忘れ物
寿甘
同窓会で
バスが坂道を上り終える頃、地面の上に頭を出す灰色の校舎。
あの頃から何も変わらず、少しくすんだ灰色の壁を晒し続ける中学では今も多くの生徒が輝くような青春の日々を送っているのだろう。
まだ何のために勉強しているのかも理解できず、退屈な授業をただ義務としてこなし。休み時間や放課後に友達と遊んだり、部活に夢中だったり、喧嘩したり……そして、恋をしたりして。
あの頃の日々を懐かしく思うと共に、今朝届いた同窓会のはがきを思い出して心が痛くなった。
机の見えないところにこっそりと書いたあの子のイニシャル。
告白しようと意を決して公衆電話から電話をしようとしたけど、どうしても最後の数字が押せなかった。
たった三文字の言葉を言う為に、命を懸けるかのような勇気を振り絞らなくてはならなかったあの頃。
結局気持ちを伝えないままに卒業し、数年後クラスメイトだったあいつと結婚したと聞いて財布にしまっていた彼女の写真を机の引き出しにしまったのだった。
同窓会の当日。当時の記憶を思い出していると、何かを忘れているような気がした。だから少し早い時間に校舎の裏手を訪れた。放課後の時間は夜まで裏門が開放されており、部外者でも体育館横にある駐車場に入れる。
その駐車場の角に植えられた一本の桜が、お決まりの告白スポットだった。
「そう言えばここで何かをした覚えがあるな……何だったっけ?」
告白は出来なかった。それは強い後悔を伴ってはっきりと覚えている。ではなぜここに来たことがあるのだろうか? 大して重要な出来事ではないのは確かだけど、思い出せないのは何か気持ち悪い。
「あっ……
俺の名を呼ぶ声に振り向くと、そこにはかつてのクラスメイトだった女性が立っていた。告白できなかった彼女ではない。その子と仲良くしていた女の子で、
「田本さん? 久しぶりだね!」
この人も俺と同じ理由でここに来たのだろうか? やはりこの桜の木は生徒達にとって特別な場所だ。
余計な詮索をするのはお互いに好ましくないだろうと思い、他愛のない近況を話しながら同窓会の会場まで二人で歩く。田本さんは明るく笑いながら勤めている会社の愚痴などを話してくれた。
会話が弾むが、よく考えたら彼女はあの桜の木をろくに見ることもなく俺と一緒に会場へ向かっている。たぶん何か思い出に浸りたかったのだろうに、悪いことをしてしまったな。
会場につくと、まだ開始まで三十分以上あるというのに多くの参加者が集まっていた。その中には例の夫婦もいて、俺達を見つけると笑顔で近づいてきた。二人の苗字は
「よう富弥! 久しぶりだな!」
旦那の方は中学時代に仲の良かった俺に話しかけてくる。こちらとしても仲良く遊んだ思い出があるので純粋に懐かしく、思い出話に花を咲かせた。
「今更になるけど、俺達結婚したんだ。結婚式にも招待したかったんだけど、連絡が取れなくてさ」
「ああ、ごめんな。その頃は日本にいなくてさ」
そうだ、二人が結婚する時俺は仕事で海外に二年間の転勤をしていて、帰ってから話を聞いたのだった。俺から連絡をする気にもなれなかったので、そのままにしていたんだ。
思い出した。俺があの桜の木の下に行ったのは卒業式の次の日だ。彼女をあそこに呼び出す勇気も出なかった自分が恥ずかしくて、あそこの木の下に自分の不甲斐無さを書き連ねた手紙を埋めたんだ。タイムカプセルなんかじゃないからそのまま腐って土に還っただろう。
それを考えると未だに昔の恋を引きずっていた自分はまるで成長していないんだな。
「ごめん、あの駐車場に忘れ物をしちゃって……一緒に来てくれないかな?」
同窓会の終わりに、田本さんが話しかけてきた。もう夜だし、女性を一人で歩かせるのは良くないと思い、二つ返事で引き受けた。
他のクラスメイトは二次会に向かうそうだ。俺達にも後から合流するように誘ってきたのだが、何故か男友達から肩を叩かれた。みんなは中学校に向かう俺達をしばらく笑顔で見送っていたが、なんだかみんなニヤニヤしてて気持ち悪い。そんなに旧友と会えたのが嬉しかったのだろうか? わからなくもないけれど。
「富弥君って、
山岡とは池内さんの旧姓だ。いきなり心の傷を抉ってくるとは、お主やりおるな?
