魔王様のあとしまつ

椋之樹

魔王再臨 リトル・リーチェ編

1、立て籠り事件



 かつてこの世界は、何処からともなく顕れた『魔王』の軍勢によって支配されていた。

 その絶望的なまでの存在感と、現地の武器も魔術も一切通用しない圧倒的な強さを前に、人々は成す術なくただただ怯え切っていたが……そんな中、『魔王』に反旗を翻る者が現れる。

 彼らは幾度の試練を乗り越え、死力を振り絞り────遂には、『魔王』を討伐することに成功した。

 人々は、彼らを魔王を討伐した『勇者』として称え、後生にまでその偉業と伝説を語り継ぐことになる。

 そして。

 世界が魔王の支配から逃れ、人々が平穏な日々を取り戻してから……。



 ────500年もの長い年月が流れた。



『手配中の【魔物】が潜伏している根城だ。リゼ、くれぐれも油断するなよ?』

(分かっています、先輩)


 『伝達魔術テレパシー』を通じて、エトムント先輩の緊張の入り混じった警告が頭に響く。私は一層気持ちを引き締めて、『魔物』の根城に先行した。

 標的にバレないように……。

 あくまで自然体を装って……よし。

 根城に入ると同時に、「いらっしゃいませー」とメイド姿の可愛らしいウェイトレスが出迎えてくれる。案内された窓際の席に座り、手元のメニューを一読してから、ジュースを一杯注文。頬杖をついて、外の景色を眺めながら、ジュースを啜る……あっ、とても居心地が良い『お店』。


(…………いや。何やってんの、私……?)

『どうした?』

(どうしたじゃありませんよっ!? 何で私、優雅にブレイクタイムを味わっているですかっ!?)


 心の中で、思わずそう叫ぶ。

 テレパシー上のやり取りである為、声が外に漏れる心配はない。

 ただ、交信中は心の声がだだ漏れになる為、プライベートな感情には注意が必要だ。


『捜査中に何やってんだお前は』

(いやっ、だってっ! 魔物の根城って、普通は薄暗くてジメジメした洞窟の中だったりするじゃないですか! それなのに何ですかここは!? ただの『カフェテリア』じゃないですかっ!?)


 世界最高峰のエレマイ山。

 かつては魔王の本拠地である『魔王城』があったとされる山。

 その山の麓に位置する場所には……普通にお客さんも来店しているカフェテリア『リトル・リーチェ』が存在していた。


『正確にはカフェテリアではなく、ビストロのような形態を取っているようだがな』

(そんな情報要りませんよッ! どうしろってんですか!? 飲み物じゃなく食事しろってんですか!?)

『それはともかく。例の【魔物】がその店に頻繁に出入りしているのは間違いない。集中して、さりげなく周囲を探れ。お前が発見の合図を出したと共に……表にいる俺たちの部隊が一斉に突撃を仕掛け、【魔物】を取り押さえる』


 私たちは、警察ギルド。

 世界各地の治安維持を担当しており、危険人物や魔物の取り締まりを行うのが仕事だ。取り締まる対象が対象なので、時には実力行使で事に当たることは許可されている。

 荒事には慣れている面子が表に待機している以上、取り押さえるのは容易い。

 後は、問題の魔物を見つけ出すだけなのだが……。


「────ねぇねぇおねえちゃんっ! じゅーす、おごってっ!」


 忽然と、テーブルを挟んで向かい側の席に、一人の無邪気な少女が腰掛けてきた。

 艶やかな黒髪ロングと赤く煌めく瞳の、小柄で可憐な少女だ。

 何だか奇妙な格好をしている、なんて考えが頭に浮かんでくるが……突然の催促に、思わず面食らってしまった。


「あー、ごめんね? お姉さん、今お仕事中なんだー」

「おごってくれないの……? がっくり……」


 がめつい子だなぁ……。

 しょんぼりと肩を落とす少女の反応に苦笑いを浮かべながらも、話を聞いてみる。

 幼い子供を保護するのもまた、警察ギルドの重要な責務だ。


「君は……お父さんか、お母さんは?」

「いないよっ!」

「えっと、じゃあ一人で遊びに来たのかな?」

「うんっ! あそびにきたんだよっ!」

「そっかー。ここも楽しそうだけど、お外で遊んだ方が楽しいんじゃないかな?」

「そんなことないよっ! だってね……」


 可愛らしい満面の笑顔を見せてくれる少女が、そこで一呼吸置く。

 そして、うっすらと目蓋を開き、その奥で赤い瞳が何処か妖しい光沢を放つと……。


「────お姉ちゃんみたいに馬鹿な奴がノコノコとやって来るんだもん」

「えっ」


 少女の口角が深く上がり、ニヤリと不気味な笑みを浮かべて見せた。

 その瞬間。

 グニャリと視界が歪む。

 身体が一気に重くなり、ガタンッとそのまま机に突っ伏してしまう。


「ぁ……が……っ!? から、だ、が…………う、うごか、な……っ」

『どうした!? 何があった!? リゼッ、応答しろッ! おいッ!!』

「せん、ぱ、い……っ」


 得体の知れない状況に思わず恐怖心が沸き上がり、助けの声を上げようとしたが……耳元で、ガシャッとガラスを踏み締める音が響く。

 机の上に土足で登り上がった少女が、私の傍に屈み、目と鼻の先で囁いてみせた。


「ギャーギャー喚くな、聞こえてんよ」

「……っ!?」

『こちらの魔術に介入して……!? お前……何者だ……!?』


 エトムント先輩の危機迫った問いかけに、少女は愉しそうに笑ってみせると、不気味なくらい優しい手付きで私の頭を撫でながら……こう返したのだ。


「────『魔王』」


 ……。

 …………。

 ………………なん、だって……?

 その時……私と、テレパシーの向こう側に居る先輩の時間が止まった。

 幻聴……?

 いいや、これは悪夢か……?

 まさか……いや、有り得ない……。

 こんな、馬鹿げたことが……。


「即急にお前らの『上』に伝えてやんな。500年の時を経て、この世界に────『魔王さま』が還ってきたってなぁ?」


 少女は……。

 魔王さまは、まるでこの時を待ち焦がれていたという様子で、嗤う。

 それはまさしく、私たちの……いいや。


 この世界にとっての────絶望の始まりだった。

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