第8話 目的の場所

 タクシーを降りて辺りを見回す。

 これといって特に変わったものは無く、ただの住宅街だ。

 姫は、いったい何処へ行こうというのだろうか。

 それよりも問題は、タクシー代だ。

 まあ、俺が無理やり付いて来たのだから、半分払うのは納得する。

 しかしだ、今細かいのがないから後で払うと姫は言った。

 お陰で俺の財布の中身はすっからかんになっていた。


「それはそうと、あんた、こっから先も付いてくる気?」


 姫の右目は、俺を品定めするようにじっと見詰めている。

 俺もここまで付いて来た手前、最後まで見届けないと意味がない。

 こちらの意志を感じとったのか、姫は深くため息をついた。


「わたしは、これから人と会うの。邪魔しないでもらえる? って言っても付いてくる顔してるのね。ああ、わかったわ。あんたがしつこいって事は。でもね、わたしも勝手にあんたを同席させるわけにはいかないの。一応、聞いてみるけど。向こうがダメだと言ったらダメだからね。ほんとに。その辺の常識は持ってよね」


 彼女なりの譲歩だった。なら、こちらはその気持に応えなければならない。

 わかったと頷く。


「ここで待ってて。OKなら連絡するから。って連絡方法がないんだった。番号教えて」


 そう言ってスマホを取り出す。

 俺達は、そこでお互いの番号を交換した。

 俺の携帯の連絡先リストに、あいつ以外の女子が初めて入った。


「じゃあ、行ってくるから。そこから動いちゃだめよ」


 念を押して、姫は立ち去っていった。

 しばらくは目で後を追っていたが、直ぐに脇道に入ったので見えなくなってしまった。


 じっと待っているのも退屈なものだ。

 実際には1分ぐらいでも、体感時間では10分ぐらいには感じてしまうだろう。それは多くの人が体験しているだろう。

 何度もスマホ画面を見ては、着信が入ってないか確認してしまう。他にする事もないしな。

 それにこんな道端に独りで立っているというのも落ち着かない。通行人や、住宅街の住民から、不審な奴と思われないかと冷や冷やする。

 近くに喫茶店は無いかと見回してみるが、まったく見当たらず、見えるのは田んぼと住宅だけだった。

 まあ、そもそも喫茶店に入れる程のお金はもうないのだが。


 暇を持て余すあまり、姫には付いて来るなと言われたものの、他にやる事もないので、彼女が歩いて行った方向へ行ってみる事にする。

 彼女が曲がった脇道まで来たものの、その先何処へ行ったのか、もはや姿は見えない。


 電話を掛けてみようと思ったが、流石にウザがられそうなのでやめておく。


 時間が経つに連れて、ほんとにあいつは連絡する気があるのか、疑い始めた。

 時間を見ると、そろそろ姫と別れてから三十分は経っていた。

 俺に連絡すると言っておいて、そのまま放置とかも、姫ならやりかねない。むしろあいつならそうするのではないか。体よく俺を付いて来ないようにさせたのではないかと。

 仮にそうだとして、何が出来るかと言えば、電話するぐらいしか思いつかない。


 何度も、電話を掛ける寸前まで行って、通話のボタンをタップ出来ずに画面を消す。


「はぁ、何やってんだろうな俺」


 よくよく考えれば、自分で自分の行動がわからない。

 姫の様子がおかしかったのは事実であり、それを心配に思ったのは事実だ。

 でも、だからと言ってあいつの後を追い掛けてここまで来るとか、正気じゃない。

 きっと正気の俺ならそんな事をするはずがなかった。

 きっと最近の出来事のせいだ。夢の中で起きた戦いや、魔術師の事。そんな非日常の影響なのだ。


 帰ろう。

 スマホで地図アプリを起動して現在地を確認する。

 駅までは遠いが、歩いていけない距離ではない。

 地図を頼りに歩き出す。


「何やってんの? あんた」


 振り向くと、姫が立っていた。


「え? おまえ、電話するって言ってなかったか? おまえこそ何してんだ?」

「絶対断られると思ってたのよ。特にあんたは。だから、電話で断られたから帰りなって言うつもりだったの。でもなんか来ていいって言われたからね。電話で言ってもどうせ道案内が必要になるでしょ。それならもう迎えに行った方が早いと思ってね。でもなに? ずっとじっとしててって言ったのに。自力で探しに来てたの?」

「いや、そういうわけじゃない。ただ、あんまり遅いからうろうろしていたところだ。危うく帰るところだったぞ」

「はぁ。もう少し遅く来た方がよかったのね。しくじったわ」


 よっぽど姫は俺に帰って欲しかったようだ。

 危ないところだった。危うく今日の出来事を全て無駄にするところだった。


「んじゃ、しょうがないから、案内するわ。ついておいで」


 そう言うや否や、元来た道をすたすたと戻っていく。絶対、俺を案内する気ないだろう。このまま俺が見失ってくれたらいいとぐらい思っていそうだ。

 見失わない様に慌てて追い掛ける。

 まあ、姫は小さいから、すぐに追いつくわけだが。


 余程、俺を警戒していたのだろうか? 目的の場所までかなりの距離があった。

 自力で場所を探し当てようとしていたら、絶対に見つける事は出来なかっただろう。


「ここよ。いい? 何があっても慌てないで。冷静にね」


 姫が示した場所は、普通の一軒家だった。

 割と大きな家だ。それなりに裕福な家庭である事が窺われる。

 ふと表札を見る。

 一般の民家のようだ。普通に人の名前が書かれている。


「佐奈川……」


 そう表札には書かれていた。

 その名字には聞き覚えがあった。


 まさか、由美の家か?

