パドマの森のまれびと

生死不二

第1話 ほうま園 (生死不二)






 かつて馬波浪マハロの地に竜の国ありき。


 水流すいりゅうはるかまで清く、草木そうもくさながら宝玉ほうぎょくより成り、万年まんねん実りを欠かすこと無し。


 人はみな十色といろの光を放ち、えを知らず、朝夕ちょうせき踊り暮らせりと伝わりぬ。





 馬波浪聖巫せいふ伝 巻第一 序




















『ああ、届いた、届いた。うん。ありがとうな。ありがとうなんだけどさ。なんでカップラーメン百個?なんでお前らはお土産にこれを選んだの?いや嬉しいけどさ。今、俺の目の前でカップラーメンが仮眠室を占拠せんきょしてるんだよな。どうすんのよ、これ』


 ワイヤレスイヤホンから中年の男が途方に暮れる声が聞こえて、湊斗みなとは声をたてて笑った。


 年末の帰省ラッシュ真っ只中。駅前のスクランブル交差点は、普段よりずっと多くの人でごった返していた。大勢の人の足音と話し声に、遠くから響くクラクションやバスの排気音、家電量販店かでんりょうはんてんかられ出る底抜けに明るい音楽が混ざりあって、ごちゃごちゃと支離滅裂しりめつれつな都会の喧騒けんそうを作り出している。


 となりで信号待ちしていたパステルカラーに身を包んだ女性が、一瞬、湊斗に不審ふしんげな視線をよこしたが、すぐにまたスマホを操作し始めた。


『土産なんかいらないから、着替えだけ持って帰ってこいって言ったはずなんだけどな。わざわざ先に郵送してまでこういうジョークをやるか。誰が言い出した』


悠史ゆうじに決まってるじゃん」


「だろうと思ったよ。なんでお前まで一緒にやるかな。貧乏学生が無理するんじゃありません』


「いやいや、長い間お世話になりましたから。感謝のしるしに」


 去年、湊斗は十八歳になって成人し、高校卒業と同時に家を出て大学の寮に入った。


 湊斗の家には名前がある。普段は園と呼んでいるが、正しくはよもぎあさと書いて、ほうま園だ。児童養護施設じどうようごしせつ蓬麻園ほうまえん」、それが湊斗が育った家だった。


 園では、様々な事情があって家庭で生活できない子どもたちが集まり、学校のような大きな建物で一緒に生活している。家庭に戻ったり他の施設に移ったりして、子どもの出入りは激しいが、湊斗はそこに併設へいせつされた乳児院にゅうじいんに二才になる頃に保護され、そのすぐ後から高校を卒業するまでずっと、途切れることなく、蓬麻園で育った。近年の児童福祉の傾向で徐々に人数は減ってきているらしいが、今でも四十人くらいの子どもが園で生活している。


 夏には帰らなかったから、今回が湊斗にとって初めての帰省だ。懐かしさと、照れくささと、誇らしさがない交ぜになって、なんだか口元が緩んでしまう。


「感謝のしるしに、背脂せあぶら醤油しょうゆラーメンか?俺、今年の健康診断でもコレステロールで引っかかってるんですけど。ただでさえ生活が不規則になりがちだっていうのに、宿直しゅくちょくの夜に職員室に戻ったらこれがあるとか、本当、目の毒でしかないからな。お前らは自分たち職員をゆるやかに殺すつもりなのか』


「そういうのは若い職員とか、高校生とかが食べるだろ。ハマにいの分はカロリーハーフ」


 ひどい!とハマ兄が電話の向こうでなげき、湊斗はまた声をあげて笑った。


 ハマ兄は湊斗が男子学童組にいた時にリーダーを務めていた、湊斗にとってはいちばん付き合いの長い職員の一人だ。今はさらに上の管理職になってしまって、子どもとの関わりが減って寂しいのだとぼやいていた。


