第2話 魔術師

 朝のホームルームが終わると、俺の右隣の席を一斉にみんなが取り囲んだ。つまり、片眼鏡の転校生、冴木姫乃の席だ。そりゃまあそうだろう。転校生である事。女子生徒である事。可愛い事。そして変な片眼鏡をしている事。それだけ材料が揃えば注目の的になるのは当たり前だ。みんなが彼女にいろんなことを聞き始めた。片眼鏡の事や、前の学校の事、住んでる場所など。そして彼女は、みんなにもてはやされて人気者になるだろう。そう思っていた。


「うるさい。散れ」


 大きな声ではないが力のあるドスの効いた声だった。冴木、いや姫と呼べと言っていたから姫と呼ぶが、それは姫が放ったものだった。鬱陶しくたかってくる虫を追っ払おうするかの様だ。

 男子生徒は皆その声に気圧されてすごすごと自分の席へ帰っていく。女子生徒たちは口々に「ごめんね」と誤りながら去っていく。その中で一人だけ姫の前に立ち、睨みつけている女子生徒が居た。このクラスの女子のボス、鷹野希里たかのきりだった。女子高生の生態は詳しく無いのだけど、なんとなくクラスの女子全体をまとめているような存在だ。まあ派閥はいろいろあるようだけど。その中の最大派閥のボスみたいなものだろう。

「あんた、その言い方はないんじゃない?」

 まったく同意見である。先程の姫の態度はいたずらに摩擦を生むだけのものだ。俺に見せていたさっきまでの接し方とはまるっきり反対の、拒絶の態度だ。基本的に女子同士のいざこざに関わりたくないのだが、すぐ横の席でやられているし、席を立って離れるのもなんだか逃げる様で嫌だった。とはいえ下手に口出すわけにもいかず結局見守るしか出来ず、情けなく固まってしまっていた。

「騒がれるのは好きじゃないのよねぇ。それに貴方みたいに群れるのもねぇ。どうせ自分の立場守りたいだけなんでしょう? そんな事に突き合わせないでよねぇ。わたしはあなたみたいに暇じゃないし」

 手でしっしと追い払う素振りを見せる。

「なっ、この!」

 姫の仕草に頭にきた鷹野が、裏拳ビンタを放つ。パーンと派手な音が教室中に響き渡る。周辺の空気が凍りついた。

 しかし、ビンタでぐらついたと思われた姫は、姿勢を崩しながらも右手を彼女の顔に突き出していた。その手にはシャープペンシルをいつの間にか握っており、鷹野の左眼に突き刺していた。いや、その手前、寸止めにしていた。

「わたしとお揃いにしてあげようか?」

 姫のドスの効いた声に、鷹野はしばらく固まっていたが、ふいっと後ろを向いた。

「邪魔よ!」

 すぐ後ろに居た羽島さんを突き飛ばして、歩き去っていった。突き飛ばされた羽島さんは、机の上を転がり、派手な音を立てて机と一緒に転倒した。女子生徒たちは羽島さんと鷹野を交互に見つつその場から動けずにいたし、男子生徒は女子に対する照れなのか羽島さんに近付けずにいた。

 結局俺かよ。また何言われるか分かったもんじゃないが、誰も助けに行かないのならば仕方が無いじゃないか。仕方なく、羽島さんに駆け寄り助け起こす。彼女は「ありがとう」と弱々しい声で返事をして立ち上がろうとしたとき、床に散らばるビーズの様なものを見つめて悲鳴を上げた。

 突然の事に驚いたが、恐らくビーズか何かで作られたペンダントが転んだ拍子に弾けてしまったのだろう。彼女は必死でそれらを手で拾い集め始めた。俺も近くを探して、落ちているビーズを拾って彼女に渡した。彼女は俯きながらそれを受け取ると教室の外に走り去ってしまった。

 追い駆けようと思ったが、ここで追い駆けると何かが変わってしまう気がして動けなかった。明確に何なのかわからないけど、ゲームで言うところのルートに入ってしまう。そんな予感がしたのだ。

「あら? 追い駆けないんだ?」

 そっと側に寄って来ていた姫が呟く。

「追い駆けた方がいいか?」

「さあ?」

 自分から聞いておいて、興味無しといった態度はどうかと思うが、特に正解というのは無いのかもしれなかった。ここにあるのは選択なのだ。そう思った。そして躊躇っているうちに追い駆けるタイミングを逸してしまった。なら仕方がない。今更なのだ。