 そう、由美とは仲が良かったとはいえ、どこに住んでいるとかまでは知らなかった。

 

「久しぶり……隼人」


 ドアを開けて迎えてくれたのは、由美だった。

 今は初夏だと言うのに、フードをすっぽりと被っていて、顔が見えない。


「なあ、由美、俺は」

「話は中でゆっくりしな。とりあえず佐奈川さん、中に入れてくれるかしら」


 由美は姫に頷き、家の中に案内した。


 俺は、たくさんの女の子と仲はよかったが、部屋に入る様な事は今まで無かった。

 こんな状況でなければ、気分も高揚した事だろう。しかし、今はそれどころではなかった。


 ローテーブルの周りに俺と姫は腰掛ける。


「飲み物、用意してくるね」


 そう言って、由美は部屋を出ていった。


「女の子の部屋に入った感想は?」


 姫がいたずらっぽく聞いてくる。こんな状況で何を聞いてきやがるんだ、こいつは。


「別に。い、いや、大した事ないという意味ではなく、その、今はそんなところに意識がいかないっていう意味でだなあ」


 危うくどうでもいいと言いそうになった。それはそれで問題あるような気がした。女の子の部屋に入って、何の感想も無いというは流石にまずい気もする。とはいえ、こんな状況では不謹慎な気もしてなんと言えばいいかわからなかった。


「だよね。だから来るなと言ったのに。せっかくイベントをこんな形で消費しちゃうのはもったいないでしょうが」


 もったいないか。まあ、確かにもったいない。どうせならわくわくした気分で入りたかったものだ。


「それはともかくだ。由美に何の用なんだ? そもそもに由美との繋がりがあったように見えないんだが? いつ仲良くなったんだ?」


 こいつは由美と話しているところを学校で見た事が無い。しかも転校して来て数日しか経ってないのに、家に来るまでの仲になっているとはとても思えなかった。

 それに、こいつと由美の相性的なものも良いとは思えなかった。由美はバリバリの体育会系っぽい女子だし、こいつはどちらかといえばインドア引きこもり風だ。


「別に仲良いわけじゃないよ。まあその辺は佐奈川さんが戻ってきてからまとめて話すわ。それまでは部屋でも眺めて大人しくしてなさい」


 部屋を眺めろといってもなあ。あんまりじろじろと見るのは失礼だしなあ。誰もいない状況ならまだしも、俺が見ている状態をこいつは逐一見ていて、後で報告するつもりなのだろう。それは間違いなかった。

 仕方がないので、スマホを取り出して地図を眺める。次にここに来るときの為に、正確な位置を覚えておく為だ。


 スマホを眺めながら、姫の様子を窺う。姫は、部屋の彼方此方を歩き回り、何やらごそごそしていた。人の家で何やってんだこいつは。男の部屋をガザ入れするならわかるが、女子の部屋だぞ。いったい何を探しているのだろうか。なんかとんでもない答えが帰ってきそうだったので、触れずにそっとしておいた。


 程なくして、由美が帰ってきた。

 お盆に冷えた麦茶が人数分のガラスコップに注がれていた。


「どうぞ」


 そう言って、姫と俺の前にコップを置いた。

 フードから顔が見えないかと見ていたが、顔が見える事は無かった。


「さて、誰から話す? ちなみに、わたしの用事はもう済んだからね。後は、お二人のお好きなように」


 そう言って、姫は半ば投げやりな態度で毒づいた。

 その様子から、姫からは話すつもりは無いことが窺われた。

 由美に聞きたい事は、いっぱいある。しかしその表情はフードの中でわからない。


「えっと、じゃあ、俺から」


 こほんっと咳払いをして、気持ちを整える。

 

「まず、由美、なんか急に来てごめん。ここの来るって知らなかったんだ」


 この辺りの説明はしたのかと、姫に目線で確認したが、姫は知らん顔をしていた。

 こいつ、何も説明してやがらないな、これは。

 わざとだな。これはわざとだな。こいつの嫌がらせか。


「姫、姫乃が、教室を突然飛び出したもんだから、何事かって付いて来てしまった。そしたらここに来ちまって」


 由美と話すのが久しぶり過ぎてどうも調子が掴めない。どうにもしどろもどろになってしまう。いままでどういうふうに会話していたのかすら、思い出せないでいた。

 それに俺は、何の言い訳をしているんだ。

 情けない気持ちのまま、そっと由美を見ると、彼女は身じろぎもせず、じっと黙って聞いている。

 そうだった。姫を心配して付いて来たとはいえ、今目の前にいる由美の様子がやっぱりおかしい。

 今に始まった事じゃない。ここ数週間の出来事を考えればここは、それを聞くチャンスではないか。


「由美、聞きたい事がある」


 そう思うと、気持ちが固まった。


「何があった? それとも、やっぱり此処では話せないか?」


 由美の肩がぴくりと動いた。

 由美は、姫に近寄って、二人で何やら確認を取ってから、呟いた。


「たぶん。と思う」


 そう言うと、フードが姫の方を向いた。

 姫はそれに応えて頷く。


「大丈夫よ。今、この部屋に結界を張ったから、透視は効かないわ。思う存分話せばいいよ」


 姫は由美の背中を優しく撫でた。

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