家に上がってくる。平穏が踏み荒らされる音がした。

 渋々と圭太郎はそのまま二人を自室にまで招き入れると、部屋の中央にある楕円形のローテーブルに向かい、ドスンッと音を立てながら雑に座り込んだ。前を指差して、二人にも同様に着座を促す。

 

「…………で、用件は?」


 腕を組んであぐらをかいて不機嫌オーラを全身から滲ませながら、圭太郎は対面に座っている二人を鋭い目で睨み付けた。


「彼女が欲しい」

「右に同じ」


 一点の曇りもなく二人がそう答える。

 ここが自分の部屋だというのに、圭太郎は今すぐ帰りたい気持ちになった。


「そうか、頑張れ」


 気持ちは微塵もこもっていないが、とりあえずエールらしきものは送っておいた。二人に送るべき言葉は他に思い当たらない。


「圭太郎、お前はいいのか?このまま二年生を迎えても」


 博史がいつになく真剣な顔でそう問いかけてくるので、圭太郎は姿勢を崩しながら肩を竦めた。

 

「別にいいだろ。そもそも彼女ってのは欲しいから作るものじゃないぜ。本気で好きでどうしてもその子と付き合いたい、この気持ちを伝えたくて居ても立っても居られない、一生一緒に添い遂げたい。そういう熱い感情の果てにやっと形作られていくものだ」

「正論など求めていない。俺は今すぐに彼女が欲しいと言っているのだ」


 圭太郎が淡々と紡いだ綺麗事はにべもなく突っ放された。博史は聞く耳を持っていない。

 その隣でしきりに頷いている椿に対しては、自分の言葉が心に届いたのかと多少の期待をしてしまったが


「右に同じ」


 とまた言われ、ですよねぇ……、と圭太郎はしょんぼりうなだれる。


「俺達はもう高校二年生になるんだぞ!圭太郎!お前にはこの意味が分からないのか!?」


 博史がドンッ!とテーブルを叩く。床が少し揺れた気がした。それぐらい強い力だった。


「高二と言えば青春のシンボルだ!青春と言えば高校生活なのは当然として、その中でも高校二年生としての一年間は一際輝く一等星に等しい!そのことを示すように高校が舞台の創作物では主人公は大体高二に設定されているだろう!ラノベしかりギャルゲーしかり!まず第一に――」


 熱弁する博史。それに頷く椿。心底興味の無い圭太郎。


(それは単に先輩キャラも後輩キャラも出せるからであって、物語のバリエーションを増やせるから製作者にとって都合が良いってだけの話だ。それ以上でも以下でもない)


 圭太郎はしらけたような目で、今にも火がつきそうな熱量で持論を述べ続けている博史を眺める。その内容はこれっぽっちも聞いていない。ポーズだけだ。聞いている振りを圭太郎はし続ける。


「圭太郎ってもしかして女子に興味が無かったりするの?」


 不意に投げかけられた椿からの質問は、その文章の表面上の形とは違うことを尋ねたがっているように聞こえた。圭太郎は首を真横に振って、かけられた疑惑の払拭に勤しむ。


「別に興味が無いわけじゃない。それに俺にも女子との甘い思い出ぐらいはある」

「へえ、それはそれはとっても気になるね」

「そ、それはまことか?!圭太郎貴様ぁっ!同じく彼女いない歴年齢の同志ではなかったのか!?よもやいつの間に!」


 暴走機関車のようにベラベラと一人で喋り続けていた博史までもが、その言葉によって簡単に釣り上げられた。圭太郎の思惑通りだ。

 このままでは、この二人が巻き起こす面倒ごとに巻き込まれてしまう可能性が高い。圭太郎のこれまでの経験上それは確信にも近かった。

 なので、圭太郎は見栄を張ることに決めた。とは言ってもありもしない真っ赤な嘘をつくつもりは無い。過去に実際にあった出来事をそれっぽく脚色することに決めたのだ。


「まあ、残念ながら半年の短い期間だけだったけどな。でもその間は手を良く繋いだりしていたし、同じ布団で寝たりしていたし、風呂にだって一緒に入ったこともある」


 ここまで、圭太郎は一つも嘘を言っていない。全て実体験だ。それが遥か昔の小学生の頃の話であろうとも、事実は事実なのだ。

 昔、圭太郎の家にホームステイで外国人の女の子が来ていたことがある。その時の話だ。もううっすらとしか覚えてはいないが、それぐらいには仲が良かったと圭太郎自身は記憶している。

 

「な……ん、だと…………!?」

「わお、参ったね。まさか圭太郎にそんなに先を越されてるなんて、僕は夢にも思わなかったよ」


 血管がはち切れんばかりのおどろおどろしい形相で博史が目を剥いている。血涙でも流しそうだ。

 椿は薄く目を開きながら一筋の雫を頰に伝わせていて、博史に負けず劣らず驚いているのが、その珍しい表情から見て取れる。


「だから俺には分かるんだ。無理に彼女を作ったとして、それはただ虚しいだけだって、な」

 

