Go Green

藤原くう

レゴリス・バンカーにて

 お手製のゴルフボールを太陽に重ねていた月華が、通信機越しにルナへ呼びかけた。


「汚れって取っていいんだっけ」


 隣にいたルナは手元の電子機器を操作する。


「えっと、確かめるためならよくて、それ以外なら一般のバツ? だってさ」


「一般の罰ってなんだ?」


「さあ、わかんない」


「今回は罰とかないってことで。どうせ私たち以外いないんだし」


 そうだね、と返したルナは、あたりを見まわす。


 灰色の砂に覆われた世界には平べったい建物があった。ルナたちが住む基地だ。人工的な光を放つその建物の横には、無数のパラボラアンテナがあって、その先端は青かったはずの惑星へと向けられている。


 地球。


 人類が生まれた地。


 地球からの反応はない。キノコのような分厚い雲からは今のところ雑音しか受信していない――ルナはそう聞いていた。


 それがどういう意味なのか、どうして両親が嘆き悲しんでいるのか、本当の意味で月面人といえるルナにはよくわからなかった。


 白衣を身に着けた大人たちや、自分よりもちょっとだけ年上でいつもふんぞり返っていた月華でさえも顔をしかめていた。


 ――いつもは飄々としているのに、どうしたんだろう。


 そんなルナの疑問に、月華はあいまいな笑みを浮かべるだけで答えてはくれない。


 基地の大人たちは、ここ数か月――地球で大きな花火が上がるようになってから――忙しくしていた。


 そのためか、6歳になったというのに誰もルナの誕生日を祝ってくれなかった。


 みんなわたしよりも研究の方が大事なの……?


 怒りよりも前に、夜のような悲しみがルナの心を覆い尽くす。


「あれ、ルナじゃん」


 とぼとぼと基地の通路を歩いていたルナは顔を上げる。話しかけてきたのは、ダボダボの宇宙服を身にまとった月華だった。


 そんな月華を見てルナは目を丸くさせた。月華とは親しいわけではなく、むしろ声をかけづらいとルナは思っていたから、話しかけられるなんて想定外だった。


「何そのかっこう」


「暇つぶしに外に出ようと思ってね」


「研究はいいの?」


「実験室が空いてないのよ。だからさ、気分転換でもしようかなって」


「どういうこと?」


 ルナが聞けば、月華は手を上げる。その手には四分音符の縦棒を伸ばしたような道具が握られていた。


「暇つぶしに道具を作ったんだ。ゴルフっていう遊びに使うやつなんだが、コイツで地球に種を蒔こうかなってな」


 とにかく一緒にどうだい、と月華は言った。ルナは差し出された手を見て、ためらいがちにその手を掴んだ。


 それからはあれよあれよという間に過ぎていった。はじめての宇宙服、はじめてのエアーシャワー、はじめての減圧室。そして、基地の外へ。


 生まれてはじめてエアロックの外へと出たルナは、基地の周りを飛び跳ねる。クレータを端から端までジャンプ。ピョンと跳ぶたび、ぎゅっと着地するたびに月の砂レゴリスは舞い上がり、ルナの体にじゃれついてきた。


「ちょい待ち、これを持ってて」


 月華がレゴリスの暖簾のれんをくぐるようにやってきて、ルナへと電子機器を押し付けた。それは月面上でも利用可能な電子辞書のようなものだった。


 ルナは薄い画面をタップする。ゴルフのルールブックだけがインストールされていた。


「そこにはゴルフのルールが入っているから、ルールに反していたら言ってくれ」


「ゴルフってなあに?」


「地球で流行ってたスポーツさ」


 よくわからなかったが、ルナは頷いた。月華は満足そうにルナのヘルメットを撫でると、手をぎゅっと掴んでくる。ルナは強く握り返した。


 月華に手を引かれ、ルナは月面を歩いていく。スキップするように、たどり着いたのは小高い丘のような場所。


 一際高い場所に立った月華は、ポケットから球体のものを取り出し、その場へ落とす。


「本来ならばティーペグとやらが必要らしいが……」


「手に持ってるのは?」


「こいつはドライバー。ゴルフで一番遠くへ飛ばせるツールさ」


 月華が手にしていた道具を指で弾く。宇宙空間なので音は聞こえなかったが、とても硬そうだとルナは思った。


「どこまで飛ばせるの?」


「よくぞ聞いてくれました!」胸をそらして月華は言った。「スクラップ行きの宇宙船を利用してつくったこいつは五百メートルを優に超えるスウィングを実現した」


「それってすごい?」


 月華が肩をすくめる。「……全然。カップまで届きやしないどころか、第二宇宙速度にも達しやしない」


 カップって何だろう。ルナはルールブックに目を通す。ボールを入れるべき場所らしい。周囲をきょろきょろ見渡せば、クレーターという名の穴はそこここにあった。だが、ボールの大きさに対してあまりに大きすぎた。


「カップないよ?」


「ふっふっふっ。私が狙うのはあそこさ」


 日光を受けてポラリスのように輝くお玉の先端が向けられた先には、鈍色の惑星があった。


「地球……?」


「いかにも。この月の海で、ゴルフをやった人間はすでにいる。どうせなら、人と違うことがやりたいだろう?」


「そうなの?」


「そうなの! で、このゴルフボール型播種機を送り込んで、緑豊かな大地を取り戻してやるって方法を考えついたってわけ」


 さっき言った通りホールには届きやしないんだが、とため息混じりに月華は言った。


 ルナはしゃがみこんで、ゴルフボールとやらをつまみ上げる。いびつな形をしたそれは、何度も強い衝撃にあてられたのだろう。どこもかしこもボロボロだ。それに溶接した跡が無数に残っていた。なんでだろうとルナは思って振ってみれば、中で何かが跳ねた。


