楽園のアンスリウム

語り部

第1話 プロローグ


 彼女との出逢いは偶然だったかもしれないし、運命だったのかもしれない。

今となっては僕はきっとこの人の為にこの世界に来たと、そう思うのはもっと先の未来。

 ただその時の僕は生きる為に必死で寂しさを紛らわせる為に色々な事に必死だったんだ。

 だから、誰でもいいからちょっとだけ、僕の素敵で可愛いご主人様の話を聞いて欲しい。

僕は語りたいんだ、彼女の事を。

そして彼女の友人達の話を。




 木漏れ日漏れる森の奥。

僕はボロボロの小屋に住んでいた。

小屋……本来は家と呼ぶべき場所だけど、そう呼ぶには少し、いや、うーん。

とてもではないけど、家とは呼べないや。

 この世界に産まれ落ちてから数ヶ月くらい経っただろうか。

いい加減身体の違和感と親のいない寂しさにも慣れてきた今日この頃。

いつものように水を汲みに軋む音を鳴らしてドアを開けた。

 僕の一日を祝福するように太陽の陽射しが視界の一瞬真っ白に染める。

その時だった。


「おはよう」


 聞き慣れない音が鼓膜を叩き、僕は咄嗟に後退するが、ドア枠の段差に引っかかって転んでしまう。


「しまった。急すぎたか。大丈夫か、お前」


 見上げたその先にいたのは日中でも夜を想わせる長く艶やかな黒髪と深紅の瞳。

白を基調とした黒みのあるフォーマルな服を身につけた少女だった。

 僕はあまりに突然の事態に声が出せなかった。

いや、元々親を亡くしてから声を出していなかったから声の出し方を忘れてしまったのかもしれないけど。

とりあえず声が出なかった。

彼女からしたらきっとなんか魚みたいにパクパクしてる変なやつに見えた事だろう。


「お嬢様、彼女が例の……」


 西洋を思わせる丈の長いメイド服の使用人が僕を見下ろしてそう口にする。


「彼女……? ああ、そうか。そうだな、彼女が例のアンスリウム家の生き残りだ」


 深紅の瞳が妖しく輝き不敵な笑みを浮かべる。


「急な訪問失礼。だが、いつまで座っている」


 な、なんだこの本当に失礼な人達は。

僕は立ち上がり服に着いた埃を払う。

ああ、折角の大事な一着が。


「名前は」


 名乗ろうにも声が出ない。

何せもう数ヶ月も喉を嚥下の為にしか使っていないのだから。

だから、僕は申し訳ないと思いつつも魔法を展開する。

 が、その時やはりと言うべき張り倒された。

勢いよく地面に叩きつけられた事で元々色々足りない身体だからかとても痛いし、首元から締め上げられたせいで呼吸も怪しくなってきた。


「今何をしようとしましたか!!」


 鬼の形相で顔を近づける使用人のお姉さん。

加減を覚えて欲しいところではあるけど、ああ、でもこれくらいでも死ねそうだ。

 僕は臆病だから自分で自分をどうにかする事はできなかったし、このまま彼女の手で殺してくれるなら有難いかもしれない。

 申し訳ないけど、彼女には僕の解放に手を貸してもらう事にしよう。

思わず生きる為の抵抗をしていた力を悟られないよう緩くしていく。

どんどんと絞まる呼吸に思わず口から笑みが溢れる。

 ああ、これでやっと……。


「貴女、なにを笑って!!」

「止めろ、ルドミーナ」

「しかし!」

「私にお前の尻拭いをさせるつもりか」

「ッ!!」


 締まっていた喉が解放され、急に肺に送り込まれた空気に咳が漏れる。

もう少しだったのに。


「死ぬ間際に笑うとはな。聞いていた話と違うぞ、リリィ」


 リリィ?