 ここまでも、圭太郎の作戦通りだ。全くの嘘で無いことが上手く機能した。

 詐欺師でもない限りは嘘をつけば必ず何らかの違和感が人には生じる。喋り方、表情、仕草などなど。

 しかし、今回の圭太郎は嘘自体は何一つもついていないのでそのどれも当てはまらず、その堂々たる態度と物言いから間違いなく本当のことを言っているのだと、二人に信じ込ませることに成功。


「そういうわけで、彼女云々うんぬんはお前ら二人で勝手にやってくれ」

「ふ、ふははは……!そうか圭太郎!ならば共に晴米せいめい通りに向かうぞ!彼女持ちだったお前ならナンパの一つぐらい簡単に出来るだろう!?」

「お前は俺の話を本当に聞いていたのか?」


 おかしい、作戦は成功したはずなのに話が変な方向に進んでいる、圭太郎は自分の背中に冷たいものが走るのを感じた。


「椿、コイツをどうにかしてくれ」


 救いを求めるように椿に目をやると、打つ手なしといった感じで椿は両手を上げながら首を横に振る。


「さあ行くぞ圭太郎!輝かしい青春が俺達を呼んでいる!!ビバ青春!彼女を作ってこの春からは放課後の制服デートに興じようではないか!!」

「俺は呼ばれてないし興味もない」

「ほら圭太郎早く着替えて着替えて。たまには外に出ないと枯れちゃうよ」

「全ての植物が太陽を必要とはしないように、全ての人間もまた太陽を必要としているわけじゃない。俺は耐陰性が高い人間だ。第一彼女がいたイコールナンパが上手いなんてのはとても成り立たないし非論理的だしというか道行く他人に話しかけるなんて絶対に嫌だ行きたくない部屋から出たくない部屋にこもっていたい見たい映画もあるし昼寝もしたいし」

「はいはいそういうのいいから」


 幾ら圭太郎が拒否しようとも、二対一の数の力には敵わない。そもそも圭太郎は強く押されることに弱い。何故なら断るのにも相応の労力を費やすからだ。家に上げてしまった時点で、この結果になるのは目に見えていた。圭太郎の負けだ。

 


 あれよあれよという間に家の外に連れ出されて、電車に乗せられて、駅近くの繁華街にある晴米通りという名の大通りに連れて行かれて、そして話は冒頭に遡り、圭太郎は辛い現実にまた引き戻される。


(……振り返ってみても、俺に悪いところなんてのは欠片も無いな。完全なる貰い事故だ。走って逃げたって何も悪くない。むしろそれが普通だ。至極当然の判断だ)


 そう分かっていてもなお圭太郎はそれを実行には移せない。なんだかんだ圭太郎という男は変なところで義理堅い男なのだ。

 圭太郎は自分からは一切行動を起こさないし、面倒なことは大嫌いだ。常に怠けていたいし、部屋の中で過ごしていたい。

 だというのに、一度巻き込まれたらどんな面倒ごとだろうとも途中では投げ出さないし、最後まで付き合わずにはいられない。例え無理やりさせられた約束であろうと、一度すると決めたことを途中で放り出せるような人間ではない。

 とてもいびつで難儀な性格をしているが、それが圭太郎の魅力でもあった。


(…………腹をくくるか。さっさと済ませて家に帰ろう)


 圭太郎は深く深く息を吐いた後に、ようやく決意を固めた。そうと決めたらまずは話しかける相手を選ぶことにする。


(優しく断ってくれそうな人が良い。睨まれて罵倒でもされたら死にたくなる。派手な見た目の人は避けよう。となると黒髪で穏やかな雰囲気の人、か)


 思考を巡らせながら、圭太郎は周囲を見渡した。


(駄目だ、俺が話しかけられそうな方がいない。あの杖をついたお婆さんは駄目だろうか?駄目だろうな)


 声をかけることを念頭に置くとどんな人間も恐ろしく見えてくる。誰を選んでも傷つく未来しか見えない。圭太郎の心は早くも折れかけた。


(圭太郎、お前は何をしてるんだ。適当に話しかけて終わらせろ。そして家に帰るんだ。このままだと一向に終わらな……ん、何だ?)


 圭太郎が己の不甲斐なさに歯噛みしていると、前の方がザワザワと何か騒がしくなり始めているのに気が付いた。


(撮影か何かか?)


