片眼鏡のJK魔術師

杉乃葵

第1話 片眼鏡の少女

 最近、由美の様子がおかしい。

 彼女の様子がおかしくなったのは二週間ほど前だ。いままでは、クラスのみんなから付き合っていると勘違いされる位に彼女とは仲が良かった。彼女との出逢いは高二の四月、数ヶ月前だ。同級生になったのが切っ掛けだ。席が近かった事もあり、少しずつ会話する様になり、いつのまにかいつも一緒に居るようになった。最近ではお昼も一緒に食べるぐらいにだ。それが顔を合わせても眼を逸らされて会話が無く、直ぐに何処かへ行ってしまう。電話してもメールしても返事はなくなった。

 思い返せば、最初に感じた違和感は、急に人目を恐れる様になり、俺と話すときは必ず人気の無い所まで引っ張って行くようになっていた。一緒にいる所を見られるのが今更恥ずかしくなったのかと思ったが、どうもそうではないらしい。彼女の様子から察するに、それは恥ずかしさではなく、恐れだった。誰かの眼を恐れている。そんな感じだった。問い質してみても応えない。なんでもないと言うだけだった。そしてある日、彼女は左の頬をガーゼで抑えた姿で登校して来た。どうしたのかと声を掛けたが、「別に」とだけ眼も会わさず呟いて走り去ってしまった。そして今に至る。

 そして俺にとっては非常に不名誉な噂が拡がっていく。何故か、俺が彼女を殴ったという事になっているようだ。状況から見た勝手な推測だ。俺は今迄女の子を殴るなんてしたことは無い。しかしまあ、わからんでもない。わからんでもないのだが、実に不名誉だ。いつも仲良しで付き合っていると覚しき二人に、突然女の子の頬に治療の痕ができ、彼氏を避けるようになった。そう見えたら、別れ話が拗れて、彼氏が殴ったと想像するのも無理はない。由美の方もその事をちゃんと否定してくれてはいる様だが、怯えて本当の事が話せないのだと解釈されていっているようだ。まったくなんて事だ。俺が何をしたというのだ。こうなれば絶対に真相を突き止めてやる。由美の為にも、俺自身の名誉の為にもだ。


 結果として、しばらくはお昼休みの弁当は独りで食べる事となった。クラスの男とつるんでもよいのだが、如何せん、今下手に絡むと色々聞かれる事は間違いない。あれやこれやと逞しい妄想で彼女に何をしでかしたか等を面白可笑しく愉しまれるだけなのだ。ならば独りで食ってる方が何倍もましというものだ。

 そして今日も独り寂しく席で弁当を食べていると声を掛けられた。

「あのぅ、隼人くん。良かったら一緒に食べない? 私も、何時も独りだったから」

 話掛けてきたのは、同級生の羽島亜紀はしまあきさんだった。四月の最初の頃に声を掛けられたのを微かに覚えている。あの日彼女は「えっと、隼人くん? 早月隼人さつきはやとくんだよね?」と、おずおずと尋ねて来た。余程緊張症なのだろうか? 顔を真っ赤にしていたのを覚えている。普段ならこんな可愛らしい女の子からのお誘いは願ってもない事なのだが、時期が悪い。このまま羽島さんと二人っきりでお昼なんかしてたら、俺がこの子に乗り換えて、由美と揉めている様に見えるじゃないか。とはいえ、むげに断るのも気が引けた。そうだ、さっさと食べて直ぐに離れよう。そうしよう。

 教室で向かい合わせに座り、互いに弁当を用意する。彼女の弁当箱はピンク色した小さい物で、いかにも女子といった感じだった。由美とは大違いだ。あいつの弁当は入れ物こそ小さいが、それがいくつもあった。サイドメニューってやつか。あいつは体育会系だな。クラブは確か吹奏楽部だったが。まあ、吹奏楽部もハードらしいので、体育会系っていうイメージは間違っていないのかも知れない。ちらりと由美の様子を覗き見る。彼女は他の女子立ちと机を囲み弁当を食べていた。こっちを気にする様子は見られない。

 羽島さんに視線を戻すと、彼女は無言で顔を赤らめながら少しづつ箸でおかずを摘んで食べていた。時折、そのショートカットの髪が耳に掛かるのを気にしながら弄っている。そういえば、羽島さんが他の女子と話している姿はほとんど見たことがない。いつも独りで席に座り本を読んでいる。そんなイメージしかない。

「羽島さんは、なんで俺を誘ったの?」

 特に気になった訳では無い。このままずっとお互いに無言のまま時が過ぎるのを待つのが苦痛過ぎただけだ。距離だけ近くて会話もなく黙々と食事しているだけは、辛すぎる。飯も美味く感じない。というか喉を通らない。これなら独りの方が数倍マシだ。

