第9話 頑張ってね、彼女さん?


 そんなふうに無言で、お互いあらぬ方を向き。

 私も、そして羽須美さんも物思いに耽りながら歩いちゃってたもんだから。


「──あぅっ。あ、す、すいません……!」


 羽須美さんが誰かの背中にぶつかってしまった。慌てて謝罪する彼女の横で一緒になって頭を下げる。私も前方不注意だったし。


「いえいえ、大丈夫ですよ!それよりお客様っ、ただいま当フロア内でスタンプラリーをやっていまして──」 


 そのお姉さんは何かのイベントスタッフさんだったみたいで、気を悪くすることもなく、むしろにこにこ微笑みながら、私と羽須美さんに小さなスタンプカードを渡してくれた。この辺りのお店で一定金額買い物をするたびにスタンプが貯まって、全部埋まれば景品と交換。そういう風な説明をしてくれる朗らかな声が、私の頭に一つの妙案をポップさせる。どうだろう、私もまだ冷静じゃないのかもしれない。でも。


「なるほどー、ありがとうございます」


「いえいえ、よければ楽しんでくださいね!」


 ごめんなさい今から別のフロア行きます。心の中でお姉さんに謝って、私は羽須美さんの手を……うん、手を取った。


「わ、ぁ、ちょ、黒居さんっ!?」


 声を上ずらせる彼女を先導して、早足に向かう。


「ちょっと、買いたい物があるんだ」


 ま、行き先は百均なんですけどね。




 ◆ ◆ ◆




「──えと。黒居さん、何を……?」


 買い物自体は秒で終わった。

 五色くらいのペンセットと白紙の名刺カード、それから小さなスタンプを買って、私たちはお昼を食べたフードコートに戻ってきた。おやつがてらのスムージーを手に、端の方の二人席に陣取る。向かいに座った羽須美さんは不思議そうな不安そうな、怪訝な表情を浮かべていた。


「さっきの、ちゅー未遂のことだけど」


「っ」


 途端に強張るその顔を見ながら、名刺カードの束を開ける。まあ一枚しか使わないんだけどね。


「あれは、その…………ごめんなさ──」


「羽須美さんとキスするの、やじゃないよ」


「っ!」


「でも、キスしたいってほどでもない」


「っ……」


 パァっ!しゅーん……みたいな、いつかも見た表情の変遷。それがパァァっ!になるかどうかは……今後の彼女自身次第、かなぁ?


「だから、私のことその気にさせてみて?」


「はっひぇ……?」


 なにその鳴き声。かわゆいね。

 耳を癒やされつつ、視線は手元に落として黒ペンで名刺カードに丸を……何個にしよう?えー、そうだな……さっき貰ったスタンプカードが五枠だったから、私も五つにしよっかな。きゅきゅきゅきゅきゅ、とジグザグに配置する。できました。見て見て羽須美さん。

 

「え、なにこれ……?」


「キススタンプカード」


「きっ」


「私が羽須美さんと一緒にいて、“あ、キスしても良いかも”って思えたらスタンプ一つを押します」


 ごきゅり、ってつばを飲む音がした。これ聞くの何回目だっけか。


「い、五つ全部溜まったら……?」


「そりゃスタンプカードだからね。景品があるよね」


「けい、ひん……」


「私のファーストキス」


「っっ!!!」


 不安がらせたくはないから、ここははっきりさせておく。今後もお付き合いが続いて、これが五つ貯まるくらいになったら。その時には流石に、私の気持ちも羽須美さんと“同じ”になってると思うから。

 

 今日キスできなかったことをネガティブに考えすぎないで欲しい。でもだからって、無条件でちゅーできるだなんて思ってもだーめ。そんな今の私の気持ちが、なるべく楽しく伝わるように。


「じゃ、初回なのでサービスしてあげます」


 そう告げて玩具のスタンプを──真っ赤なキスマークのそれを、最初の丸にぽんと押す。さっき指先に触れた唇が柔らかくて、なんか良かったから。という理由を言うか言うまいか迷っていたら、羽須美さんの顔がぼっと赤熱した。こーれは1.0告白時か、もしくはそれ以上?しかし一体どうしてまた……って、そこでようやく気付いた。無意識のうちに、右手の人差し指で自分の唇に触れてたことに。


 私の仕草に口をパクパクさせている羽須美さんが可愛くて、自分でもちょっとドキッとしちゃったのを隠して、微笑みかける。なるべくいたずらっぽく見えるように、流し目を意識して。


「──あと四つ。頑張ってね、彼女さん?」


 湯気でも出そうな顔をこくこく縦に振りながら、羽須美さんはスタンプカードを受け取った。


「がんばりましゅ……」


「ん。じゃっ、映画の感想でも語り合おーぜ」


「……っ、うんっ!」

 

 それから私たちは、スムージー二つでこんなに居座っちゃって悪いねってくらい話し込んで。日暮れ前、そろそろ流石にって駆け込んだ帰りの電車の中でも、小さな声でお喋りしてた。あの店良かったねとか、あれ今度お金貯めて買っちゃおうかなとか、そういうことを。


「──じゃあ来週、学校で」


「うんっ。あ、でもまた夜、LINEしていい……?」


「もちのろん」


 そしたらあっという間に駅について、別れ際。

 名残惜しげに振る羽須美さんの手にはスマホが握られていて、小さなミゾレウミウシが気怠そーに揺れる。だから私も、スマホを持つ手をぷらぷら。こっちのオトメウミウシ──ハスミちゃんは、あっちよりも気持ちせわしなく揺れていた。


 

 うむうむ。初デート、中々良かったんじゃないでしょうか。

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