何故妹の名前を。


『何故、貴女が妹の名前を』

「なんだお前、何故意思魔法を使えるのか」

『……えぇ、まぁ』

「もしかして喋れないのか」

『喉に問題があります』

「そう言う事か」

「お嬢様、一体誰と」

「ん、そうか。今私だけに送っているのか。なら丁度いい。ルドミーナ、ここで待機していろ。私はコイツと話してくる」

「お嬢様!」

「大丈夫だ。コイツに私が倒せるとは思えない」

「……わかりました。しかし、何かあった時はいつでもお呼びください」


 そう言ってルドミーナと呼ばれた使用人は家から少し離れた位置まで行く。


「大丈夫か?」


 手を差し伸べる彼女。

使用人がいるだけでも彼女は高貴なお方なのだろう。

水浴びをしているとはいえ汚いのははっきり言って自分でよく理解しているから僕は無視する形にはなってしまうけど、自分で立ち上がり。


『お構いなく。なにもないですが、どうぞ』

「……生意気め」


 僕は彼女を家の中へ招待し、比較的に綺麗な椅子を探す。

僕のは汚いし……お母様の。

他の家具に比べて比較的綺麗な椅子、それがお母様の椅子だが。

……ごめんなさい、お母様、お客様の為に使わせてください。

僕は椅子を持っていき、立っている彼女の後ろからゆっくりと押すように座らせる。


「ほぉ」

『なんですか?』

「いや、気にするな」


 僕は彼女の対面に座り。


『ご用件はなんですか』

「そうだな。手短に話そう。私は二ヶ月後に王都のハルディン学園に通う事になってな使用人を募集したのだが、どうやら肌に合わないらしく悉く辞めていってしまうんだ」

『……あのルドミーナさんと言う方は』

「彼女は卒業生という理由で使用人として連れて行くことは出来ないんだ」

『そうなんですか』

「そこで友人のリリィにーーー」

『リリィとお友達なんですか!?』

「あ、ああ、しかし意思魔法というのは感覚で捉えているものだと思っていたがなんだか今のは耳にキーンとする感じがあったぞ」

『し、失礼しました』


 リリィ。

名前だけで妹と判別できるのには理由がある。

この世界は人口が多い割に同じ名前の人間がいない。

その理由に名前は神によって与えられるからというものがある。

親が名を付けるのではなく、生まれたその時にふと頭に浮かび上がるのだとか。

不思議なこともあるんだと聞いた時は思った。


「続けるぞ。それでリリィに聴いたらお前の話をされた。アンスリウム家最後の生き残りのリリー・アンスリウム。……お前らどっちか改名しろ」


 ご無体な。

しかし、リリィが何故僕を。

ハルディン学園って確か。


『私の記憶が正しければハルディン学園は男子禁制の女学園では』

「それは最近までだな。ハルディン学園のお偉いさん方も王都の上の人達には頭が上がらんのだろ。今年から共学となった。なんでもそうする事で更に意欲的に、向上心を高めるのだとか。ふはは、訳の分からん理屈だ」

『はぁ、それでなんで私の所に』

「だから、言っただろう。リリィに紹介されたんだ」

『リリィの紹介だとしてもです。僕は男で、今年から共学になったとしても初年度から男の、それも年齢の近い使用人を連れて行ったとなれば噂されかねません』

「なんだそんな事を気にしているのか。気にするな……お前は女だ」

『……』

「意思魔法で動揺がこっちに伝わってきてるぞ」


 いやこの人何言ってるんだ。

僕には立派な僕が股間にぶら下がってるし、立派なオノコなんですが。


『ちょっと何言ってるかわからなーーー』

「お前は女だ」

『力技過ぎませんか!? 言葉でどうにかできるほど僕の身体は可変式ではないですよ!?』

「いざとなれば切るだけさ」

『……な、何をですか』

「ナニに決まっているだろう」


 あ、ダメだこの人。

関わっちゃいけない。

僕は本能的にこの人と一緒にいてはダメだと思った。

一緒にいたら僕の大事な僕を失ってしまう。


「これが契約書だ」

『ちょちょちょまってください!』

「インクないのか? 血判でいいぞ」

『悪魔宗教かなにかですか!? 僕は引き受けませんよ!』

「そうか。お前が引き受けないとリリィがこの先一生私の奴隷になる契約を交わしているのだが」

『申し訳ございませんでした。有り難く引き受けたいと思います。なので、何卒ご容赦を』


 そうして僕は彼女と数奇な出会いを果たしたんだ。

でもそれは同時にこの先のちょっと大変だけど愉快な物語の始まりのプロローグだった。

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