 信号が青に変わり、周囲の人がいっせいに動き出した。湊斗もその波に乗って、道路の向こう側から迫ってくる人垣ひとがきに突入した。


『何時ごろこっちに着く?昼飯はどうするんだ』


「たぶん二時ごろになるから、自分で買って食べる」


明後日あさってまでこっちにいるんだよな』


「そう。三日の朝にシフトを入れてるから、夕方には出るつもり」


『彼女とは遊びに行くんだろ』


 思わず前から来る人にぶつかりそうになった。


「いや、彼女とかいないし。何言ってんの」


 慌てて人を避け、ファストフード店の角にぴたりと身体を寄せた。電話の向こうでハマ兄が「あれ、いないのか」と笑っている。


『うっかり口を滑らせるかと思ったんだけどな』


「まだ彼女なんてつくってる暇ないよ。バイトと課題で手一杯」


『ちょっとぐらいは遊んでおけよ。学生なんだから』


「学生だから遊んでる暇がないの」


 言いながら、足もとで食べかけのハンバーガーがつぶれているのを見つけて、一歩距離をとった。


 ちょうど数日前、淡い憧れを寄せていた女子学生が授業前に湊斗に肩を寄せてきて、「こっち、私の彼女。かわいいでしょ」と加工された動画を見せてきたのだ。彼女が口を開くのがもう少し遅かったら、湊斗は彼女を初詣はつもうでに誘っていたはずだった。


「就活が始まったら今ほどバイトは出来ないだろうから、その前に出来るだけ稼いでおかないといけないし。単位だって一年二年の間に取っておかないと後が大変になるから」


『さすが、計画的だな』


「普通だよ。他の奴らと違って、ヤバいことになっても親は頼れないんだから。自分で出来るだけのリスクヘッジはしておきたい」


『うーん。まあ、なあ』


 ハマ兄は何か言いたげだ。


『お前は賢いから、あんまり心配しなくてもいいんだろうけど。でも何かあればちゃんと頼ってこいよ』


「分かってるよ」


 そう返事したものの、残業するのが常である職員たちにあえて頼ろうとは思わない。困りごとはネットで検索するか、SNSで誰かに訊けば、たいてい、解決のヒントが見つかるものだ。


「ハマ兄は、年明けは何日から出勤すんの」


一日ついたちの昼からだな』


「そんな早く?めずらしいね。家族は大丈夫なの」


『今年は息子も家に帰って来ないから。奥さんには家でだらだらするくらいなら園に行ってろって言われた』


 そうだ、とハマ兄が声をあげた。


『ナツさんがな、二日に来るらしい』


「マジで!」


 思わず声がはずんだ。


「良かったじゃん。みんな、喜んでただろ」


『ああ、喜んでた、喜んでた。奇声を上げて跳び回ってたぞ』


 興奮する小学生たちの姿が目に浮かぶ。ナツさんは湊斗が高校を卒業すると同時に親の介護のためだとかで園を退職してしまったが、それまではずっと幼児組で児童指導員をしていた。園の子どもにもそれぞれ職員の好き嫌いはあるが、そのなかでもナツさんの人気は圧倒的だった。特に幼児組から園にいるメンバーは、ほとんど全員がナツさんをしたっていた程だ。


『湊斗も、照れくさいからって逃げるなよ』


「逃げないよ、子どもじゃないんだから」


 薄い手袋をした両手をコートのポケットに突っこみ、マフラーの中でこっそり微笑む。


 ハマ兄が明日の昼からいるのなら、きっとリビングで皆と一緒に、みかんやスナックを食べながらのんびり話す時間もとれるだろう。そして明後日にはナツさんもいる。湊斗が園にいた時と同じように。


『帰ってきたらすぐに園長先生に挨拶しに行けよ。でないとまた小言を言われるからな』


 わかった、と返事をして、他にも二言、三言話した後、電話は切れた。アプリが切り替わって、イヤホンから音楽が流れ始める。


「……the great is to be found in the small, the infinite within the bounds of form, and the eternal freedom of the soul in love……」


 聞いたことのないバラードだった。無料版の音楽アプリだから、興味のない曲まで再生されているらしい。斜向はすむかいのビルの屋上では3Dの広告映像がずっと流れていて、今はちょうど、くらい水面から薄紅色うすべにいろの花が大きく開く様子が映し出されているところだった。






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