第269話 29『堪忍袋』
「母さん、何やってんだ!」
その場に飛び込んで来たのは、アンナリーナもその顔を見たことがある程度の冒険者だった。
「メルタン!
サーシャが、サーシャがっ!!」
女が、メルタンと呼ばれた冒険者の腰にしがみつき、物言わぬ骸となった娘の名を、ただ繰り返している。
メルタンはここに来るまでの間に、妹の身に起きたことをほぼ正確に把握していた。
残念だし、悲しくないわけではないのだが、そもそも一般人が一人であんなところに行くなど、自殺したいとしか思えない。
たしかに以前は子供たちが、木の実やキノコを取りに出かける事もあったのだが、ここ数年は浅いところでも魔獣を見かける事が多くなり、森に入ることは禁止されているはずだった。
「サーシャは自業自得だ。
母さん、リーナさんに当たるなんていい加減にしろ!」
「だっておまえ」
「そもそも報告の義務だってないんだ。遺体を回収出来ただけ良かったんだよ。リーナさんに感謝こそすれ、なじるなんて」
メルタンの目には怒りが満ちている。
「だって、助けられたって」
「バカな事言うな!
リーナさんは薬師だぞ。
得物だって大したものを持ってないのに、何考えてんだよ!
一体誰だ、母さんにそんな事を吹きこんだ奴は?」
チラリと、ホールの柱の影に隠れているミルシュカの方を見る母親を見て、メルタンは忌々しげに舌打ちした。
「またあいつか……
母さんは騙されているんだよ!」
それを聞いて見るからにおどおどし始めた母親に、懇々と説明する。
「……だから、究極の選択だが、もしもサーシャとリーナさんが同時に襲われていたら、俺は迷わずリーナさんを助ける。
それほど薬師というのは貴重なんだよ」
うずくまり、泣きじゃくる母親を、今度は宥めるメルタン。
そこにアンナリーナの姿は、既に無かった。
ギルドの裏口からドミニクスに導かれて、アンナリーナは早い時期に脱出していた。
そのまま、ギルドの男子職員を護衛として【疾風の凶刃】のクランハウスに戻ると、一気に階段を駆け上がりテオドールの部屋に飛び込んだ。
そのままテントに飛び込み、ツリーハウスに駆け込む。
「イジ、いる?」
「ご主人様?どうされました?」
「下に行って、熊さんを探してきてくれる?
……私、そろそろこの町と距離を置こうと思うの」
「何かありましたか?」
とりあえずだんまりを決め込んだアンナリーナを見て、イジは動き出した。
彼は以前、クランハウスの一階に行ったことがあるので顔を知られている。
「リーナ、どうした?」
すごい勢いでポーションを木箱に詰めているアンナリーナの様子に、テオドールは目を見張る。
「熊さん……
これからは私、少しずつこの町と離れて行こうと思うの」
「ギルドで何かあったらしいな」
テオドールの耳にも、今日の騒ぎの事は聞こえてきていた。
「うん、何かもう嫌になっちゃった。
……こうしてたまに戻ってきたらまた、あのひとに絡まれて、いい加減にして欲しい」
「じゃあ、あっちを何とかしたらいいだろう?」
「それが出来ないから居座っているんじゃないの?」
この町の有力者と縁故関係にあるからこそ、ミルシュカは今でもギルドにいる。
この町ではよく知られたことだ。
「それにおまえの後ろ盾になっている【辺境伯】と【ギルド】を忘れるんじゃない」
「もう、ここには居たくない。
……明日、立つから」
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