月光

砂々波

月光の軌

10年前、僕の両親は死んだ。

まだ九つの僕に莫大な資産を残して。


「坊ちゃん、おはようございます」

聞きなれた声で目が覚める。

「おはよう。」

菅原 祈 19歳

現在時刻午後6時

寝過ごしたわけでも、生活リズムが狂っているわけでもない。

なんてことない、普通の日。

「日は…?」

「沈みましたよ。もう秋ですからね」

分厚いカーテンは、冷ややかな月の光を浴び、ゆらゆらと踊っている。

締め切られたカーテンからは光の一筋でさえも漏れていない。

いいや漏れてはいけない。

もう何年も太陽を見ていない。日の光の温かさを感じてもいない。

もう、何年も。何年も

7歳の時、まだ僕が普通の子供だった頃。

家族で動物園に行った。

その日は猛暑日と呼ばれる真夏で、

オオカミが柴犬のように大岩の上に寝そべっているのを見て、

すこしがっかりしたのを覚えている。

クーラーの効いた展示室から出てきたとき、長針はちょうど十二を差していた。

太陽にかざした右手に焼かれるような痛みを感じた。

痛い。そう知覚したときその痛みは全身に回っていた。

忘れもしない。全身の皮膚が肉と決別しようとしているような痛み。

異変を感じ取り、駆け寄る両親の足元に、僕は落ちた。

上も下も分からなくなった意識の中で救急車のサイレンだけが響いた。


「…日光アレルギー…ですね。信じられない話かもしれませんが…」

日光アレルギー、そう言われて症状がぱっと思い浮かぶ人間がどれほどいるだろうか

ましてや七歳の子供にそれ通じるわけもなく、沈黙が続く病室でただ両親の驚いたような顔を見ていた。

僕は、普通の枠から大きく逸脱した子供になった。

そうして、病とともに僕を蝕んだ得体のしれない罪悪感は、火傷が消え去った後も、離れることはなかった。

僕の生活は大きく変わった。

まず札幌の住み慣れた家を離れ、

釧路の山奥の屋敷に引っ越した。

外で遊べない分、広々とした家で過ごしてほしい。…と両親は考えたらしい。

おかげで僕はいたって健康だ。

屋敷の窓はすべて閉め切られ、間接照明のもとで一日を過ごした。

時々、斜光カーテン越しに庭園を眺めることをしたが、

そのたびに両親がはっと、息をのむような表情をするので、時期に止めた。

もともとかなり裕福な家庭ではあったが、

到底外で働けそうもない息子の将来を案じ、両親は朝から晩まで働いた。

僕と両親が普段顔を合わせることはほとんどなかった。

家には数人のお手伝いさんと一人の執事。屋敷の大きさには見合わない使用人の数だった。

これも両親が交友関係を心配してのこと。

別に両親と会うことがなかったからと言って寂しかったわけではない。

同世代の子との関わりがない分遊び相手には執事のじいやがいたし、

お手伝いさんが外の、僕の知らないたくさんのことを色鮮やかに話してくれる。

そして毎朝、両親は僕に置手紙を書いてくれる。

手紙の最後は決まってこうだ。

「祈、愛してるよ。」

たとえ外に出られなかったとしても、僕は幸せだった。

幸せだった__。


きゅっと、喉が締まる音がした。

言葉にならない母音の連続が、ただ、他人の声のように鼓膜に触れる。

両親が死んだ。

帰宅中、トラックに後ろから、追突された。

即死。だったそうだ。

僕には、それが吉か凶か、分からなかった。

朦朧とした意識で通夜を終え、葬儀を終え、火葬を終え、納骨式を終えた。

手に抱いた白い箱に質量を感じる。それは僧侶に取り上げられた後も、僕の両腕の中で脈打っていた。気がする。

会場にはトラックの運転手も来ていた。

数人の警察官に車椅子を押され、僕とは正反対の位置に静止した。

俯いていたので、顔はよく見えなかった。別に見たくもなかった。

弁護士から聞いた。彼は両足を切断する怪我で済んだらしい。

妻と、五歳になる娘がいるそうだ。

どうでもよかった。

右手がじりじりと痛む。

ぱきっと、何かが脳裏に焼き付く音がした。

朦朧とした意識の中でも、よく、覚えているものがある。

肺の底にたまって、淀んで、やがてこめかみを締め付けるそれを、忘れることはない。

僕は、相手を恨むことはできなかった。

相手を糾弾したり、極刑を求めたりもしなかった。

弁護士がひどく驚いた顔をした。

彼の目には僕がどんなに薄情な人間に映っていることだろう。

                                                 

以下は裁判の記録だ。相手は語る。

札幌から釧路まで、5時間強。定刻が迫っているから、休憩なしで走り続けたと。

気が付いたら、前の車が、鉄の塊になっていた。

申し訳ないことをした。死んで、償いたい。

無理だろう。と、思った。

その足じゃどこへも行けない。首も満足に吊れやしない。

ワイヤレスイヤホンで首を絞めようとしているようなものだ。


僕は一度だけ、仕事終わりの両親と顔を合わせたことがある。

白い、というより青い顔で、

ソファーになだれ込む両親と

葬儀場で去り際に見えた彼の顔は瓜二つだった。

僕は彼を恨まなかった。は決して綺麗なものではない。

ただ、相手を恨んではいけない気がした。

過労で事故を起こした相手を責めるということは、つまり__

僕の両親も、定時に退社できていたら、疲れた体で運転していなければ、僕がいなければ

トラックと鉢合わせなかったかもしれない。


責められなかった。

相手も一生モノのけがを負った。

十分な罰を受けた。それで十分だ。

恨んだからといって両親が返ってくるわけでもない。

もういいじゃないか。

トラック会社から渡された慰謝料と両親が残した土地と財産。

余生を穏やかに暮らすには十分すぎる額だった。

何のために生きているのかも分からないが、

生きなければ。という漠然とした思いだけが胸の、もっと奥の方に染みついている。

この物語に、終わりはない。

僕の余生は続く。

語り手が手放した小説のように、

誰も知らないどこかで。

あるいは、君の本棚で。

僕は復讐も、感傷に浸ることもしない。

僕はどこへも行けないから。

だから、ただ、

今日も同じ世界を生きる君が、

月光に照らされる太陽であればいいと、

僕は勝手にそう思っている。

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月光 砂々波 @koko_22

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