「中に種が入ってるんだ」


「種ってピーナッツとか?」


「だけじゃないさ。小麦もあるし米もあるし、じゃがいもの種だって入っている」


 言いながら月華がポケットから取り出したのは、手のひらいっぱいのボールたち。ルナは月華の大きな手のひらからカラフルなボールたちの中から青いものを一つつまみ上げると、地球と比べる。


 スモーキーグレーの惑星なんかよりも、月華お手製のボールの方が華やかでずっと綺麗だった。


「どうしてあの星の色は変わっちゃったの?」


「ふむ」


「しらない?」


「知っているとも。そうさな……ケンカした結果さ」


「ケンカ? 誰かが誰かをいじめてたの……」


 ルナは体を震わせる。同級生たちの姿が少女の頭をよぎった。どうして、あの子たちは自分のことを虐めてくるのだろう。確かに年は少し離れているけれども、虐められるようなことなんて何もしてはいないのに。


「まあ、そういうことになるかな」


 遠い目をしている月華の視線の先で、地球を覆う雲がバチバチと光を放つ。放電現象がなんとかかんとかって習った気がする。放電っていうのが何なのかわからなかったが、ケンカしてるみたいだとルナは思った。


「というか、君はいじめられてるのか?」


「……うん」


「そうか。……嫌なことがあったら私の下へ来るといい」


「研究でいそがしいんじゃないの」


「まあ、そうかもしれないが、気分転換にはいいだろう。君にとっても私にとってもね」


「やった!」


 ルナはその場で小躍りする。月華と同じくらいの体が月面で跳ね、灰色の砂が舞い上がる。


 無線越しに「実験器具には触らせないからな」と困ったように言うのが聞こえたが、ルナの頭を右から左に通り抜けていった。


 ひとしきり喜んだルナは。


「それ、わたしがやっていい?」


「別にいいが、地球には届かないぜ。これはテスト用だし、大昔のイベントを真似したお遊びみたいなもので」


「いいからっ」


「まあ、誕生日プレゼントってことでいいか」


「誕生日! 覚えててくれたんだ」


「あったりまえだろ。」


 どうぞお嬢様、と月華は恭しくドライバーを差し出す。それを受け取ったルナがぶんぶん振り回せば、月面に落とされたゴルフボールを捉えることはなく、年の割には大きな体がコマのようにくるくる回るばかり。


「あ、あれ?」


「しっかり腰を落として……そうそう。それで思いっきり体を捻るんだ」


 月華の腕が腰へ回され、ルナは担ぎ上げられる。ルナは最初こそ驚いたが、いつもよりも高い視点から見た灰色の大地は見慣れたもののはずなのにワクワクした。


「こうっ」


 ルナがドライバーをフルスイングする。


 お玉の先端とゴルフボールがかちあい、白球が浮き上がる。飛び上がったゴルフボール

はドライブ回転しながら、放物線を描くように月面の向こうへと飛んでいった。


「ファー!」


 月華の叫び声が通信機越しに聞こえてきて、ルナは飛び上がる。隣に立つ月華を見れば、その横顔にクレーターみたいな影が深く刻み込まれていた。その視線はまっすぐに灰色の穴のような地球へと注がれていた。


 どうしてそんな表情をしているんだろ。


 どう声をかけたものかルナはわからず、とにかく真似して叫んだ。


「ふぁー!!」


 月華とルナは顔を見合わせる。じっと見つめ合って、それから笑った。


 前方へ向きなおれば、ふよふよ浮かんでいたゴルフボールの姿がなくなっていた。すでに落ちてしまったのか、越えたクレーターの陰に隠れて見えないのか。


 もしくは、地球へ飛んでいったのか。


 追いかけて確認することもできただろうが、ルナはそうしなかった。


 そんなことよりも、もっと打ちたい。もっともっとドライバーを振りたい。


「楽しいねっ」


「そうだな。ほらっ」


 月華がゴルフボールを落とす。ゆっくりゆっくり落ちていくそれめがけて、ルナはドライバーを振る。


「かきーん!」


「お、これはドラコン賞待ったなし」


「それってすごい?」


「すごいとも。めちゃくちゃ遠くまで飛ばしたってことだからな、世が世なら賞金をもらえたところだ」


「じゃあじゃあ、地球まで届く?」


 ルナの問いかけに、月華は口を開き、もごもごと動かした。そして、小さく首を振った。


「いつかな。……今は無理かもしれないが、私が協力すればなんとかなるだろう」


「ほんと? 約束だからねっ」


「ああ。絶対、必ず」


 月華がルナを月面へと降ろす。


 こつん。ルナは月華と手をつなぎ、ヘルメットとヘルメットとをくっつける。


「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます指切ったっ!」


 月と地球のように目を近づけて、視線を合わせ、約束を交わした。


 手と手を離し、ルナはぶるんぶるんとクラブを振り回す。月華は、困ったようにヘはにかんでいた。


「はやくっ」


 ルナが急かせば、月華は次なるゴルフボールを取り出して落とした。ルナはフルスイングしてゴルフボールを飛ばす。


 少女の手によって打ち上げられたいくつもの球体型播種機ゴルフボール地球ホールを目指し、しかし、地球までは届かない。


 少なくとも、今のところは。

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Go Green 藤原くう @erevestakiba

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