パドマの森のまれびと
藍
生死不二
第1話 ほうま園 (生死不二)
かつて
人は
馬波浪
『ああ、届いた、届いた。うん。ありがとうな。ありがとうなんだけどさ。なんでカップラーメン百個?なんでお前らはお土産にこれを選んだの?いや嬉しいけどさ。今、俺の目の前でカップラーメンが仮眠室を
ワイヤレスイヤホンから中年の男が途方に暮れる声が聞こえて、
年末の帰省ラッシュ真っ只中。駅前のスクランブル交差点は、普段よりずっと多くの人でごった返していた。大勢の人の足音と話し声に、遠くから響くクラクションやバスの排気音、
となりで信号待ちしていたパステルカラーに身を包んだ女性が、一瞬、湊斗に
『土産なんかいらないから、着替えだけ持って帰ってこいって言ったはずなんだけどな。わざわざ先に郵送してまでこういうジョークをやるか。誰が言い出した』
「
「だろうと思ったよ。なんでお前まで一緒にやるかな。貧乏学生が無理するんじゃありません』
「いやいや、長い間お世話になりましたから。感謝のしるしに」
去年、湊斗は十八歳になって成人し、高校卒業と同時に家を出て大学の寮に入った。
湊斗の家には名前がある。普段は園と呼んでいるが、正しくは
園では、様々な事情があって家庭で生活できない子どもたちが集まり、学校のような大きな建物で一緒に生活している。家庭に戻ったり他の施設に移ったりして、子どもの出入りは激しいが、湊斗はそこに
夏には帰らなかったから、今回が湊斗にとって初めての帰省だ。懐かしさと、照れくささと、誇らしさがない交ぜになって、なんだか口元が緩んでしまう。
「感謝のしるしに、
「そういうのは若い職員とか、高校生とかが食べるだろ。ハマ
ひどい!とハマ兄が電話の向こうで
ハマ兄は湊斗が男子学童組にいた時にリーダーを務めていた、湊斗にとってはいちばん付き合いの長い職員の一人だ。今はさらに上の管理職になってしまって、子どもとの関わりが減って寂しいのだとぼやいていた。
信号が青に変わり、周囲の人がいっせいに動き出した。湊斗もその波に乗って、道路の向こう側から迫ってくる
『何時ごろこっちに着く?昼飯はどうするんだ』
「たぶん二時ごろになるから、自分で買って食べる」
『
「そう。三日の朝にシフトを入れてるから、夕方には出るつもり」
『彼女とは遊びに行くんだろ』
思わず前から来る人にぶつかりそうになった。
「いや、彼女とかいないし。何言ってんの」
慌てて人を避け、ファストフード店の角にぴたりと身体を寄せた。電話の向こうでハマ兄が「あれ、いないのか」と笑っている。
『うっかり口を滑らせるかと思ったんだけどな』
「まだ彼女なんてつくってる暇ないよ。バイトと課題で手一杯」
『ちょっとぐらいは遊んでおけよ。学生なんだから』
「学生だから遊んでる暇がないの」
言いながら、足もとで食べかけのハンバーガーが
ちょうど数日前、淡い憧れを寄せていた女子学生が授業前に湊斗に肩を寄せてきて、「こっち、私の彼女。かわいいでしょ」と加工された動画を見せてきたのだ。彼女が口を開くのがもう少し遅かったら、湊斗は彼女を
「就活が始まったら今ほどバイトは出来ないだろうから、その前に出来るだけ稼いでおかないといけないし。単位だって一年二年の間に取っておかないと後が大変になるから」
『さすが、計画的だな』
「普通だよ。他の奴らと違って、ヤバいことになっても親は頼れないんだから。自分で出来るだけのリスクヘッジはしておきたい」
『うーん。まあ、なあ』
ハマ兄は何か言いたげだ。
『お前は賢いから、あんまり心配しなくてもいいんだろうけど。でも何かあればちゃんと頼ってこいよ』
「分かってるよ」
そう返事したものの、残業するのが常である職員たちにあえて頼ろうとは思わない。困りごとはネットで検索するか、SNSで誰かに訊けば、たいてい、解決のヒントが見つかるものだ。
「ハマ兄は、年明けは何日から出勤すんの」
『
「そんな早く?めずらしいね。家族は大丈夫なの」
『今年は息子も家に帰って来ないから。奥さんには家でだらだらするくらいなら園に行ってろって言われた』
そうだ、とハマ兄が声をあげた。
『ナツさんがな、二日に来るらしい』
「マジで!」
思わず声がはずんだ。
「良かったじゃん。みんな、喜んでただろ」
『ああ、喜んでた、喜んでた。奇声を上げて跳び回ってたぞ』
興奮する小学生たちの姿が目に浮かぶ。ナツさんは湊斗が高校を卒業すると同時に親の介護のためだとかで園を退職してしまったが、それまではずっと幼児組で児童指導員をしていた。園の子どもにもそれぞれ職員の好き嫌いはあるが、そのなかでもナツさんの人気は圧倒的だった。特に幼児組から園にいるメンバーは、ほとんど全員がナツさんを
『湊斗も、照れくさいからって逃げるなよ』
「逃げないよ、子どもじゃないんだから」
薄い手袋をした両手をコートのポケットに突っこみ、マフラーの中でこっそり微笑む。
ハマ兄が明日の昼からいるのなら、きっとリビングで皆と一緒に、みかんやスナックを食べながらのんびり話す時間もとれるだろう。そして明後日にはナツさんもいる。湊斗が園にいた時と同じように。
『帰ってきたらすぐに園長先生に挨拶しに行けよ。でないとまた小言を言われるからな』
わかった、と返事をして、他にも二言、三言話した後、電話は切れた。アプリが切り替わって、イヤホンから音楽が流れ始める。
「……the great is to be found in the small, the infinite within the bounds of form, and the eternal freedom of the soul in love……」
聞いたことのないバラードだった。無料版の音楽アプリだから、興味のない曲まで再生されているらしい。
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