第4話 怖い人がもう一人いました
姉の桂木菫さん、妹の桂木百合さん、どちらも十人いたら十人が美人と言うに違いない。まあ、あくまで俺の主観だが。
息を切らして走って帰ってきた俺を嘲笑うかのように、俺の部屋の扉を塞ぐ菫さん。俺が百合さんと付き合っている事は知っている。昨日アパートに帰っていないだろうから、俺と一緒に行動していると考えていてもおかしくはない。
「おかえり、百合置いてきちゃったの?」
昨日まで彼女のお姉さん程度に付き合いのあったはずの隣人に、少しづつ警戒しながら部屋へと近づく俺。ビビりすぎだろ、と思いながらも菫さんも百合さんと同類としか思えなくて上手く足が前に出てくれない。そんな俺に対して、菫さんは屈託のない笑みで俺を待っている。スマートフォン片手に……
「喧嘩した? それとも……百合の事、怖くなっちゃった?」
「……あの、俺……部屋に入りたいんですけど……」
「それで? 百合から逃げるの?」
「………………」
核心をつかれた俺は、何も答えられなかった。答えた先にあるものが、ただただ怖くて言葉がでてこないのだ。
「……いや、後で……連絡入れますよ」
「ふーん」
疑いの眼差し……じゃないな、俺を弄んでいる目がこちらをじっと見る。その目が、薄く……淡く青色に光った気がした。
「そこ、どいてもらえませんか」
「ああ、ごめんごめん」
軽い調子で返事をした菫さんは、凭れていたドアからあっさりと背を浮かせた。
しかし、口元は笑みを浮かべたまま。
嫌な予感しかしない。俺はさっさと部屋へと入ろうと焦りながらもポケットから鍵を取り出す。鍵を開けると勢いよくドアを開け、颯爽と中へと入ろうとした。けど――
ガンッ――と、閉じようとしたドアは俺以上の力で阻まれる。
「もう少し、お話しよっか」
良い笑顔。現実を知る前までなら、姉にまで迫られたとか勘違いしそうである。
まあ、男の力を上回る怪力見せられた後でときめく奴なんていないけどな!
「俺用事が……」
「良いから良いから」
良くねぇよ。
「彼女のお姉さんと部屋で二人っきりになるわけにはいかないんですけど……」
これは正当な理由だろ。ていうか、これ以上の言い訳ないだろ。なのに、なんで力緩まないんですかね?
「え、何それ面白そう。妹の彼氏を寝取ろうとしたら、妹が帰ってきてドッキリ! 的な」
漫画みたい! と、何とも楽しそうにきゃっきゃと笑っている。
――的な。じゃねえ!
――ふざけんな、修羅場じゃねーか。しかも、二人して人間かどうかも怪しいのにこれ以上話が拗れてたまるか!
俺は「帰ってください」と、多少強引に菫さんをドアの外に追いやろうとした。が、男一人を軽々と押し倒せる女の姉も当然……力で敵うはずがなかった。
トン――と、軽く押された気がした。次の瞬間には、俺は昨日と同じ気分を味わう事になる。しかも今日は、玄関……床の上で。
ドアが閉まるバタン――という音が無情にも薄暗い玄関に響く。
「あーあ、入っちゃった」
閉まったドアの前。ねっとりとした口調の菫さんの唇は弧を描いて笑っている。
――あー、楽しそうですね……
その表情にすら恐怖しか浮かばない。直ぐに起き上がろうとするも、あっさりと菫さんによって阻まれる。俺を押さえつけるように俺の身体に乗り上げて、昨日と同じくどれだけ力を入れても菫さんの力に敵わない。
「昨日、百合とは楽しかった?」
――姉妹でそういう話ってするんですかね。俺一人っ子なんでわかんないんですけど。楽しい事なんて何一つなかったよ、ちくしょうっっっ
腹の内で諦めから悪態をつく俺をよそに、菫さんの右手が怪しく動き始めた。無駄にエロい動きで指先が俺の腹の上を辿って、俺の首筋へと。
昨日、噛まれたそこ。ご丁寧に貼られた絆創膏がペリっ――と剥がれる感覚で、俺はぞわりと昨日の感覚を思い出した。
「やっぱり楽しい事してる」
ふふっと甘い声色で軽く笑う姿は、百合さんに似ている。お陰で、恐怖は募るばかりだ。菫さんの瞳はより青く輝いて口元には牙が顕になると、更に――
「本当は、百合に足止めだけしてって頼まれたんだけど……ちょっとくらい、良いよね?」
「いや、姉妹仲良くが一番だと……思いますよ?」
姉妹仲なんて知ったこっちゃねーけど、俺としては昨日気絶したという記憶がある。これ以上、
「ちょっとだけだから、ね?」
――ね? じゃねえ! 無駄に雰囲気作ったって、はいどうぞって言うわけねぇだろ‼︎
俺の怒りなんぞ気にも止めず、菫さんが今にも俺の傷痕に向かって噛みつこうとした、時だった。
鍵のかかっていなかった玄関のドアがゆっくりと開かれる。差し込んだ光に一瞬安堵しそうにもなったが、直様に俺の心臓は今の今以上に縮こまった。ここに今現れるとすれば、一人しかいない。
「お姉ちゃん、何してるの?」
透き通った――そんな印象が消え、僅かにトーンの下がった声が新たな恐怖を呼ぶ。
ドアの隙間から姿を現した百合さん。その茶色かった瞳は、俺と菫さんを目にした瞬間から青く染まっていた。
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