第7話 タクシーにて
竹林を抜け、ようやく道路に出る。
姫は疲れた様子で、後ろで肩を揺らしている。
「めっちゃ体力無いのな。お前。これぐらいで息が上がってるのか?」
「うるさいわね。わたしは体力には自信がないのよ」
そんな事、自信たっぷりに言われてもな。
魔術師としての活躍を見たせいか、こいつは凄い奴なんだと思っていた。だから、こんなヘタっている所を見るのは意外だった。
「それよりもよ、あんた。さっき話した事は、全部秘密だからね。誰かに喋ったりしたら、連中に始末されるわよ」
「さっき話した事? どれの事だっけ? そのモノクルの話か?」
「全部よ!」
疲れたあまり、説明するのが面倒になったのか、姫は吐き捨てるように怒鳴った。
やれやれ、どうもこのお姫様はご機嫌が悪いようだ。
「タクシー来ないじゃない」
辺りを見廻していた姫が、詰問する様に言ってきた。
「そうだな。こんな辺鄙なところにタクシーは、たぶん来ないぞ」
「は? そーいう事は早く言いなさいよ! 何処で拾えるの?」
「それ以前にお前、タクシー使うとか言ってないだろ? まったく、お前こそ、そういう事は先に言えっての。うーん、そうだなぁ。この先の大通りまで行けばあるかもっ、おわっ!」
こっちが言い終わる前に、腕を掴まれて引っ張られる。
「大通りってこっちでいいのよね?」
小走りで俺を掴んだまま、道を進む。
「あってるけど、まだまだ先だぞ」
聞こえていないのか、無視しているのか? 彼女はグイグイと俺を引っ張りながら、道路を進んで行く。
しかし、程なくして力尽きる。
「大通り、はぁはぁ、何処よ?」
喘ぎながら、俺を見上げるその上気した赤らんだ顔にドキリとした。汗ばんだ顔に、おくれ毛が張り付いている。
「なに黙ってんのよ。訊いてるでしょ? 早く答えなさいよ」
「だから、まだもっと先だって。さっき言っただろう」
そんな事知らないと言った風に、ぷいっとそっぽを向いて歩き出した。
仕方なく後ろを付いて歩く。
「ところでさ。あんた、何で付いてくるの? 道路に出る案内は頼んだけど、そこまでのはずじゃない」
「いや、なんというか、お前が腕掴んで引っ張って来たんだろう。自覚なかったのか?」
姫は、立ち止まり、思案顔で、じっと黙って自分の両手のひらを見つめた。
「覚えてない」
そう言った姫は、ぽかんとした表情だった。
「まじか?」
「うん。まじ。まじ」
彼女は、自分の手のひらを見つめたまま、こくんこくんと頷く。
嘘を付いているようには見えなかった。どうやら本当に自覚がなったようだ。人って無意識で他人を引っ張れるんだと知った。
「なんかごめん。もういいから、学校帰りな。ここまでありがとう。じゃあね」
こちらを見ることはなく、済まなさそうに呟いて、姫は後ろを向いて歩き出した。
そんな後ろ姿に俺は反射的に肩を掴んでいた。
「ちょっと待てよ。ほら乗り掛かった船っていうかさ、なんか今から授業に戻るのも教室入り辛いしさ」
「自分のさぼりの口実にわたしを使わないでくれる?」
振り返り様に腕を振り払われて、俺は、キッと睨まれる。
「好きにサボって、どっか好きなところに遊びに行けば? わたしに付いてくる必要ないでしょ?」
「なんだよ、つれないなあ。いつもはお前の方から絡んで来るのに」
「それは、仕方なくやってるの。あんたと一緒にしないで」
「仕方なくってなんだよ?」
「わたしがあんたに絡んだのは―――」
姫は足を止めて、振り向き、吐き捨てるように言葉を投げ付けようとして固まった。
「絡んだのは、なんだよ?」
「言わない!」
悔しそうに唇を噛んで、また彼女は歩き出した。
それから大通りまで、およそ十分ぐらいだろうか、お互いに黙ったまま一緒に歩いた。
仕方なくやってるの。彼女は確かにそう言った。
その事が何度も何度も心の中でリフレインする。
気持ちがざわざわして何だか落ち着かない。
大通りに付くと、ちょうどタクシーがやって来るのが目に入った。
すっと手を上げてタクシーを拾う。
「おい、乗るんだろ?」
「いや待って。あんた、なんで先に乗ってるのよ。あんた、まだ付いてくる気? ストーカー?」
「なんとでも言え。ここらはそうそうタクシーは来ないぞ。次はいつ来るかわからない。今のうちの乗った方がいいぞ。急いでるんだろう?」
「あんたねえ。何を勝手に」
ぐたぐたと埒が明きそうになかったので、姫の腕を掴んでタクシーの中に引入れる。
「ちょっ、え、や」
可愛らしい悲鳴にドキっとしたが、構わずバックシートに引きずり込んだ。
「あんた、ちょっと、離れて! 触れるな! ほら、もっと奥に行け! 早く!」
いっぱい殴りつけられた。まあ、これは俺が悪いか。取り敢えず、大人しくシートの奥に移動する。
チラッと彼女の様子を覗うと、姫は乱れた制服を綺麗に整えていた。
「まったく。あんたに辱められた気分だわ。覚えておきなさい。きっといつか仕返ししてやるから」
こちらは見ずに俯いたまま、そんな事を言う。
「大丈夫ですかー。ドア閉めますよー」
一連の騒動を黙って無反応を貫いていた運転手さんが、やる気なげに注意を促した。
声音から、こちらに関わりたくないという感情が溢れている。
