第66話:同盟

天文十三年(1544)10月3日:越後春日山城:俺視点


「北条駿河守様、御入室」


 近習が大声で部屋の外から呼びかける。

 北条家からの重大な使者、北条早雲の末子、北条幻庵がやってきたのだ。

 重要な話だが、既にある程度の内容は互いの重臣達が擦り合わせている。


 これから決めるのは、長尾家と後北条家の国境を何所で線引きするかだ。

 好い加減に決めてしまうと、後々争う事になってしまう。


「越中守様、初めて御意を得ます。

 北条相模守が臣、 長綱でございます」


 部屋に入ってきた北条幻庵が床に正座し、深々と頭を下げてくれる。

 北条一族でも有能だと言われている武将だ。


 調べさせた範囲では、大小二十九の武士団がある陸の小机衆と、三崎十人衆を含む水軍、三浦衆を指揮下に置いている。


 もっとも、水軍衆と言っても船の大きさと数は、長尾水軍とは比較にならない。

 大多数は小早船で、僅かな関船も五十丁櫓までの小型船だ。

 実戦でも常に里見水軍に圧倒されている、弱小水軍でしかない。


 とはいえ、水軍が相手だと、弱小でも油断できない。

 索敵を掻い潜って背後に上陸されたら、練度の足らない奴隷軍は裏崩れを起こす。


「よく来てくださった、駿河守殿の武勇は色々と噂を聞いていた。

 こうして直接会えてうれしく思う」


「私も越中守様の武勇と政の評判は耳にさせていただいておりました。

 御会いできて光栄でございます」


「風間出羽守殿という優秀な乱波の大将がいると聞く。

 その者が噂を集めているのなら、正確に伝わっているのであろう」


 密偵を送り込んでいるのは知っているぞと伝えておいた方が良い。

 乱波大将が誰なのかまで探り当てられていると知れば少しは大人しくなるだろう。


「とんでもありません、以前は兎も角、最近は人伝の噂だけでございます。

 越中守様の方が、商人や御師から正確な噂を集められておられるでしょう?」


 流石北条家の代表、言われたままにはならないな。

 少なくとも表の密偵衆は知られてしまっている。


 問題は裏の密偵衆まで知られているかだが、藪を突いて蛇を出す必要もない。

 黙って聞き流して別の話題にした方が良いだろう。


「駿河守殿は箱根権現の別当を下りられたようだが、私はまだ善光寺の長吏と顕光寺の別当を兼務させていただいている。

 武家の立場を離れて、僧として腹を割った話がしたい。

 北条家はどこまで領地を広げる気でいるのだ?」


「それは私の方が越中守様に御聞きしたいです。

 北陸筋の過半を直轄領とされ、奥羽を支配下に置かれただけでなく、甲信まで支配下に置かれてしまわれた。

 不倶戴天の敵である上杉家を追って、関東のどこまで出られるのですか?

 我が家との同盟もいずれは反故にされる気なのではありませんか?!」


「北条相模守殿が羨ましい。

 駿河守殿のような心強い叔父がおられる。

 左衛門佐殿のような若く見所の有る弟がいる。

 私は兄弟で家督を争い、頼りになる叔父もいなければ一門衆もいない。

 父上も病で寝込まれておる、心から北条相模守殿を羨ましく思っている」


「私のような立場の者が、返事に困るような事を口にされては困ります。

 それよりも、どこまで領地を増やす気なのか、御答えいただきたい」


「今言ったではないか、兄弟は家督を争った者ばかり。

 心許せる叔父もおらず、一門衆は私の不幸を願う者ばかり。

 生まれたばかりの嫡男を盛りたててくれる、一門一族は誰一人おらん。

 このよう状態で、進んで領地を広げようとは思わぬ。

 北条家が私に不信に思っているのなら、同盟の話はなかった事にしよう」


「滅相もありません、此方から御願いした同盟です。

 なかった事にしたいなどとは思っていません。

 ただ越中守様の御存念を御聞かせ頂いておかないと、後々争いになりかねません」


「はっきりと言えば、今は内を固めるべき時だと思っている。

 昨年の大洪水、先年の大洪水と蝗害、またそのような事が起きても、家臣領民を飢えさせないように田畑を広げる時だと思っている。

 若狭の件も勧修寺の義父上から頼まれたのでなければ断っていた。

 甲信の件も高梨の叔父上の頼みでなかったら断っていた。

 領地の件は、私に聞く前に北条家から話すのが筋ではないか?」


 俺の義父となった勧修寺尹豊の正室は伊勢貞遠の娘だ。

 愛する晶の母親であり、景太郎の祖母でもある。

 俺が勧修寺尹豊の願いを無視すると、晶と景太郎の立場まで悪くなる。


 景太郎の曽祖父である伊勢貞遠は足利義稙に仕えていた。

 今川龍王丸の元にいた同族の伊勢盛時に、便宜を与える書状を送っている。


 本当にもの凄く遠いが、同じ伊勢一族なのだ。

 北条家から見れば、恩人の孫娘が俺の妻で、曾孫が景太郎になる。


 戦国乱世だと無視して当然の遠い関係だ。

 だが共通の敵がいる場合は同盟を結ぶ大義名分になる。


「仰られる通りでございます、無礼を致しました」


 直ぐに素直に謝ってきたか、俺の本性を探るために怒らせようとしたのか?