「隼人くんが独りだと寂しいかなと思って」

 独り言の様に呟く。確かに彼女は何時も独りだから、今回のこの状況は俺の為っていうのはそうか。いつもは独りじゃないやつが、急に独りになったから寂しかろうという心遣いなのだ。その気持ちは有り難い。有り難いのだが、それならこの緊張状態をなんとかしてほしい。俺がなんとかすればいいのかも知れないが、そもそも俺が求めた状況ではなく、むしろこれじゃ余計なお節介というものだ。

「そっか、ありがとな。でも今日だけでいいよ。明日からは無しな」

 念押ししておく。これから毎日こんな状態はゴメンだ。これでは俺の胃が保たない。なんでお昼ご飯中こんなに気を使わなければならないのか。お昼休みはゆっくりと休憩したい派だ。

 彼女は微かにコクリと頷いた。その俯いたままの様子はまるで俺が虐めているように写ったかもしれない。

 これ以上は耐えられない。急ぎ弁当を平らげて席を立つ。「あっ」という声を上げて初めて彼女が顔を上げた。悲しそうな瞳に胸が傷んだが、ここで流される訳には行くまい。

「お先に」

 とだけ言い残し、教室を後にする。


 じくじくと胸が痛む。俺が何をしたというのだろうか? 立ち止まり、少し考えてみたが、何も心当たりは無かった。仲のよかった子には避けられ、よく知らない子からは謎のプレッシャーを掛けられた。一度お祓いにでも行ってみるかと真剣に考え始めたところで、後ろから肩を叩かれた。


「よっ! 今度は新しい女を早速泣かせたのか? まったく悪い男だねえ」

 ニヤついた顔でそんな酷いことを言うのは、同じクラスの相模誠司だ。

「お前なぁ、俺がそんな事するかよ。わかってるくせに」

 こいつも4月から知り合った奴で、最初の頃は由美と一緒に三人でつるんでいたのだ。それがいつの間にかフェードアウトしていき、今ではたまに会話するだけの仲となっていた。俺と由美の邪魔をしないようにというこいつの勝手な気遣いだったのだろう。

「まあ、人は見かけに依らないしね。わかんないよう。それにさっきの子、本当に泣きそうになってたよ」

「心が痛えよ。でもなあ、俺にどうしろと?」

「知らないよ。女の子と付き合った事なんてないしね。お前の方が詳しいはずさ」

 確かに、誠司が女の子と話したりしているところは見たことがない。悪いやつではないし、男の友達は何人かいる。その気になれば彼女を作るのは難しくはないだろう。どちらかというと、まだ作ろうと思ってないという感じだ。

「それで、由美ちゃんとはどうなってんだよ? あんなに仲良かったのに。何があったんだ?」

「色々と噂されているのは知ってるよ。だが本当に何もないんだ。由美が急に避けるようになったんだ」

「ふーん。気付いてないだけじゃないの? 実はずっと我慢させてたとかさぁ。意外とあの子何でも抱え込みそうなタイプっぼいしね。不満が積み重なっていったとか」

 確かにそうかも知れないと思った。由美は、男友達の様に接してくるし、元気一杯で悩みなんて踏み倒して進む様なイメージだが、それは表に見せている顔で、実は色々と悩みを抱えている。なんてことがあるかも知れない。

「へえ、意外とよく見てるのな、お前」

「意外は余計だよ。確証があるわけじゃないけどね。何となくわかっちゃうって事が僕にはよくあるんだよ。昔からね」

「しかしなぁ、本当に見当がつかないんだよ。しかし、そうだなぁ、悩みか。あいつが何か悩みを抱えているとしたら、そういえば、こんなふうになる前から由美の様子はおかしかったんだ。なんかこう、人目を気にするようになったというか、俺と一緒に居るところを見られたくない様な。怯えている感じだった」

「ふーん。つまり、お前と一緒に居ると何かまずいことが起きたと」

 誠司は、何やら考えにふけっていたが、やがて口を開いた。

「わかった。ちょっと探ってみるよ。由美ちゃんとは知らない仲でもないしな。何か分かったら連絡する」

「お? いいのか? それは助かる。お前になら由美も何か話すかも知れないしな」

 それじゃ、と言って誠司は立ち去って行った。すこし愉しそうなのは気になったが、まあいい。なにか成果があれはしめたものだ。


 その夜、由美にスマホでメッセージを送る。毎日送っているが、最近は一度も返事はない。返事が返ってくる事がないとわかっているが、送る事が止められない。止めたらそれでもう二度と由美とは元に戻れない。そういう予感じみたものがあった。


 次の日、登校すると教室がざわついていた。

 普段なら、クラス中がざわつこうが気にしないのだが、最近の俺の悪評価が止まらないので、また何か新しいネタでも上がったのかと気が気でなかった。じっと静かに周りの会話を盗み聴くと、どうやら俺の事ではないらしい。単に転校生が来るという噂で盛り上がっているようだ。

 自分の事ではないと分かったので一安心だ。気持ちに余裕が出ると、噂の転校生にも興味が沸いてくる。女子だという話に男性陣は盛り上がっている。興味の的が俺から逸れるのは好都合だった。