お仕事中ごめんなさい。きっと、いちゃついている高校生男女に見えていることだろう。
「はい。大丈夫です。閉めてください。いいよな?」
念の為、姫に確認するが、彼女は無反応だった。
運転手もその様子を伺いながらドアを閉めた。
「どちらまで?」
そう言えば、姫が何処に行こうとしているのか知らない。
だから、彼女の返答に注意を払った。
「えっと、院庵寺の入口までお願いします」
院庵寺? 聞いた事がない寺だ。
まあそもそも寺に詳しいわけではない。
知っているのは近所の寺だけだ。
つまりは、行き先は近所ではないという事だ。
たぶん。
タクシーが走り出し、姫はドア窓から流れる風景を長い時間じっと眺めていた。
話し掛けるなという空気で圧迫されそうになる。
仕方なく俺もドア窓の方へ視線を移した。
タクシーは、学校の近くとはいえ、普段通らない場所を走っている。
閑静な住宅街だ。
大きな一軒家が多く立ち並ぶ。
俺の家とは大違いだ。俺のところは、ごく普通の小さな一軒家だしな。
お金持ちは、俺が思っているよりたくさん居るようだ。
今の暮らしに不満はないので、取り立てて大きな家に住みたいとは思わないが。
「ねえ」
しばらく時間が経ってから、姫がようやく口を開いた。
「何であんたも乗ってるのよ」
「今更だなあ。まあ、なんだ。成り行きだ」
彼女の呆れた様子が、空気で伝わる。
それとともに、その右目から詳しい説明を求める強いプレッシャーも感じた。
「いや、その、お前がさ、突然教室飛び出しただろう? だから何か大変な事が起きたんだと思ったから。だから、なんというか、助けようと思ってな」
その言葉に嘘はない。
いつも自信に満ち溢れ、何かもお見通し様な振る舞いをしていた奴だ。
そんな奴が、急に青ざめた顔で教室を出ていったんだ。
何かとても大変な事が起こったに違いない。
そう思うのは自然な事だった。
「もうあんたには関係ないって言ってんじゃん」
突き放す様な彼女の言葉。
しかしいつものような、強さは無かった。
「お前が大変なら、ほっとけないだろう?」
つい口をついて出た言葉だった。
しかし本心だった。
「なんでよ? わたしの大変さがあんたに何の関係があるっていうの」
「なんでってそりゃ、友だち? いや、友だちじゃないかもしれないけど、なんというか、その、それなりにだな、仲良くなった奴が困っているなら、手を貸すのはそんな不思議な事じゃないだろう? それにほら、いろいろとあっただろう? 夢の中での事とか。それに関する事なんだろう? だったら無関係ってわけじゃないだろう? 気になるしさ」
しばらく沈黙したまま、右目が瞬きせず、じっと俺を見詰める。
そして、「そう」とだけ、ぼそっと呟き、再び外に顔を向けた。
そのまま、どれだけ時間が過ぎただろうか?
姫は黙ったまま。
目的地にはまだまだ着かない感じだった。
それよりもだ。
何を緊張しているんだ。俺は。
女の子と話すなんていつもの事だろう。
今日はどうしたというのだろう。
こいつの隣に居る事が、妙にむず痒い。
タクシーの中という閉鎖空間のせいだろうか?
後部座席ですぐ横に、揺れたら身体が触れ合いそうな位置に彼女がいる。
そうだ。この距離のせいだ。それに違いない。だからなのだ。今まで流石にこんなに近くで女の子と一緒に居た事はない。合点がいった。そうなのだ。俺がこいつに動揺するなんてあるはずがないじゃないか。
そう理解すると、少し余裕が出来た。
「近い。もっとそっち行って」
「無茶言うな。これでもギリギリ離れてるんだよ。普通に座ってるだろが。俺が近づいてるみたいに言うなよ」
「あーもうっ! あんたが無理やり乗って来るからでしょう!」
そう言うと姫は、ドアにへばり付く様に無理やり距離を取って、そっぽを向いた。
「お前、もしかして」
「なによ?」
「男に免疫ないのか?」
「なっ!?」
姫は勢いよく振り向くと、顔を真っ赤にしてまくし立てた。
「め、め、免疫ぃ?! それぐらいあるわよ。だってわたしの、いっぱい告られて来たしー、付き纏われたしー、執着されたしぃ!」
「いや、そういうのじゃなくてさ、男と付き合ったりした事ないだろ?」
「なっ?! 付き合う?! そんな事あるわけないでしょ!」
「ないわけじゃないだろう。同級生でも付き合ったりしてる奴は何人も居るぞ。珍しい事じゃないだろ」
「いやらしい」
「なんでだよ」
姫はまたそっぽを向いてドアから流れる風景を、黙って眺め始めた。もう話は終わりと、その後ろ姿が語っている。
それはそれとして、こいつの意外な一面を見れた事が嬉しい。いつものミステリアスで何を考えているのか解らないこいつも捨て難いが、今の方がより身近に感じられる。何か普通の女の子だ。クラスに居るたくさんの女子生徒と違いはない。
そんな事に安心した。
「ねぇ、何か話してよ。黙ったままだと息が詰まりそうだわ」
少し、いつもの調子を取り戻したのか、そんな事を言って来た。でもその口調がどうしてか、寂しく感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます