第34話 浮かれ仁香ちゃん


「さて羽須美さん」


「はい」


 大きな円を描く流水プールのはしっこで、二人して軽くストレッチ。今日は日差しがはちゃめちゃに強かったので、主に屋内フロアで遊ぶことにした。シニョンにまとめられた羽須美さんの髪は、高い天窓から落ちる弱まった日光でも十分に輝いて見える。


「この黒居 仁香にはひとつ、大きな秘密があります」


「泳げない、とか?」


「だいせいかーい」


 さすがのご慧眼、何を隠そう私は産まれてこの方まったく泳げないのだ。おかーさんのお腹の中にいるあいだに悪魔の実を食べたとかでもないと説明がつかないくらい泳げない。唯一できる泳法は犬かきあらため“溺れる犬”だ。遊泳距離自己ベストは2mジャスト。まあ幼少期から泳げざる者としての心構えはできているので、水が怖いとかってわけではない。

 

「ぇあー、その、よければ泳ぎ方とか教えよっか?」


「手取り足取り?」


「て、手取り足取りっ……!」


「それも魅力的ではあるけどー」


 今回はまあ、ゆるーく遊びにきたわけなので。泳ぎの指導はまたの機会にということで。ストレッチを終えた私は、左手で羽須美さんの手を取った。


「今日はで、ね?」

 

「っ、ぅ、うんっ……!」


 人はたくさんいるけれども、だからこそはぐれたりしないように。安全のためにも。そういう理由付けでもって、しっかり手を繋ぐ。にぎにぎしつつ足早にプールサイドまで向かい、一度止まってつま先をちょっと水につけてみた。ひんやりとしていて、ウォームアップであったまった体に心地良い。そのままゆっくりと入水。手を繋いだまま、羽須美さんもとぷっと静かに入ってきた。


「おぉ、流れを感じる」


「ね」


 私のみぞおちくらいの深さのプールで、他のお客さんたちがきゃいきゃいわははと横切っていく。私も流れに任せてゆーっくり歩を踏めば、すぐ近くで羽須美さんの足も同じように動いているのが感じられた。

 

「えいっ」


「わひゃっ」


 水をかけてみる。まあ定番かなぁと思って。突然そんなことをしちゃうくらいには、私も浮かれているわけだ。


「……反撃っ」


「おわぁ」


 んで、当然ながらやった分やり返されたんだけども。今ので私も全身ビシャビシャになって、ラッシュガードが胸元に張りついた。見下ろせば、白く薄い生地の下から黒い水着がばっちり透けてる。


「っ……!」


 周囲の喧騒に紛れて、ごきゅりって音が聞こえた気がした。それから、プールの涼しさに真っ向から抗うような熱視線もセットで。


「……なるほどー。ファスナーを下ろさせるんじゃなくって、あえて前は閉じたまま、水濡れで透けとか張り付きとかを楽しもうとしてたってわけかー」


「え、や、ちがっ」


「やるなぁ羽須美さん。こだわりを感じるね」


「そういうのじゃなくってぇ……!」


 片手をわたわた振って弁明しようとする羽須美さんだけど、その腕の動きでまた水が跳ねて、私のぼでーの濡れ透けがますます加速する。


「おー積極的。これは反撃せねば」


「きゃっ、わっ、ちょっ……もぉーっ」


「おわっ」


 そしたらもう水のかけあい、THE・キャッキャウフフだ。しかも片手はずっと繋いだままだから、ほとんどゼロ距離での攻防。これすんごいバカップル感あるなぁ……なんて思ったりしつつ、プールの水とか雰囲気とかそういうのに流されて、私たちはしばらく延々と、単純極まりない水遊びに興じていた。それがたまらなく楽しくて、心地よかった。



 

 ◆ ◆ ◆




 ──とはいえまあ、ですよ。

 せっかくこんなところに来てまで水かけあってるだけ……ってわけにもいきませんのでね。何周か流されてしっかりinプールってな気分になってから、私たちは長く高くそびえるそれに挑んだ。


「──はーい、いってらっしゃーいっ!」


 ウォータースライダー。うぉー。

 高台を登る階段はそれなりの行列になってはいたけれど、そんなもの羽須美さんと色々お話していれば一瞬だった。気付けばてっぺん、順番は次。前の人の悲鳴が遠ざかっていって、少ししてから下の方でざぶーんっと派手な水音。安全を確認した係員のお姉さんが、こちらへと笑顔を向けてきた。


「ではお次の方どうぞーっ!」


「あ、私たち一緒に滑りまーす」


 二人までなら一緒に滑ってもオッケーとのことで。並んでるあいだ中ずっと「え、や、それはあれその、けっこう体とかくっつける感じになるのではないでしょうか……っ!」と逃げ腰な羽須美さんを説得していたのだ。


「おー良いですねーかしこまりました!では前になる方から先にどうぞっ!」


「どーぞ、羽須美さん」


「ぅ、ひゃいぃ……」


 もうすでに顔が赤い彼女さんを促して、スライダーの出発点に座らせる。それから係員さんの指示に従って、その背中を抱くように私も腰を下ろした。


「腰に手を回してっ、脚も開いてしっかりお尻を挟み込むようにっ!もっと密着して、そうもっと、ぎゅーっと!」


「はーい」


「ひぃぃぃ……!」


 大義名分を得た私は、思いっきり羽須美さんの背中に抱きつく。自分の胸がむぎゅっと潰れる感触。回した両手で触れる、引き締まったお腹。ばっくんばっくん言ってる心臓の鼓動。すぐ近くにある顔から伝わってくる熱気。真っ赤な耳が目の前にあったから、つい唇を寄せて囁いてしまう。


「羽須美さん、近いね……?」


「ふぁ、ひゃぁい……っ!」


 さっきまで視線がどうとか手がどうとか言ってたはずなのに、ほんの些細なきっかけで、一足飛びにこんなことをしてる。我ながら、何だってこうも大胆になってるんだろう?そんな疑問がふっと浮かびかけたけれど、でも係員さんの声と手に背中を押されて、それどころじゃなくなってしまった。


「はーい、いってらっしゃーいっ!」


「お、ぉ? ぉーー……ぉおぉおわああぁあああっ」


「ふぉぁぁぁあああああっ!?」


 二人して悲鳴をあげながら、円筒状の巨大なスライダーを滑り降りていく。思ったより速度が出ていて、だからなおのこと羽須美さんの背中に体を押し付ける。何度か左右にカーブを描き、その度に羽須美さんを挟み込んだ両足に力が入った。やがてお腹にまわした両手に、さらに手が二つ重なった感触。それら全部、水に流されていくあいだのほんの少しの出来事。


「──ぁぁぁあああっは、あっははっ!」


「──わひゃぁああああああっ!!」


 視界の先が明るくなったかと思えば、次の瞬間にはもう、私たちは派手な水しぶきを上げてプールに投げ出されていた。


 やばいなぁこれ。めっちゃ楽しい。

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