 チャイムが鳴り、担任がやって来て朝のホームルームが始まる。そして転校生が来た事を告げられる。担任に呼ばれ、ドアから黒髪ツインテールの小柄な女の子が入って来た。静かに教卓まで歩き、こちらに身体ごと向き直る。身体の動きに従って、ツインテールがくるりと回る。

冴木姫乃さえきひめのです。よろしくお願いします」

 見た目の可愛らしさとは裏腹に、暗く沈んだ声音でぼそぼそと言った。その時になって初めて気が付いた。彼女の左眼には、片眼鏡が掛けられていた。小さい顔には大き過ぎるサイズで、縁が太くゴテゴテしたスチームパンクじみた造形で金の龍が複数のたうっている様な装飾が施されている。レンズは薄暗く、サングラスの様だ。

「ああ、冴木さんは、眼を患っていて、陽の光に弱いらしい。それで片眼鏡を掛けている。間違っても、冗談で片眼鏡を外したりしないようにな。失明の危険もあるそうだ。みんなも気に掛けてやってくれ」

 担任が、みんな彼女の片眼鏡に興味を持つだろうと予想したのか、いたずらしないように釘を刺した。まあ、当然だろう。失明するかも知れないとか言われたら流石に冗談でもする奴は居ないだろう。言っておかなければ、何人かは、やったに違いない。

 しかし、俺は片眼鏡よりもむしろ反対側の眼の方が気になった。反対側の眼、つまり右眼だが、彼女の右眼はまるで死人の様に見えた。まるで感情を感じない、冷たい眼だった。

「冴木さんの席は一番後ろの右から二列目だ」

 担任に促され、こちらに向かって来る。一番後ろの右から二列目、つまり俺の右隣だった。

 彼女は真っ直ぐこちらに向かって来る途中、周りからの興味の視線を浴び続けている。転校生で女の子、それに目立つ片眼鏡を付けている事が注目されるポイントではあるが、それ以上に彼女の顔立ちはよく見ると大変可愛らしい。しかしその視線は真っ直ぐ固定されており、何処を見ているのか分からない。表情も眉一つ動く事はなかった。周りの関心などどうでもいい。そんな意思を感じた。

 机に着くと静かに席に座り、じっと前を見つめる。さっきからずっと見ている俺の事など眼中にないといった感じだ。席に着いたら隣なので一言だけでも挨拶しようかと思っていたが、この周りを寄せ付けない拒絶の空気に断念する。声を掛けたところで、無視されそうな予感しかしなかったからだ。こんなに可愛らしいのに勿体ないと思った。彼女なら普通に笑うだけでも恋に堕ちる男子生徒は数多いる事だろう。彼女がこんなにも人を寄せ付けない感じなのは、片眼鏡と関係があるのかも知れない。前の学校で何かあったりしたのだろう。あるいはもっと前か。

 そんな事を考えたところでどうしょうもない。俺に何が出来る訳でもないのだ。それ以前に、由美の事を何とかしなければならない。そっちの方が、今は大事だ。


「なぁにぃ? そんなにこれが気になるのぅ?」


 彼女は突然こちらを振り向き、片眼鏡を指差し、いたずらっぽい笑みを浮かべた。声音が自己紹介の時とは変わって、ねっとりと甘く、此方を包み込んで離さない。死人の様なその右眼が少しずつ色味を帯びてくる。綺麗な緑がかった瞳に変貌していく。


「あ、ごめん」

 反射的に眼を逸らす。ずっと人の顔を見つめるのは流石に失礼だった。それに、このまま見続けてしまうと、自分が取り込まれてしまう。そんな危険を感じた。


「ねぇ?」

 耳元で声がしてびっくりする。危うく声を上げそうになったが、ギリギリのところで踏ん張った。

「なっ? なに? 冴木さん」

 動揺を隠そうとするも、言葉がうまく出ずに露呈してしまう。

「姫でいいよぅ。みんなそう呼んでるしぃ」

 彼女はいつの間にか、椅子を近付けて側までやって来ていた。 

「きみはぁ、早月隼人くんだねぇ?」

 いつの間に、俺の名前を知ったのだろうか? それになんだ? 俺になんの用があるっていうんだ?

 心の中で様々な疑問が湧き出すが、言葉に成らず口がパクパクするだけだった。


「これからぁ、よろしくねぇ〜。お隣さん」


 甘ったるい声音で、そんな事を言いながらひらひらとその手を振って笑った。笑った?!

「何だ、笑えるじゃん」

 つい思った事が口をついて出てしまった。どんな反応をされるかとドキドキしたが、さらに別の意味でドキドキさせられる事になった。

「こっちの笑顔の方が隼人くんは好きかな?」

 わざわざ笑顔を変化させていく。そして、見透かされたのか、最後に行き着いたその笑顔は、俺の心を捕らえた。

 返事に困りどぎまぎしていると、彼女はくすくすと両手で口を隠しながら笑った。

「ねぇ、お昼。屋上に付き合いなさい。そしたら色々と教えてあげる」

 そう言うと、またくすくすと笑うのだった。

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