「実は、謝らないといけないことがあって」
田本さんは、中学時代の思い出を語り出した。
彼女と山岡さんは親友だったそうで、恋の相談なんかも受けていた。なんと山岡さんは一年の時から俺のことが好きだったという。それで俺の好みとか彼女に対する気持ちを確かめるために協力することになっていた。
そう言われてみれば、田本さんはよく俺と池内が話しているところに話しかけて来ていた。あの頃の池内は田本さんのことが気になっていた様子で、彼女が話しかけてくるたびにドギマギしていた。
なるほど、田本さんは山岡さんの為に俺の好みなどを聞き出そうとしていた。その様子を見ていた池内はどう思っていたたろうか?
俺と山岡さんに置き換えてみればよくわかる。アイツも気持ちを伝える勇気を出せず、恋を諦めてしまったのだろう。
ある意味、俺のせいで。
「……あの子が告白する勇気を出せなかったのは、私が嘘をついたから。富弥君は他の人が好きみたいだって」
駐車場に到着した。田本さんは桜の木に手をついて、自分の罪を告白している。
「……どうして、そんな嘘を?」
ここまで来れば、さすがに鈍い俺でも分かる。でも、ちゃんと聞かなければならないんだ。だって、俺達は『忘れ物』を取りに来たのだから。
「私が、富弥君のことを好きだったから」
そう言うと、田本さんは振り返り、改めて口を開いた。
「……好きです。付き合ってください!」
俺は笑って言う。
「結局、みんな同じだったんだな」
彼女は自分の恋の為に親友に嘘をついた。それでも彼女は俺に告白することが出来ずにいた。
――断られるのが怖いから。
田本さんは俺の山岡さんに対する恋心を知っていたから、そして親友に嘘をついた後ろめたさから、なおさら勇気が出なかったのだろう。
俺も断られるのが怖くて「好きだ」という言葉を口に出せずにいた。池内は田本さんの気持ちを知っていたから、やはり告白できなかった。そして、山岡さんも俺が他の人を好きだと思っていたから、告白する勇気を出せなかった。全員、勇気の無い意気地なしだったんだ。
中学生の頃の誰かに、もうちょっと勇気があったなら。
そんなことを思ってみても、過去は変わらない。みんな、未来に向かって進むしかないんだ。そして、いま俺が見ている未来は、とても明るいものに思える。
「ごめんね、これが私の忘れ物なの」
「いや、みんなの忘れ物だよ」
池内夫妻にはさっきの同窓会で打ち明けたそうだ。他の連中もこの話を知っている。だからあいつらは俺達をニヤニヤしながら見送ったんだ。そこは中学生のノリのままなんだな、と呆れつつもなんだか嬉しくなった。
「……でも、親友に嘘をついた田本さんだけ上手くいくなんてずるくない? 二次会でもう一度謝りなよ」
俺はすこし意地悪く笑って言った。一瞬彼女は責められているのだと思って泣きそうな顔になったが、少しして俺の言葉の意味を理解したらしく笑顔になって抱きついてきた。
彼女の気持ちを受け入れることは過去の話を始めた時から決めていた。正直な話、田本さんとは今日久しぶりに再会したばかりなのだから、恋愛感情を持っているとは言えない。だけど、これからお互いのことを知っていって、愛情を育んでいけばいいんじゃないかと思う。
お互い相手のことを好きで、この人しかいないって状態で、気持ちの告白をして、それで初めて付き合いを始めるなんて、それこそ子供の恋愛観ではないか。俺達は過去と向き合い、気持ちの整理をつけて未来に向かって歩き出すと決めたのだから。
――ああ、二次会で相当いじられるんだろうな。
そう思いながら二人で歩く夜道は、不思議と明るく感じたのだった。
忘れ物 寿甘 @aderans
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