 通りの中心が先ほどよりも空いていて、道の脇の方に人が固まり始めている。誰かが歩いている姿を人々が遠巻きに眺めているらしい。

 有名人でも来ているのだろうか、圭太郎はとりあえず他をならい、通りの中心から横に逃れた。

 すると右からは博史がやれやれと溜息を吐きながら、左からは椿が楽しそうに声をかけてくる。


「圭太郎、元彼女持ちが聞いて呆れるぞ。何だあの不甲斐ない姿は。見ているこちらが恥ずかしくなったぞ」

「僕は見ていて飽きなかったけどね。幾らでも見ていられそうだったよ」

「お前らな……」


 噛み付くような目付きで左右の二人を睨みつつも、自身のナンパの方はこのまま失敗という形で有耶無耶に出来そうなので、圭太郎はこの謎のイベントに心の底から感謝をした。


「それにしてもこの騒ぎは一体なんなのだろうな?」

「さぁ……誰か有名人でも来てるのかな?」

「だとしたらプライベートだ。カメラとかがあるようには見えない。そっとしておいてやれ。もう帰ろう」


 少しずつ此方に近づいて来ている影は一つだけで、カメラらしきものはどこにも見当たらない。

 圭太郎は騒ぎに乗じて帰宅することしか考えていなかった。気を取られている二人にそう言い残し、そそくさと離脱するべく歩き始めたら


「いやー目の保養になったな」

「ああ、あの子はまさに人形みたいだったな。もしくは妖精っていうか」

「俺ヨーロッパにでも留学しよっかなー。そんで現地で金髪碧眼の彼女を作る。よし決めた」

「全員がああなわけないだろ。夢見んなよ。ガッカリするだけだぜ」


 前から来た男達がほくほく顔で交わしている会話が圭太郎の耳に届く。どうやら金髪碧眼の異国の美少女とやらが、この騒動の中心にいるらしい。

 その情報を聞いた圭太郎の脳裏を掠めるのは、遠い昔の記憶。


(まさか今日だけで二度も思い出すことになるとはな。ここ数年はすっかり忘れていたのに。…………ソフィアは元気にしているんだろうか)


 半年間、ホームステイで圭太郎の家に来ていたソフィアもまた、金髪碧眼に該当する女の子だった。ソフィアはいつも俯いていて、長い前髪で顔を隠している人見知りの激しい少女だったが、圭太郎にだけは心を開いていた。

 外国では日本よりも暗い性格の人間が生きづらいと聞いている。ソフィアが今も元気で生きていることを圭太郎は祈った。


「おいおい誰か声かけろよ」

「無理だ。あれは気軽に声をかけていい存在じゃない。むしろ三次元に存在しているのがおかしい」

「でもキャリーバッグ引いてるしきっと旅行者だろ?道案内とか頼まれたりするかもよ」

「ないない」


 人々にここまで言われるほどの美貌を持つらしい少女に、圭太郎も徐々に興味を抱き始める。


「ほんとに綺麗、憧れちゃう……」

「顔小さくて、脚長くて、羨ましいなぁー」


 同性の少女達までもが恍惚とした眼差しを向けているのが見えたところで、圭太郎はその噂の美少女を拝んでおくことに決めた。そこまでの美少女であれば、もしかしたら何らかの御利益ごりやくがあるかもしれない。


(一目見て、手を合わせて、それで帰ろう)


 そんなことを考えながら圭太郎が通りの中心に顔を向けようとした瞬間に、後を追いかけて来た二人に声をかけられる。


「おい待て圭太郎」

「まったく圭太郎はこれだから圭太郎なんだよね」

「期待を裏切って悪いな。俺も今から見物しようと考えていたところだ」


 フッと圭太郎がしてやったりの笑みを浮かべ、そして遂に噂の美少女を拝もうとしたら


「……圭、太郎……?」


 と、まるで頭の中で反芻はんすうでもしているような風に、疑問符混じりに名前を呼ばれた。その声は男の声じゃなく、女の子の声だった。聴き心地の良い音階の綺麗なソプラノボイス。つまりは後ろの二人ではないということが、すぐに分かった。

 では誰なのだろうか。その声を出した人は圭太郎が今向けた視線の先にいた。

 

「……圭太郎……っ? 」


 ドタッと鈍い音を立て、荷物がたくさん詰まってるだろう黄色のキャリーバッグが地面に倒れる。そこに立って居たのは、創作物で描かれるこれぞ天使という風なビジュアルをしている青のリボンをつけた美しい少女だった。

 此方を見ている大きな瞳は澄み渡った海にも似た輝きを放っていて、思わず吸い込まれそうになる。肌は太陽の下を歩かせるには心許ないぐらいに色素が薄く、白雪のように儚い。肩下辺りまで伸びている眩く煌めいた金の髪はさらさらと透き通っており、染めた金髪とはまるで違う。

