第15話 リッカ、ナギサの異変に気付く
(何だ?特進クラスのナギサがこんな所に来る必要はないはずだが……)
タバコを携帯灰皿で消して吸殻をしまい、何となくナギサの様子を目で追う。時間的には昼休みの真っ最中だから外を出歩いていてもおかしくないのだが、こんな所に来る用事もないはずだ。
何より、ナギサの表情が普段と全く違い、どこか思い詰めた顔をしているのが気になった。
(……あいつのあんな顔、初めて見るな。少し様子を見てみるか)
そう思ってナギサの後をつける事にした。どんどん校舎の奥へと進んで行くナギサ。周りに人影は見当たらない。
(どうやら人目に触れたくないようだな。まるで密会じゃないか)
これがもし逢引きとかであった場合、自分はとんだ出歯亀である。もしそうだった場合は即引き返そう。そう思っているとナギサが足を止める。少しすると校舎の影から一人の女性が姿を現した。三十代前半くらいのその女性の顔には見覚えがあった。
(あれは……講師か?名前は覚えてないが、教務室で何度か見かけた事のある顔だ)
特進クラスの臨時講師という立場柄、学園長と何かと自分を気に掛けてくれるメディ先生以外の講師とはほとんど関わりがない。あってもせいぜい事務的な会話と連絡程度だ。下手に自分から係わり合いになる気のない自分にとってはその方がむしろ都合が良いし、そもそも腫れ物扱いの生徒たちを束ねる立場の自分に自ら積極的に関わる奴もそうそういないというのが現状である。
(……にしても、ナギサの様子がおかしい。困っているようにも見えるが、それよりもナギサからはっきりと伝わる雰囲気は……嫌悪感だ)
ナギサの表情が気になり、出歯亀ついでに少し様子を見る事にする。脳内で魔法を構築し詠唱を唱える。
「……『隠せよ我が身、隠者の外套』」
『気配遮断』の魔法を唱えて二人の元へ近付く。これでナギサがいかに優秀でも自ら眼前に立ったり大きな音を立てない限りは自分に気付く事はない。魔法が発動したのを確認して二人の方へ更に近付いていき、ようやく二人の会話が漏れ聞こえる距離まで辿り着く。
「……れが、あんたの条件って訳?」
ナギサの声が聞こえてくる。心なしか声が震えているのは怒りと嫌悪感からであろう。近付いて女性の顔を確かめる。やはり女性は学園の講師だった。
「そうよ?悪い話じゃないでしょう?それで万事丸く収まるじゃない」
つり目のポニーテールの女講師が口元に笑みを浮かべて言う。女性に対してあまりこんな事を言いたくはないが、すこぶる下品な笑みを浮かべるその顔はナギサでなくても嫌悪感を抱いてしまう表情だった。
そう自分が思っていると女講師はナギサの肩にぽん、と手を置いて語りかける様に声をかける。
「ま、半月程考える時間をあげるわ。覚悟が出来たら私の元へ来なさい。悪いようにはしないから」
そう言って講師はその場を後にし、校舎へと戻っていった。自分の横を素通りする時点で『気配遮断』を発動している彼女が自分に気付く様子はなかった。それよりもナギサの方が気になり彼女の様子を見る。
「……っ!!」
無言で壁を殴るナギサ。その肩は震えている。今は声をかけるべきではないと思い、無言でその場を離れた。
「……あら?ナギサ、どうしたのよあんたその右手。午前中そんな怪我してなかったじゃない。昼休みに何かあった?」
午後の授業が始まって早々、ルジアがナギサに声をかける。おそらく先程の件で手を痛めたのだろう。だがナギサはいつもの調子で明るく答える。
「あはは。実はそうなの。あたしってばドジでさ。お昼に食欲無くて部屋の片付けしようとしてたら手の上に思いっきり重たい物落としちゃってさー」
ナギサが苦笑しながら言うものの、痛々しい包帯を巻いた手を見てルジアが言葉を続ける。
「や、あんた明るく言ってるけれどこれ結構痛いでしょ?うっすらだけど血も滲んでるし。ちょっとマキラかオルカ、これちょっと魔法で治療してあげなさいよ。私たちの中ならあんた達のどちらかが一番回復魔法は得意でしょ」
ルジアのその声に、マキラとオルカが立ち上がろうとするところを自分が手で制した。
「……いや、俺がやるよ。ナギサ、ちょっと手ぇ出せ」
そう自分が言うものの、ナギサが手を振りながら言う。
「え?いいよいいよリカっち。薬も塗ったし包帯もぐるぐる巻きにしたからさ。また包帯結ぶのも面倒くさいしさー」
そう答えるナギサの返事を無視してナギサの右手を掴む。
「そのままで良いよ。すぐ終わるから大人しくしてろ」
そう言ってナギサの返答を待たずに魔法を構築して詠唱を唱える。
「『癒やせよ痛み、賢人の霊水』」
布ごしにナギサの傷が塞がっていくのを確認する。それを感じたナギサが包帯を解いて叫ぶ。
「……え、リカっち凄っ!傷も痛みも一瞬で消えたんだけど!」
ナギサの様子を見てルジアとマキラも口々に言う。
「……やっぱ、あんた凄いわね。傷口に直接触れてないのに治るまでの速度が段違いに早いもの。私たちじゃこうはいかないわ」
「そ、それもですが傷を塞ぐと同時に痛みまで取り除くのが流石です。通常は怪我の度合いに応じて、痛みを取り除くか傷を塞ぐかどちらかを優先してから唱えるはずなのに……」
横で見ていたルジアやマキラもナギサの手をしげしげと見つめながら口々に言う。
「まぁ、こればかりは経験だよな。それに布越しとはいえ直接本人に触れて唱えているからな。実際生死がかかった戦闘の中じゃ戦いの最中に怪我を治す相手に直接触れて、なんて言っていられる状況なんてまずないからな。直接触れられなくても回復が出来る必要があったのさ。ま、触れた方が治癒の効果がでかいのは確かだけどな」
そこまで自分が言ったところで、感心しきりの二人の横でナギサが自分にしか聞こえないくらいの小さな声でぽつりとつぶやいた。
「……やっぱ、リカっちくらいに強くならないと厳しいのかなぁ」
ナギサのつぶやきに思わずナギサの方を見ると、ぱっと表情を変えていつもの口調で言う。
「ありがとリカっち!皆も授業中断してごめん!さ、授業授業!怪我も治ったし真面目に勉学に励むとするぜー!」
そう言って机に座り、魔法の教典を取り出すナギサ。一瞬きょとんとするものの、いつものナギサに戻った彼女を見て、皆も普通に授業を再開する。同時にマキラが自分に声をかけてきた。
「先輩、早速ですが先程の魔法について詳しくお聞きしたいのですが……」
マキラの質問に答えつつも、教典を読んでいるナギサから視線が離せなかった。
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