5(奇筐彦命)
ある日の放課後、わたしはカウンター係として図書室にいた。
本当は、うちの高校では放課後に図書委員が受付をすることはない。司書の先生がやってくれるからだ。
でも今日は、司書の先生(
「ごめん、本の寄贈の申し込みがあって、どうしても外せないの」
ふわふわした綿菓子的な声で、南先生は言った。
南先生は、おっとりした外見と性格の、専門の学校司書である。いつもゆったりした女子っぽい服を着ていて、ズボンをはいているところなんて見たことがない。本の管理って、けっこう肉体労働なのだけど。
もっとも、仕事は熱心だし、きちんとしている。前にも言ったとおり、ポップを作ったり、新着図書を紹介したり、図書室の中はけっこう賑やかだ。
そんな南先生(かわいい系、でも独身)の代わりとして、わたしは図書室にいるのだった。
日によってまちまちとはいえ、放課後の図書室はわりと空いていることが多い。みんな部活に行ったり、塾に行ったり、遊びに行ったり、さっさと帰ってしまったり、いろいろだ。放課後の選択肢に「図書室を利用すること」が含まれている人は少ない。
それは今日も同じで、わたしは雨の日の校庭と同じくらいに人気のない閲覧席を眺めながら、こっそりとあくびを噛み殺していた。
でもしばらくして、数少ない「図書室を利用すること」を目的にした人物がやって来る。
その人物のことを、わたしは知っていた。
郷土史研究会という、ごくごくマイナーなクラブに所属する一年生の女の子である。
彼女は資料を探すためにちょくちょく図書室に出入りしていて、図書委員とは顔なじみだった。男の子っぽい、けっこう印象的なしゃべりかたをするので、わたしもよく覚えている。
そんな新奈さんは、今日も資料を探しに来たらしい。
なのだけど――
「あれ?」
どうしてだか、彼女の後ろにこれも見覚えのある人物が立っていた。
「……何で、清島さんが?」
そう、彼女の後ろにいたのは、まぎれもなく清島さんだった。二人の立ち位置からいって、偶然や無関係というわけじゃなく、連れだっていっしょに来たみたいだ。
「ああ、こんにちは吉村さん」
と、清島さんはわたしのことに気づいて会釈をする。
するとそれを見て新奈さんが、わたしたちのことを交互に見ながら、「何だ、二人は知りあいなのか」と訊いてきた。
「えっと、そうなんですけど――」
わたしはちょっと首を傾げる。
「二人こそ、知りあいなんですか?」
質問してみると、どうやらそうらしい。
二人は子供の頃からの知りあいで、幼なじみというほどじゃないけれど、つきあいは長いということだった。といっても、それを〝友達〟という一般概念でくくっていいかどうかは難しい。
その関係は昔から、新奈さんが一方的に話すのを、清島さんがこれまた一方的に聞いている、というものだったそうだ。話そのものには全然興味はないけれど、耳だけなら貸してあげる、というわけで。何だかそれは、ラジオのDJとリスナーみたいな感じだったけど、二人はそれでまあまあうまくやってきたらしい。
とりあえず、そこまでは理解した。
「――それで、今日はどうして二人で?」
わたしはもう一度、首を傾げる。すると清島さんは、少しだけおかしそうに言った。
「猫の手ならぬ、幽霊の手でも借りたいってわけなのよ、この人は」
聞くと、高校に入っても二人のつきあいは続いていて、その縁で清島さんは郷土史研究会に入っているらしい。ただしこれも耳だけ貸すのと同じで、貸しているのは名前だけ。つまり、幽霊部員(会員)というわけだった。
今日は調べものがあるから、そんな幽霊部員の手でも借りたい、ということらしい。
――その話を聞いて、わたしはふとまひろのことを思い出していた。まだ名前も知らない清島さんのことを話したとき、「あとは、その子が幽霊だったとか、そんな話じゃないことを祈るよ」と、まひろは言ってたっけ。
ある意味でそれは、一面の真実ではあったわけである。
大体の事情がわかったところで、わたしは二人を書庫に案内した。といってもそれは、すぐそこにあるドアを開けただけのことだったけど。カウンターには、〝御用のあるかたは書庫まで〟と書いた紙を置いておく。
