8月後半
第37話 仮にこれを
羽須美さんのことが好き──恋愛的な意味で──だと自覚したのはさておきましても、やっぱりあの我ながらイケイケが過ぎるスキンシップの数々は、プールの魔力と言いますか水着の魔力と言いますか、まあそういうものが多分に働いていたのもまた事実でありまして。あれから今日までのあいだにも一度デートしたけれど、そのときはあそこまで大胆にはなれなかった。人気のない瞬間を狙って腕組んだりとかはしたけども。
何が言いたいかというとつまり、夏休みも後半にさしかかった今日、羽須美さん宅にもう一度訪れているのも、極めて真面目な用件からだっていうこと。
ぼちぼち一ヶ月ぶりくらいにお会いした羽須美さんのご両親はやっぱり物腰穏やかに歓迎してくれたし、弟くんもキラキラした尊敬の眼差しを向けてきていた。だぶん顔が良いからだろう。そうやって羽須美家の皆様に見送られながら上がりこんだ羽須美 綾ルームにて、彼女さんと二人で何をするかって言うと、それはもちろん──
「進捗ヨシ、だね」
「おかげさまでねー」
夏休みの課題である。当然、健全、理路整然〜。がはは。
羽須美さんによる仁香ちゃん課題マネジメントは夏休み全体を見据えての計画であり、今日の進捗状況次第で休み後半のデートの頻度なんかも変わってくるわけだ。私だって羽須美さんとデートするのは楽しみなんだから(とくにプール以降はなおさら)、しっかり進めてきたってなもんですよ。
「あ、でもこれとこれとこれとー……あとこことこことここがよく分かんなくて」
「あー、この辺は確かにLINEじゃ説明しづらいかも」
まあ、分かんないところは分かんないままなんですけどね。羽須美さんの方はもうほぼ全部終わってるみたいで、ここからはしばらく、私が彼女に教えてもらう時間になりそうだ。
「じゃあまずこれなんだけど、この二問前で使った──」
テーブルを前に、教えやすいようにと私の右隣に座った羽須美さん。顔には黒縁のメガネが装着されていて、右肩でゆるく結ばれたおさげから、かすかに良い香りが漂ってくる。やはり柑橘系。家勉モードで冷静さを保っている羽須美さんに対して、むしろ私の方が彼女を強く意識しているような気さえした。まあ恥ずかしいとかはないんだけどね。心地良い。
「なーるほど。ってことはここがこうなって、──あれ?」
「惜しい。途中までは当たってたんだけど──」
肩が触れないくらいの距離で、すらすらと解説する声を聞きながら、ペンを走らせる。この感じで行けば夏休み後半もデートできそうだし、それこそ夏祭りの頃には私も全部終わらせられてるだろう。明らかに羽須美さんが気合を入れている、休みの終わりの最後のイベント。なるほど確かに、最後のスタンプを押してそのままちゅーと洒落込むには良いシチュエーションだ。
プールで四個目を押した時点で、私が羽須美さんを恋愛的な意味で好き……ちょっと長いな、えーでは仮にこれを“しゅき”と呼称するとしまして……私が羽須美さんをしゅきだというのはもう十分に自覚できていて。だから別に、あの時点でキスしたって良かったのかもしれない。急く心がなかったと言えば嘘になる。でもまあ、折角ここまで楽しみながらやってきたわけなんだし、どうせなら全部埋めてからの方が達成感とかありそうだなぁって、そんな気持ちの方が勝った。
自分で自分をもう少しだけ焦らして、羽須美さんが最後の一個をどうやって押させてくるのか期待して待つ。写真で見せてもらったスタンプカードには四個目の丸を囲うプールや、ひとかたまりになってウォータースライダーを滑るクロイちゃんとハスミちゃんの姿もあって。このカードを完成させたいって思ってるのは、私も羽須美さんもおんなじなはずだから。
「ぬぉーん……こっちはこっちでまたぜんぜん別方向で──」
「って思うけど、実は関連性があったりするんだよね。例えばここ──」
ほら今だって、その気になれば今すぐにでもキスできる距離感。テキストに目が行ってて気付かない羽須美さんの唇を見つめて、だけどもすぐに、私も視線を戻した。さあさあ、残りの夏休みも気兼ねなく楽しむために、真面目に頑張ってみましょうかね。
◆ ◆ ◆
そんな塩梅で、しばらく課題に精を出したわけなんだけれども。
とはいえまあ、私の集中力なんてそう長く続くもんじゃない。それでもきりの良いところまで頑張って、じゃあ今日はここまでとなったのは、帰るにはまだ少し余裕のある時間帯で。メガネを外した羽須美さんが途端ににそわそわしだしたものだから、ついいたずら心も湧いてしまおうというもの。
「ね、羽須美さん」
「ひゃ、はい……っ」
机に上体を預けて、隣りに座ったままの彼女さんを下から覗き込む。私の肩が、羽須美さんの二の腕の辺りに触れた。そのまますりすり、体を揺らす。熱と赤を帯びていく顔をしっかりと見ながら、内緒話みたいに言う。
「久しぶりに、髪梳かして欲しいな」
「ぇ、あ、うんっ。もちろん」
夏休み中はご無沙汰だったからね。私も私のお髪様も、そろそろあの手付き指遣いが恋しいのだ。ぴょっと立ち上がった羽須美さんがいつもの一式を持ってきて、またすぐに隣に戻る。膝立ちになって、まずは手櫛から。
「ん〜……」
「相変わらず、くしゃくしゃだ」
「くしゃくしゃかぁ」
何度か梳かれていくうちに、あっという間に私のからだから力が抜けた。うなじがちりちり、背中がゾクゾク。やっぱり羽須美さんの指先は心地良い。もしかしたら私これに落とされたのかなぁなんて考えて、でもたぶん、それだけってわけでもなくて。やっぱり確たる理由は思い浮かぶこともないまま、段々と頭がぼーっとしてくる。
「羽須美さん」
「なに?」
「やっぱり、上手だねぇ……」
「ありがと」
羽須美さんの部屋で、羽須美さんに撫でられて。そのままうとうと微睡んでしまうのは、なんだかすっごく幸せなことのように思えた。
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