「それよりもだ、お前、さっきの態度は流石に無いと思うぞ」

「そう? うんじゃ今度から気を付けるよぅ。隼人くんの言うことなら聞いてあげる」

 そして、「ほら、先生が来るよ」と、話を一方的に打ち切り席に座るよう促して来た。仕方なくそれに従い、大人しく座る。しばらく姫の方を見ていたが、彼女は視線を合わせようとはしなかった。じっと前を見詰めたまま此方を見ることはなかった。話し掛けるなという空気に気圧されて、これ以上の追求は諦めざるを得なかった。


 羽島さんはあの後、二時限目から教室に戻ってきたので、少し安心した。追い駆けなかった事に少し後悔と後ろめたさがあったが、まあ大丈夫なのだろう。そう思うことにした。


 姫とは何となく話しづらくなったまま午前中が終わり、そしてお昼休みを迎えた。屋上に付き合えといった約束はどうなるだろうかと思いあぐねたが、姫はあっさりと「何してんの? 早く行くよ」と促してきた。こいつは何とも思って無かったのか。なんで俺一人、あれやこれやと心を砕かねばならんのだと馬鹿らしくなってくる。そんなもやもやした気持ちを抱えたまま屋上へ向かう。


「屋上は、そういえば立入禁止なんだわ。錠が掛かっているとは思わなかったが。どうする?」

 屋上に着くと、外へ出る扉は鎖と南京錠で硬く閉ざされていた。

「窓があるじゃない」

 姫はそう言うや否や、窓をガラリと空けて登ろうとする。登り際にスカートが捲れそうになったので、咄嗟に後ろを向く。流石にじっと見るわけにはいかない。これはエチケットっていうやつだ。

「ねぇ?」

 呼ばれたので振り返ると、まだ登ってる途中で見えそうだった。

「おい! バカ! 降りてから呼べよ。見えるだろうが」

 せっかくのエチケットが吹き飛んじまったじゃねえか。

「えー、別に気にしないよ。それぐらいの事。それよりさぁ、こーいうときはさぁ、男性が先に登って女性の手を引くとポイント高いと思うんだよね」

「登ってから言うな!」

 カラカラと笑いながら、彼女は屋上へと飛び降りた。

 まったく何だってこんな事をしているんだ俺は。ブツブツと文句を言いつつ、彼女に続いて窓を乗り越える。

「晴れててよかったわ。これでお弁当がゆっくり食べれるね」

 壁際にハンカチを敷いて彼女は座った。こういうところは女の子だなと思う。朝のあの剣幕は一体なんだったのだろうか。一体どっちが本当の彼女なのだろうか。いや、どちらも本当の彼女に違いないのだろう。

 「なにしてんの?」そう言って、彼女は手でポンポンとコンクリートの地面を叩き、横に座る様に促してきたので、遠慮なく隣にどかっと座る。ハンカチは持っていないのでそのままだ。

「おっとこの子だねぇ~。汚れが取れなくなるよ?」

「いいんだよ。めんどくさいし」

 ふーんっと特に興味なさげに反応された。いまいち彼女が何を考えているのか分からない。よく考えればまだついさっき会ったばかりじゃないか。分からなくて当然と言えた。

「見てみて、これわたしが自分で作ったんだよー」

 可愛らしい小さなピンクの弁当箱の中身を見せつけてくる。卵焼きや、タコさんウィンナー、ほうれん草などよくある弁当だった。取り立ててすごいというものは無かったが、彼女的には上手く作れたとご満悦の様子だったので、水を差すのはやめておこう。普通に褒めておいた。まあ、俺は自分で作れないから、この弁当をとやかくいう資格がそもそもないしな。

「隼人くんのはお母さん弁当かな? いいなあ」

 俺の弁当を覗き込みながら、ふむふむと中身を吟味しているようだ。これからの弁当作りの参考にしようという意思が見て取れた。

「姫のお母さんは作ってくれないのか? いつも自分で作ってるの?」


「あー、それ聞いちゃうかあ。まあそうだよねえ。先に謝っておくね。ごめん。わたし両親居ないんだよね」

 さらりと言われたので理解するのが一瞬遅れた。

 両親が居ない。死別か、別居か、いろんな意味があるだろう。しかしこれ、突っ込んで聞いていいものか。いやその前に。

「なんかごめん。えっと」

「ああ、気にしないで。知らなくて当然だし。まあ、この事は話すつもりじゃなかったけど、まあいいや。でもみんなには言わないでね。約束だよ。このネタでからかわれたりしたら、さっき程度じゃ済まなくなるからね」

