第102話:好悪

天文十六年(1548)7月21日:越中富山城:俺視点


 三好長慶、前世から好きで、何時か書いてみたいと思っていた。

 結局、他にも書きたい人が多く、書く前に死んでしまった。

 個人的に、三好長慶の生い立ちには大いに同情する所がある。


 彼の本心など分からないが、親の仇を取らせてやりたいと思っていた。

 せめて仮想戦記の世界では、親の仇を討たせるか、親が死なない話を書いて幸せな一生が送れるようにしてやりたかった。


 思いがけず逆行転生して、最初は自分が殺されないように必死だった。

 やれること、思いついた事は全てやって生き延びた。

 多少余裕が出てきて思った事の一つが、三好長慶の事だった。


 仮想戦記を書くための資料を読んで、三好元長を殺した本願寺証如が、三好長慶の復讐を警戒して、事あるごとに贈り物をしているのを知った。


 三好長慶は、生きるために、本願寺証如に父を殺すように命じた細川晴元に頭を下げて仕えていた。


 だが最後には、管領から追い落として没落させている。

 命までは奪わなかったが、多少は復讐している。

 だが、本願寺証如には何の復讐もしていない。


 それが、戦の生死は恨まないと言う潔い考えだったのか、復讐したくてもできないくらい本願寺に力があったからなのかは分からない。


 本願寺が織田信長に負けて力を失ったのは、三好長慶の死から十六年後だ。

 もし、三好長慶が健在な時に本願寺が力を失ったら、攻撃していたのだろうか?


 今の本願寺は、北陸と三河を完全に失っている。

 伊勢長島と雑賀は完全に封じ込められて身動きできない状態だ。

 今俺が三好長慶に手を差し伸べたら、共に本願寺を滅ぼすだろうか?


「殿、何か心配事があるのですか?」


 晶が悩む俺を心配してくれる。


「ああ、好き嫌いを優先するか、天下の大事を優先するか、迷っている」


「まあ、殿でも天下と好き嫌いで悩む事があるのですか?」


「神仏の加護を受けているとは言っても、俺も人間だぞ。

 天下国家のためには自分の好き嫌いを抑えるのが当たり前だが、本当は当たり前にやっている訳ではない。

 好きな事、やりたい事を我慢して、嫌な事をやっている時もある」


「安心しました、殿も人間なのですね」


「当たり前だ、人間でなかったら晶との間に子供を授からない。

 俺が人間である事は、晶が一番知っているではないか」


「まあ!」


 甘えて胸に顔をうずめてくる晶が愛おしい!

 最初から悩む事など何もなかったのだ!


 前世の興味を引きずって、強大な三好家を残すのは愚か過ぎる。

 これまで通り、三好家も細分割して、太郎達に歯向かえないようにしておく。

 敵対するなら滅ぼし、従うなら一族一門譜代を取立てて力を奪う。


 育児が大変なのだろう、晶が俺の胸の中で寝息を立てだした。

 乳母や侍女達が手伝っているが、晶は極力自分で育てようとしている。

 俺が、子供には母親の愛情が一番だと言ってしまったせいだ。


 晶を御姫様抱っこして寝所まで運ぶ。

 侍女達に目で合図して晶の世話を任せる。

 急いで女だけの曲輪、本丸二ノ丸を出て政所の有る三ノ丸に向かう。


「殿、いかがなされたのですか?!」


 奥で休んでいるはずの俺が、三ノ丸に出て来たので不寝番が驚いて言う。


「急ぎで鳩を送らなければいけなくなった、政所にまで護衛しろ」


「「「「「はっ!」」」」」


 富山城は、江戸城で言えば本丸と二ノ丸が女だけの場所になる。

 かなり広大な場所が女だけの生活の場になっている。


 理由は、淡水真珠の養殖を、一生奥から出ない女達がやっているからだ。

 茸類の人工栽培も、女達だけに方法を教えてやらせている。


「此方に用意しております」


 先触れが全力疾走して、用意させてくれていたのだろう。

 不寝番の重臣と祐筆が、直ぐに書けるように墨の準備してくれている。


『石山本願寺を攻め滅ぼせ、大将は晴景兄上、邪魔する者は皆殺し』


 鳩に運ばせる文は短く分かりやすい事が大切だ。

 戦術などは総大将が現状に合わせて考え実行すればいい。

 三好長慶が邪魔するなら殺す、それだけだ。


『最優先にすべき事は、領民が安心して暮らせるようにする事だ。

 野伏は捕らえて奴隷にするか皆殺しにしろ

 隣村を襲うような村は、主だった者を捕らえて奴隷にするか殺せ。

 商人が護衛無しに商いできるようにしろ』


 越前、若狭、近江、伊勢、伊賀、大和の侍大将に送る文はこれで良いだろう。

 侵攻したばかりで、領民の心を掴んでいないし野伏も潜んでいる。

 三年五作の収穫を実感できるまでは、俺も領地争いの勝者に過ぎない。


 関東、東海道の国々もまだ完全に治めきれていない。

 駿河、遠江、三河は苛烈な粛清をしたから、関東よりも治安がいい。

 この三カ国から兵力を移動させるか?


 いや、焦るな、俺が成り上がれたのは治水と農業革命に手を抜かなかったからだ。

 三年五作は根付かせられたが、治水が完璧ではない。

 屯田部隊を少しは残しておかないと、人手が足らなくなる。


 ……急いで完璧な治水を行った方が民によろこばれる?

 違うな、利を得る機会を与える方がよろこばれる!

 死傷者さえ出さなければ、水害など毎年のように起きていた事だ。


 それよりも、銭と大麦をばらまいて、領民に堤防を造らせた方がよろこばれる。

 公共事業ではないが、地域が、民が潤うように銭と食糧をばらまく。


 種蒔きと収穫の季節に合わせて、南から北に移動させる女屯田部隊以外を、最前線に移動させよう。


『厳命する、田畑で働かなくていい国人地侍に限るぞ。

 摂津、河内、和泉に攻め込むから、武功を立てたい者は集まれ。

 石山本願寺の坊主を、生きて捕らえた者には、一人当たり永楽銭百文を与える。

 長尾家に逆らう国人地侍を、生きて捕らえた者にも、一人永楽銭百文を与える。

 繰り返し厳命する、田畑で働かなくていい国人地侍に限る』


「殿、お休み中に届いた文でございます。

 重要だと判断したのはこれだけでございます」


 不寝番に当たっていた重臣、山吉丹波守が二つに分けた文の山を指さす。

 ため息がでそうになるくらい沢山ある。

 深夜の海を力一杯漕いで届けてくれた水手に悪いので、ため息を飲み込む。


「特にこれが重要だと思いました」


「分かった、全部目を通す」


『土佐一条中将に暗殺の恐れあり』

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