雨庭

夕影 巴絵(夕焼けこやけ)

1 雨庭

 真紀が太陽なら、僕は月だ。


「真紀、久しぶり! 組が替わってから全然話してなかったね。うちのクラスに何か用? あ、もしかして……」


「うん。純いる?」


「ええと、あそこに……」


 教室の出入り口付近で真紀と話していた女子生徒が、遠慮がちに僕の方を指さした。目が合って、さっと逸らされる。


 明るい姉と、近寄りがたい弟。双子なのに大違いだ、と誰かが話すのを、僕は飽きるほど聞いてきた。


 真紀が僕の机へ小走りで向かってくる。その短い間にも数人の生徒たちから声をかけられ、明るく返答していく。数秒で、真紀がいかに人に好かれているのかわかる。真紀と僕が双子であることに一番納得していないのは、他でもない僕だ。


「純、お弁当箱出して。お母さんが純のお弁当に梅干し入れ忘れちゃったみたいなのよ。私のには梅干しが二つも入ってたから、多分そう」


 僕は言われた通りに弁当箱を取り出し、無言で机に置いた。真紀は弁当箱を開き、何ものっていない白米を確認してから、「ほらね」と言った。


「ねえ、純。何か一言くらい言ったら?」真紀が箸で梅干しを移しながら言った。「私だけならいいけれど、他の人にもそんな調子なら、嫌われちゃうよ?」


 黙っていると、真紀は僕にずいと顔を近づけた。


「先週も、酷い振り方したんだって? せめて、伝えてくれてありがとうくらい言ってあげれば、女の子も泣かないのに。無視は流石に人間の心がなさすぎ」真紀が小声で言った。


「お節介」僕は溜息をついた。「ありがとうなんて言わない。迷惑なものは迷惑」


「まあ、ひどい」真紀は腰に手を当てて、顔を顰めた。「恨まれて、いつか刺されても知らないぞ」


「はいはい」


 真紀が教室を出て行くのを確認して、もう一度溜息をつく。


 いつも真紀と比較されてきたのだ、自分が冷めているのは、重々自覚している。


 それに、どうやら僕には〈かわいげ〉というものが欠けているらしい。僕がテストで真紀よりいい点数を取っても、体育大会で一位になっても、褒められるのはいつも真紀の方。気まずそうにした母親から、「純は元々できる子だけれど、真紀は褒めないと伸びないから」とフォローを受けたこともあるが、真紀には応援したくなる健気さと魅力があり、僕にはそれがないというだけの話だ。


 周囲からの評価は否が応でも受け入れざるを得ないが、別に、双子コンプレックスを拗らせているわけではない。むしろ、真紀が太陽としての役割を引き受けてくれているからこそ、僕は気楽に自分のペースを守っていられるのだ。明るく社交的な真紀が外交を担う陰で、僕は黙々と成果を上げ、安定を築く。適材適所、といえるだろう。


 ぼうっと考えごとをしていると、いつの間にか弁当箱は空になっていた。弁当箱を仕舞ってから、僕は次の授業に向けて準備を始める。


「あの、上城くん」


 突然話しかけられ、顔を上げると、緊張した面持ちで立っている女子生徒がいた。きっちりと結われたおさげの先は、ぴょんと跳ねている。


「す、好きです……」女子生徒が、僕の目を真っすぐに見つめて言った。「私と、お付き合いしてください!」


 周囲が一度静まり返った後、にわかにざわつき始める。


「うわあ。また出た、突撃告白……」


 僕の耳は、背後で談笑していた男子生徒の囁き声を捉えた。


「冷たくあしらわれて終わりなのに、どうして後を絶たないんだろうな」もう一人の男子生徒が言った。


「しかもあの子、隣の組の川崎京子さんじゃん」


「真紀ちゃんといつも一緒にいる、親友の? うわっ、気まず」


「まあ、上城ならそんなの気にならないだろうし、姉の親友だからって配慮はしないだろ」


 僕は、川崎の目をじっと見つめ返した。すると、川崎は唇を引き結びながらも、更に強い視線を投げかけてくる。視線を逸らされたりうつむかれたりするのに慣れていた僕は、思わず顔を顰めた。客観的には、睨み合っているように見えるかもしれない。


「あの……、返事は」川崎が固い声で言った。「もうすぐ教室移動なので、早く戻りたくて。保留なら保留でもいいんですけれど」

「は?」僕はまた顔を顰めた。見物していた同級生達の空気が凍りつくのを感じる。


「自分から告白しておいて、早く戻りたいとか……」


「これは、今まで以上の手厳しい返しが待ってるぞ」


「いいよ」僕は、好き勝手言う生徒たちの声を断ち切った。


「え?」川崎は驚いた表情で言った。「な、何が?」


「付き合うっていう話」僕は頬杖をついて、視線を逸らした。「君が言ったんだよ」


 教室は再び静寂に包まれた後、過去に類を見ない大騒ぎとなった。

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