 何やら恐ろしい事を言いながら寂しく笑った。そして、片眼鏡をコツコツ指で叩きながら、

「こいつ、まだちょっと不安定なのよね。中々制御が難しくてさぁ。ああ、そういえば、こいつの事聞きたかったんだよね? こいつはさあ、わたしの左眼用にマスターが作ったモノなんだよ。ああ、マスターっていうのは、わたしの今の親代わりの人」

「眼鏡屋さんなのか?」

「あはは。眼鏡やさんかー。いやいや、そーいうんじゃなくてー。この片眼鏡はね、普通の眼鏡じゃないのよ。世界でたった一つ。わたしの左眼の為だけに作られたものなのよ。魔法のアイテムって言ったら分かりやすいかしら」

「なんだそりゃ。お前、また俺をからかってるだろう?」

「からかってないよ。本当の事だよ。でも信じないならこの話は終わりよ。あー、この話も他の人にしちゃだめだよ。もし話したりしたらぁ~、殺しちゃうぞ」

 にっこりほほえみながら箸で俺の鼻を摘んでくる。

「別に話さないよ」

 姫の箸を払って、自分の弁当に集中する。


 結局無言のまま最後まで食べ終わってしまった。

「そろそろ戻ろう」

 そう言って立ち上がると、彼女は素直に従った。

 彼女は立ち上がると俺に近付き、パンパンっと尻を叩いてきた。

「な、なんだよ? 何すんだよ?」

「汚れてるから、払ってあげてるのよ。感謝しなさい」

 払ってもらうのは有り難いのだが、何か悪意が感じられる強さだった。痛い。実際痛い。やっぱ怒っているのか? 信じなかったから?

 もういいからっと言って距離を取って逃げるが、追ってきやがる。そんな追っかけっ子をしばらく続けた後、「流石にもう戻らないと遅刻するぞ」という一言で彼女を納得させ、戻ることにする。


 先程の姫の言葉に習い、先に窓を開けてよじ登る。

「ほら」と言って、手を差し出す。

「ありがとう」と彼女は、満更でもない顔で微笑んだ。


 少しばかり走って、教室に着いたのはギリギリの時間だった。席につくと同時にチャイムが鳴った。

 なんとか転校初日の転校生女子と二人で遅刻にならずに済んだ。そんな事になっていたらまた何を噂されるか分かったものではない。


 弁当を食べた後の授業は、ひたすら眠い。さらにちょっと走ったせいもあり、眠さがいつも以上だった。睡魔と戦いながらやっと今日の授業が終了した。


 俺はクラブ活動に参加していないので、放課後になると後は帰るだけだ。教室をざっと見回すが、由美の姿はもうなかった。誠司のやつも居ない。特に報告もないところを見るとまだ何も情報を掴めていないのだと思う。なら、今のところ特に出来る事はない。


 カバンに教科書やノートを詰め込み、さあ帰ろうとしたところを制服の裾を掴まれる。

「一緒に帰ろうぜー」

 掴んでいたのは姫だった。

「一緒にって、お前家どこなんだよ? 俺は電車で隣駅まで帰るんだぞ?」

姫は家の場所には答えず、「じゃあ駅まで」とだけ言った。


 なし崩し的に一緒に帰る様な感じになってしまった。そもそもなんでこいつは俺と一緒に帰るんだ? 意味がわからない。初日からこんなに懐かれている意味がわからない。他の人とはあんなにも険悪だというのに。

「ねぇ、どっか面白いところとかないの?」

「ないよ。特にこの辺で遊びに行く事無いからな」

「そうなんだ。普段何してるの?」

「別に、いつも家にとっとと帰ってるよ」

「ふーん。引きこもり?」

「うるせえ」

 そんな他愛のない会話を無意味に続けながら、駅に辿り着いた。

「着いたぞ。んじゃ俺は行くからな」

 振り切る様に手を振ってさよならをすると、彼女は「ねぇ?」と言って引き止めてきた。


 直ぐ側まで寄って来て少し屈めと手で合図してくるので、素直に少し屈んでやった。


「とっておきのわたしの秘密を教えてあげる」


 そして彼女はその口を俺の耳元に近づけてこう言った。


「わたし、魔術師なの」

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