学校の図書はほとんどがデータベース化されていたけど、中にはそうじゃないものもある。特別に古いものや、自費出版されたものがそうだった。そういうのはパソコンで検索してもヒットしないから、地道に実物を見て中身を確認していくしかない。
書庫には当然だけど、本が大量に収蔵されている。ちょっとした前菜みたいな、申し訳程度の閲覧スペースがあるほかは、全部が本棚で埋まっていた。廃棄前の新聞や雑誌なんかも、みんなここにつっこんである。何となく、世界が滅びる前のノアの方舟を思わせるような光景ではあった。
「――それで、何を探してるんですか?」
いっぱいに並んだ本棚の前であらためて訊くと、新奈さんは地元にある神社の名前を告げる。どこかで聞いたことのある名前だな、と思ったら家の近所にある神社だった。
「その神社だったら昔、中学のボランティアで清掃活動したことがありますよ」
正確に言うとそれは、「やらされたことがある」だったけど。
「ほう、それは興味深いな」
と、新奈さんは関心を示す。
それでわたしは、その時のことについて話してみた。といっても、枯れ葉を集めたりごみを拾ったりと境内の掃除をしただけで、特に変わったことはしていない。
ただ一つだけ、珍しいものを目撃していた。
「ふむ、一体何を見たんだ?」
「えっと、いわゆる御神体ってやつですね」
普通、神社にはその祀ってある神様の依り代が納められている。それが御神体というやつで、要するに神様の代理だった。普段は本殿の奥にしまいこまれていて、誰も見ることはできない。
どうしてわたしがその御神体をみることができたかというと、神主さんがたまたま掃除をしていたからだ。
「もっとも、わたしが見たのは本社のほうじゃなくて、裏にある摂社のほうですけど」
わたしがそう言うと、新奈さんは思いのほか真剣な顔つきで考え込んでいる。
「――その御神体というのは、どんなだった?」
と新奈さんは訊いてくる。
「えと、箱でしたね」
嘘をついても仕方ないので、わたしは正直に答えた。それは箱に似たまったく別の何かだったという可能性もあるけど、少なくともわたしが見たものはそうだったとしか言いようがない。
「――――」
すると新奈さんは、急に黙りこんでしまう。今のわたしの発言に、それほど気になるところなんてあっただろうか。
「あの?」
「実はあそこの神社は、
新奈さんはとうとうとまくしたてた。
「そして本来は、この神様のほうが主神だったらしいんだが、江戸時代に神社が再建されたときに、摂社に格下げされたらしいんだ。だから吉村さんの見た御神体の箱というのは、その時いっしょに遷されたものかもしれない。もしもそうだとしたら、歴史的には貴重なものということになる。本来、御神体のほとんどは自然物だし、当時のものがそのまま残っている可能性もある」
「へえ――」
あの神社に、そんな謂れがあったとは。
そんなわたしたち二人のやりとりを、清島さんはすぐ隣で礼儀正しく、無関心に聞いていた。新奈さんの話をいつも一方的に聞いている、というのはどうやら本当らしい。それでも、二人にとってはそんな関係がちょうどいいみたいだった。
わたしたちはそれから、新奈さんの指示にしたがって書庫の本をあさっていくことにする。多少の見当くらいつくとはいえ、けっこう大変な作業だった。藁の中から一本の針を見つけようとすると、こんな感じかもしれない。溺れる人が藁にすがるのも無理はない気がした。
――昔の人は、藁が好きだったんだろうか?
結局、作業には図書室の利用時間いっぱいまでかかったとはいえ、収穫はいまいちだった。新奈さんはお礼を言って、清島さんは軽く手を振って、書庫をあとにする。
そのあいだ、わたしがカウンターに呼ばれることはなかったし、図書室に戻ってみるともう誰の姿もなくなっていた。
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