 不覚にも、圭太郎はその少女に見惚れてしまった。テレビでも滅多にお目にはかかれないだろう圧倒的な造形美。芸術品とすら錯覚してしまいそうだった。


 だがしかし、いつまでも見入っているわけにはいかない。何故かと言えば、圭太郎の脳内では疑問が溢れ返っているからだ。


(何でこの子が俺の名前を知っているんだ?いや、それは偶然聞こえたからか。だが待て、聞こえたからって何なんだ?そんなのは無視すればいいだけだ。それ以前に何でそんなに驚いたような顔をこの子がしているのかが不思議だ。まるで数年ぶりに再会した家族にでも向けるような、そんな顔に見えるけど)


 圭太郎が思考回路を働かせることに集中していれば、知らぬ間にその可憐な少女は圭太郎の元へと真っ直ぐに駆け寄って来ていた。


「ずっと会いたかったです……っ!圭太郎っ!」


 思考の海から浮上するよりも先に、圭太郎は異国の美少女からの熱い抱擁を受ける。すらりと細いのに出るとこは出ている抜群のスタイルをした体を惜しみなくぎゅうぎゅうと押し付けられ、首の裏にはしっかりと腕を回され、気付いた頃には圭太郎は騒動の渦中に身を置いていた。


「おい圭太郎!貴様っ!どういうことだ!?なんて羨ましいんだ!おのれ!許さんぞ!!なぜお前だけ!」

「わーお。やっぱり圭太郎って、普通じゃないよね」


 喧騒の中で鮮明に聞こえてくる二人の声、圭太郎は現状を理解するまでに十秒ぐらいは使った。


「なっ、ちょっと待ってくれ。人違いじゃないのか?俺は君みたいな子と知り合いになった覚えはない」

「圭太郎……もしかして私のこと忘れちゃいましたか……?」


 透明な水晶玉が今にもこぼれ落ちそうになっている寂しそうに潤んだ瞳が、上目遣いの状態で圭太郎を捉える。その瞳の中に反射する圭太郎の顔は、戸惑い全開だった。


(忘れたって言われても、俺の外国人の知り合いなんてソフィアぐらいで……待てよ、この青いリボン見覚えがある。確か俺が誕生日プレゼントでソフィアに渡したのと同じだ。今思い出した。てことはまさか……)


 そこに思い至ると、急にその少女の何もかもに既視感を覚えた。普段は髪で隠れているせいで、圭太郎以外に見れた者が殆どいない青の瞳。陽だまりのように安らぐ体温。ふんわりと押し当たっている柔らかな弾力には覚えが無いが、圭太郎は遂に理解した。


「いや、覚えてる。久しぶりソフィア。元気そうで良かった」

「圭太郎!圭太郎に会いたくて私また日本に来ましたっ!」


 この少女がソフィアだと分かれば、圭太郎の動揺は潮が引くように収まった。体が覚えていたんだろう。圭太郎はソフィアの頭を慣れた手つきで自然と撫でていた。絹糸のような金の髪には指が良く通る。


「なら旅行ってことか?何日間?泊まる場所は?」

「違いますよ!また圭太郎の家でホームステイです!今回は前と違って期間なんて無いですよ!ずっと一緒です!」

「へぇ、そうなのか…………は?」


 ソフィアの言葉に圭太郎の手がピタッと止まる。そんな重大なことを圭太郎は何一つ聞いた覚えがない。母親の顔が頭に浮かんだ。母さんがニコニコしていた真の理由はこれか、圭太郎は瞬時に理解した。


「圭太郎!約束果たして貰いますからね!」

「約束……何だっけ?」

「…………圭太郎、それ本気で言ってますか?」

「いやその……ごめんなさい」


 最終日の別れ際に何か約束をしたという記憶はある。だがその内容を圭太郎はすっかりと忘れてしまっていた。ソフィアがじっとりとした瞳で見てきたので、圭太郎は居心地悪そうに斜め上を向く。


「ならいいです。圭太郎が思い出してくれるまで私待ちます。思い出したその時は圭太郎の方から言って下さい」

「…………はい、分かりました。そうさせて貰います」


 ソフィアが不意に背伸びをしたかと思えば、圭太郎の耳元に唇を寄せる。ぼそぼそと吐息の混ざった甘い声で


「その時が来るまで私ずーっとそばで待ってますからね……圭太郎」


 と、優しくそう囁いた。

 ぞくりと圭太郎の背筋が粟立った。



 その後、ソフィアが圭太郎の通う中高一貫の名門校である私立叡峰えいほう学園に転入してきて圭太郎は色々な面倒ごとに巻き込まれたりするが、何だかんだで楽しい学園生活を送って約束もしっかり思い出し、卒業後にはソフィアと結婚して子宝にも恵まれて幸せな人生を送ったりもするが――――それはまた別の話である。

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