第128話:ひと段落
天文十八年(1550)11月28日:越中富山城:俺視点
家臣達がよく働いてくれた。
晴景兄上は毛利を滅ぼし、朝倉宗滴殿は尼子を滅ぼしてくれた。
優秀な武将は南蛮との戦いで使えるが、毛利と尼子はどうしても許せなかった。
尼子晴久は月山富田城に籠城していたが、石山本願寺の事を知っていたのだろう。
忠義の家臣達を率いて討って出て、華々しく戦って散った。
鉄砲で一方的に殺されるのであっても、討死は討死だ。
毛利元就も石山本願寺の事を知っていたのだろう。
一族全員の切腹と引きかえに、家臣の助命を願って来た。
兄上の性格を調べていたのだろうが、兄上にも事情がある。
ある意味、誰よりも俺を恐れているのが兄上だ。
猿千代達の将来を考えれば、俺に疑われるような事は絶対にできない。
兄上は降伏の使者を追い返して兵糧攻めを続けた。
追い詰められた毛利主従と安芸一向衆も、兵糧が尽きる前に討って出た。
晴景兄上にも五千の鉄砲隊と五千の弓隊を付けていた。
毛利と尼子は許さずに根切りにすると決めていたから付けていた。
惨めなのは虎千代、維虎を名乗った上杉謙信だ。
最後に残ったのは俺がつけた諜報衆の刺客だけ。
供に城を討って出ようと言うのを拒まれ、馬もなく独り徒士立ちで戦いに挑むも、晴景兄上に口上を言う事もできずに鉛玉を受けて倒れた。
後から討って出た一向衆に踏み潰され、泥にまみれて死んだ。
安芸と出雲は、野伏狩りの諜報衆に任せて、兄上は周防に、朝倉宗滴殿は石見に侵攻したが、もう誰も逆らわなかった。
周防国守護代の陶隆房は、晴景兄上に降伏する事なく自害した。
兄上に降伏するのは誇りが許さなかったのかもしれない。
俺も陶隆房を家臣にする気がなかったのでよかった。
石見国守護代の問田隆盛は降伏臣従した。
主殺しは許さないなんて、長尾の血を受け継ぐ俺には言えない。
だが、正直な気持ちは、家臣にして側に置きたいとは思えない。
五百貫の制限一杯の領地を与えたいとも思えない。
できるだけ領地を少なくしたかったが、その通りになった。
性根の汚い者に仕え続けたい譜代や地侍はいない。
情け容赦なく、できるだけ多くの年貢を搾り取ろうとしていた領主の下で、百姓を続けたい者もいない。
俺が嫌うような国人の下には、譜代も地侍も百姓も残らなかった。
命懸けで主君に尽くそうとする国人の下には、それなりの数の家臣領民が残る。
主君を見限れば、五貫十貫の地を耕す地侍でも、望めば俺の直臣に成れる。
だからほとんどの弱小国人や地侍は主君を裏切り俺の直臣に成る。
だが百姓は、慈悲深いと評判の領主の元には残る。
これは俺が家臣にも惜しみなく三年五作や二期作を教えてきたからだろう。
大内家の岩国安芸守護代を務めていた、知勇兼備の弘中隆包が臣従してくれた。
弘中隆包と弘中隆助の親子には、水軍を率いてもらう事にした。
持っていた戦船は、武士を捨てて商人になる一族に与える。
諜報衆も良く働いてくれた。
大友家に内乱を起こして家臣同士が殺し合うようにしてくれた。
六角親子が流れ公方に殺されるように仕向けてくれた。
六角親子だけでなく、流れ公方と有馬一派が俺に狙われる噂を広めてくれた。
肥前国が欲しい龍造寺胤信や千葉胤頼などが有馬一派に襲いかかった。
俺が約束した訳ではないので、国を与える事などないのに、愚かな事だ。
追い詰められた有馬一派だが、無理矢理養子を送り込まれた大村家や松浦家の謀叛から滅びが始まった。
有馬晴純の次男、大村純忠は父親の武力で大村純前の養嗣子になった。
だが大村純前には実子がいたのだ。
実子は、殺されないように後藤家に養子に出され、後藤貴明を名乗っていた。
大村家の譜代衆の中には、実子の後藤貴明を慕う者が少なからずいた。
そんな忠臣達は大村純忠を増悪していた。
諜報衆の流した噂に背中を押され、後藤貴明を奉じて大村純忠を討ち取った。
同じような事は千々石家、松浦家、志岐家でもおきた。
違う所は、忠臣ではなく養父や養祖父が有馬晴純の子供を殺した事だ。
有馬晴純の五男松浦盛は、養父の松浦親に殺された。
有馬晴純の三男千々石直員も養父に殺された。
有馬晴純の四男志岐諸経は養祖父の志岐重弘に殺された。
彼らは即座に俺に降伏臣従するという使者を送ってきた。
船を使って越中に送るだけでなく、近くにいる晴景兄上と朝倉宗滴殿にも降伏臣従の使者を送り、有馬晴純は勿論龍造寺胤信や千葉胤頼にも備えた。
晴景兄上と朝倉宗滴殿は、足の速い騎馬隊と早船を送って支援した。
志岐家は肥前ではなく肥後の国人だが、関係なかった。
志岐家は肥後天草五人衆の一人だ。
天草なら水軍衆が援軍できるので、志岐重弘、天草鎮尚、大矢野種光、上津浦鎮貞、栖本鎮通の五人が降伏臣従した。
完全に追い込まれた有馬晴純と有馬義貞の親子は、生き残るために凶行に及んだ。
細川晴元も三好長慶も決断できなかった、公方殺しを実行した。
流れ公方足利義藤だけでなく、幕臣も悉く皆殺しにした。
だからといって、俺が有馬晴純を許す必要はない。
単なる噂でしかない、肥前国の守護や国司に任じる事もない。
だがそんな事は、有馬晴純も龍造寺胤信も千葉胤頼も知らない。
有馬晴純は、足利義藤と幕臣を殺した事を俺に知らせる使者を送ろうとした。
龍造寺胤信と千葉胤頼は、有馬家を滅ぼして公方殺しの手柄を自分の物にしようとして、日之江城に攻め寄せた。
だが、強引な方法で本家の村中龍造寺の家督を継いだ龍造寺胤信には、外だけでなく家臣の中にも敵が多かった。
東肥前十九城将の一人、綾部鎮幸がまだ九歳の龍造寺鑑兼を奉じて叛乱した。
東肥前十九城将を含む土橋栄益、高木鑑房、馬場鑑周、八戸宗暘、神代勝利、小田政光の六将が同調して龍造寺胤信に襲い掛かった。
龍造寺胤信、歴史を知る人には龍造寺隆信と言った方が分かりやすいだろう。
前世では五州二島の太守を自称し、他人からは肥前の熊と呼ばれた猛将だ。
だが、恩人を殺す性格は大嫌いだった。
家臣にする事なく死んでくれて助かった。
色々とやったので、皇室と朝廷の事が心配だったが、何の問題もない。
大内裏の上皇陛下も京の帝も、愚かな公家の言葉には耳を貸さなくなった。
俺が朝議に出なくても何の問題もない。
九条禅定太閤殿下の言い成りになっている。
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