 俺から腹を割った話をしたいと言ったのを幸いに、一歩踏み込んで来たのか?


 四面楚歌の北条家のそんな余裕はないと思うのだが?

 もしかして、葛山氏元が俺に寝返ろうとしているのを知らないのか?

 史実では今川義元に寝返ったが、この世界線では俺に寝返ろうとしているぞ。


「構わぬ、僧として武家の立場を離れて腹を割った話がしたいと言ったのは私だ。

 駿河守殿が正直に教えてくれるのなら、私も嘘偽りなく話そう」


「北条家は古河公方から関東管領の役目を頂いております。

 できることなら、関東全てを平らげて戦のない世にしたいと思っております。

 しかしながら、此方から同盟を願っておいて、勝手な事ばかりは申せません。

 上野と下野は越中守様に治めていただきたいと思っております」


「相模守殿は、駿河、伊豆、相模、武蔵、下総、上総、安房、常陸の八カ国を治めると申されておられるのだな?」


「はい、関東管領として、関八州に武威を広めたいのです。

 ただ、越後を本貫とされておられる長尾家が、国境を警戒される気持ちも分かりますので、上野と下野は御譲りさせていただきます。

 その代わり、北条家発祥の地である伊豆と因縁深い駿河は御譲り頂きたい」


「そうか、上野と下野の二国の代わりに伊豆と駿河を入れた関八州か。

 長年の友誼と花倉の乱を助けてもらった恩を忘れて、武田家と同盟した今川は絶対の許せないと言う事だな」


「はい、北条家の面目を潰した今川治部大輔は絶対に許せません。

 越中守様からすれば、富士川と安倍川から五十万の兵で攻め下れば、駿河など簡単に攻め落とせるとお考えでしょう。

 ですが、ここは北条家に御譲り頂きたい」


「分かった、だが、今川家を攻め滅ぼせなかったらどうする?

 両山内が手を結び、一度は北条家に合力を約束した国人地侍を切り崩している。

 古河公方とは、滅ぼした小弓公方の所領巡って諍いがある。

 駿河に兵を進めれば、武蔵と相模に大軍が押し寄せて来るぞ」


「その時は、同盟国として御助け頂きたい。

 越後、信濃、甲斐、会津から上野と下野に兵を進めていただきたい。

 遠江にも信濃から兵を進めていただきたい、御願い致します」


「大軍を進める事は出来ないが、上野と下野の国人地侍が動けないようにする。

 遠江には、先に信濃を席巻した者達を攻め込ませよう。

 だが、それでも北条家が今川家を滅ぼせないなら、約束通り長尾家も駿河に兵を進めるが、宜しいですな?!」


「約束ですので、その点は間違いありません。

 ですが、我が家が諦めるまでは駿河に手を出さないと御約束頂きます」


「それは無理だ、今川を滅ぼせずに兵を引いたのに、まだ諦めていないと言われると手出しできなくなってしまう。

 私が手出ししないのは一度だけ、北条家が兵を引いたら即座に駿河を攻める。

 この条件を受け入れられないのなら、同盟はなかった事にする」


「それは厳しすぎます、一度の撤退で駿河を放棄しろと言うのは厳しすぎます」


「隙を見せれば領地だけでなく命を失うのが乱世だ。

 同盟を結んでいても裏切るのが当たりまえでもある。

 敗走する北条家を助けるために、今川家を攻める私に手ぶらで帰れと言うのか?」


「それは……」


「できる事なら先に内を固めたいと言ったが、好機を見過ごす事はないぞ。

 北条とも今川とも手を結ばず、両上杉を背後から攻める事もできる。

 今川と手を結び、富士川を境に駿東郡と富士郡を我が物とし、伊豆に攻め込む事もできるのだが、分かっておられるのか?

 私に今川治部大輔から誘いがないとでも思っているのか?」


「いえ、山内上杉以外のあらゆる者から誘いがあると分かっております」


「だったら、どうするべきか分かっているな?

 直ぐに国に帰って相模守殿を説得するのだ。

 義父殿の顔を立てるのは一度だけ、そういう約束になっている」


「はっ、直ぐに戻って越中守様の言葉を伝えさせていただきます」

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