第49話、これも一種の心の病


 イリスが病んでしまった。怪我をした様子もなく、サンダードラゴン討伐を成功させたにもかかわらず……。


 何か失敗したとか、大怪我をしたというなら、その心が傷ついて戦えなくなったりすることがあるらしい。

 それとも、ドラゴンという種族にある呪いだろうか? そう思って鑑定してみたが、呪いではなかった。


 倒したサンダードラゴンを回収し、私たちはウィンド号に乗ってダガン町に戻った。


 ウイエ、フォリア、フレーズ姫の3人は、町の生存者の救助活動をしていた。サンダードラゴンによって破壊された町だったが、生き残りの住民はいたようで、フレーズ姫の治癒魔法による手当が行われた。


 加護によって光属性魔法を自在に扱えるフレーズ姫は、本人の試行錯誤もあるのだろうが、もう充分一人前以上の能力を発揮した。……つまり、私が手を貸すほどでもないということだ。

 私はウイエに声を掛けようと思ったが、先に彼女の方からやってきた。


「ジョン・ゴッド。そっちは終わったようね。……サンダードラゴンは?」

「イリスが倒したよ、心配ない」


 ただ、ちょっとよろしくないことになった。私は、討伐直後のイリスの状態を説明した。私は君ほど彼女のことを知らないから何とも言えないが……どうだろうか。


「ちょっと信じられないわね。あのイリスに限って」


 ウイエの答えはそれだった。やはりそういう感じなのか。


「で、そのイリスは?」

「甲板で膝を抱えているよ」


 見てくるといい。ウィンド号を指すと、ウイエは飛空艇へと駆けていった。フォリアがやってくる。


「お師匠様、どうしました? 何かあったんですか?」

「ちょっとね」


 何と形容すべきか、とっさに浮かばなかった。病気というわけでもないし、まして怪我でもない。


「イリスは疲れてしまったらしい」

「あぁ……。ドラゴンを相手にしたんですから、そうなりますよね」


 フォリアは頷いた。……たぶん、私と君で想像しているものは違うと思った。そういうニュアンスの違いを感じる。

 実際、違ったわけだけど。



  ・  ・  ・



 イリスが抜け殻のようになってしまったことは、彼女を知る皆が驚いた。

 ここにいるメンバーだけでもそうなのだから、王都や一般に知られれば、その衝撃はさらに大きくなっただろう。


 友人であるウイエは困惑していたし、血縁であり、姉妹でもあるフレーズ姫も、イリスの中で凜としていたものがなくなったと感じ取っていた。


 ドラゴンは倒した。

 成果は上げたし、何ら失敗はしていない……はずだが、もしかしたら私がフォローしたことを失点と考えて、気に病んだ可能性もなくはない、か?


「これは推測なんだけど」


 ウイエは、そう前置きをした。


「イリスは、王国の剣としてその務めを果たしてきた。強大な魔物や、今回のようなドラゴンが現れれば、それを討伐する聖騎士として。彼女は責任感が強く、使命感も強かった。それは頼もしくあったのだけれど……」

「……」

「人知れずプレッシャーを抱えていたんだと思う。クールで豪胆、弱気なところは見たことがないけれど、もしかしたらそれを人前で出さないように振る舞っていたのかもしれない」


 聖騎士は、皆の規範となり、清く正しくあるべし。騎士の中の騎士は、人から注目されるから、それだけ肩肘張って生きていかねばならない。


「世間での聖騎士というものは何となく理解した」


 私はウイエに答えた。

 しかしわからんな。彼女が私の家にいた時の言動は、お世辞にもウイエが言うような聖騎士のものとは違っていたようだが?


 結構のんびりしていたというか、食事時はともかく、好きな時に起きて、気が向いたら体を動かしている。特に誰かから何か言われることもなく、自分で思った通りに動いていた印象だ。

 聖騎士だから、一応王女とか、肩書きはあっても、それはそれ、という態度を取っていたように思える。


「あるいは、そこで自分を偽らなくてもいいことに気づいてしまったとか?」


 ウイエは言った。

 人前で聖騎士を演じなくてもよい場所、それが魔境にある私の家。


「それと、今回のドラゴン討伐後のアレがどう関係するんだ?」

「確証はないけれど、のんびりできる空間を知ったところで、ドラゴンという危険な生き物と戦った。死ぬかもしれないという恐れの感情が、表に出てきたんじゃないかしら? これまで心の奥底にあったものが、抑えられなくなって――」

「つまり?」

「戦うのが怖くなった、とか?」


 自分で言って、正しいとも思えないという顔をするウイエ。


「誰だって怖いのは嫌だわ。イリスはそれを自制していたけれど、魔境で楽園を見つけてしまった。だから命を晒す、演技をすることに疲れてしまったのかもしれない」

「それは、私のせいか?」

「貴方のせいじゃないわよ、ジョン・ゴッド。あの環境を知ったからといって、全員がああなったわけじゃないし」


 フォリアは自分にできなかったことができるようになったことに喜びを見いだし、積極的に物事に取り組んでいる。フレーズ姫も、強い自分になりたいと努力している。ウイエやリラ、エルバなどは勉強の場として通っている。


「イリスの場合は、たぶんこれまでの積み重ねなんじゃないかって思う」


 ウイエは深刻な顔で告げた。


「これまで重ねてきた死闘の数々。それで少しずつ精神が削られていたかもしれない。思い返せば、最初のころは今のようにそっけない面はなかった。いつの間にか、いえ少しずつ少しずつ変わっていることに、周りも気づいていなかった。たぶん本人も気づいていなかったのかもしれないわ」


 それが、今回のことで、一気に噴出した。きっかけに過ぎなかったのだ。


「要するに、心の問題か」

「本当の自分を曝け出しただけ。それを彼女自身と周りが受け入れられるのなら、割とそこまで深刻でもないのかもしれない……」


 ウイエは苦笑した。


「うーん、でもどうかな。周りはやっぱり彼女を聖騎士として見てしまうだろうし……」

「ありのままの彼女を受け入れる。言葉にすると確かに簡単だな」


 私はむしろホッとした。


「何だ。私にとっては、いつも通りじゃないか」


 イリスが寝坊しようがだらけていようが、私はそれを怒ったり指摘することはない。ありのままの彼女に接してきたからな。

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