第63話:棄兵と薄情2
天文十三年(1544)2月20日:越後春日山城本丸奥:俺視点
「待たせた、生野銀山以外は切り取り勝手のままで良い。
領地欲しさに、この雪深い中を被害も顧みず戦っているのだ、止める必要はない」
俺は政所に入るなり山村右京亮を始めとした重臣達に言い渡した。
「「「「「はっ」」」」」
最近特に俺を神格化している重臣達が這いつくばっている。
重要な政務だから、決意して俺を政所に呼び出したのにどうした?
機嫌の悪いのが表情や態度に出ているのなら気をつけないといけない。
「政所に来た以上、溜まっている政務は全部やる。
揚北衆の誰が何所の城地をどれだけ切り取ったか、正確に話せ」
「はっ、水軍衆を使っての知らせがこれでございます。
密偵衆が足を使って知らせてきたのがこちらでございます。
密偵衆が鳩を使って知らせてきたのはこちらでございます」
俺が本丸奥に籠っている間に、随分多くの知らせが届いていた。
最新の情報は鳩だが、届けられる情報の量が限られている。
詳細な情報は、かなり時間が経ってから船便や陸便で届けられる。
譜代衆は、揚北衆が但馬で力をつける事を恐れている。
だが、厳冬期に無理攻めを繰り返せば、揚北衆は貴重な忠臣を失う。
そんな無理を重ねたら、家臣達の忠誠心を失い実力が低くなるだけだ。
領地を取り戻しても、兵を揃えても、忠誠心のない下級指揮官しかいないと、下剋上を起こされて自分の首を失うだけだ。
それに、俺が切り取り勝手を約束したのは但馬だけ。
一国全て合わせても十二万石しかないのに、既に半分を奴隷兵達が占領している。
しかも、湊がある豊かな土地から順に奴隷兵達が占領しているのだ。
穀物の収穫だけしかない六万石弱では、それほど力はつけられない。。
戦えば戦うだけ揚北衆は痩せ細っていく。
俺は、揚北衆や甲斐衆を棄兵として利用する事にしたのだ。
何時裏切るか分からない勇猛な将兵が敵を負かしてくれたら、それはそれで良い。
揚北衆や甲斐衆が負けて、滅んでしまっても痛くも痒くもない。
但馬衆に勝って、但馬の半分を領地にしたとしても、ずっと但馬には置かない。
次の戦場に送って戦わせ続ける、日本を制圧するまで戦わせ続ける。
生き残ったとしても、最終的には、織田信長が構想していたように遠国に封じる。
信長の重臣、方面軍司令官を務めるような連中は、九州に関連する官職や名跡を与えられた者が多かった。
明智光秀は、日向守の官職と惟任の名跡。
丹羽長秀は、惟住の名跡。
羽柴秀吉は、筑前守の官職。
本能時までに戦死した方面軍司令官では、簗田広正が別喜の名跡。
塙直政が備前守の官職と原田の名跡。
信長は、功臣の封地を九州だけに制限する気だったのだろう。
関東東国に攻め上がる方面軍司令官達は、東北地方に限る気だったのか?
佐々成正は陸奥守の官職を与えられている。
信長の真意は分からないが、俺は功臣を九州辺りに封じ込める予定だ。
「これまで通り、生野銀山以外は切り取り勝手のままと伝える。
書状をしたためるから、次の船便で届けさせよ。
知らせだけは鳩を使って直ぐに伝えよ」
「「「「「はっ」」」」」
重臣達が急いで墨を用意し、一人が鳩小屋に走る。
鳩は、拠点としている城を行き来する騎馬伝令が、毎日数十羽移動させている。
その御陰で毎日鳩伝令が使える。
伝令に使う鳩が、越後春日山城と但馬の間を確実に飛べるとは思っていない。
もっと短い間隔を、確実に早く飛んでくれればいい。
騎馬伝令が一日で移動できる範囲を、鳩伝令の拠点としている。
俺はできるだけ早く溜まっていた政務を片付けた。
やるべき事を全て終えて、急いで本丸奥に戻った。
少しでも長く晶の側にいて、不安を感じないようにしてあげたい。
心からそう思っていたのだが……
「殿、私のために急いで政務を切り上げてくださり、御礼の言葉もありません。
叔父や父が無理な願いをしなければ、ここまで御忙しくはなかったでしょうに。
本当に申し訳ございません」
本丸奥に戻ると、直ぐに晶やってきて礼と詫びを言ってきた。
初めての妊娠で不安だろうに、俺に対する気遣いを忘れない。
晶が悪いのではない、強欲な粟屋右京亮が悪い。
いや、戦国の国人なら下剋上するのは当然だ。
粟屋右京亮の悪い所は、負けた事だ。
「気にするな、妻を大切にするのは当然の事だ」
「粟屋の叔父上の事も、有難いと思っております」
「気にするな、朝廷への貢租を守るために兵を挙げられた時に、直ぐに助けられなかったのを、申し訳なく思っていたのだ」
何度も同じ礼や詫びを口にするのは、俺の本心を見抜いているからだろう。
本丸二ノ丸三ノ丸を合わせれば、三千もの奥女中がいる。
それだけいれば、俺の本心を見抜く人間が一人くらいいてもおかしくはない。
晶は、多くの奥女中を指揮して真珠の養殖や硝石作りをやってきた。
女だけの世界では権力もあれば人望もある。
そして女の世界には、公家や地下家の後家や姫が数多くいる。
俺が九条と鷹司を使って工作した事を知っていても不思議ではない。
後で奥に入らせている密偵から真実を聞いておこう。
「殿様が神仏から授けられる智慧はとても素晴らしい物でございますね」
晶が急に話題を変えてきたが、どうしたのだろう?
哀しそうな表情を浮かべているが、マタニティブルーズが始まったのか?
「私と御腹の子供のために、神仏が智慧を授けてくださったのは、とてもうれしいのですが、何故この子の時からなのでしょうか?
何故御義姉様方が身籠られた時に智慧を授からなかったのでしょうか?」
頭を金棒で殴り飛ばされたような衝撃を受けた。
晶が妊娠したと分かった時、喜びと恐怖を感じた。
どのような手段を使ってでも母子の安全を確保しなければいけないと思った。
だが、あれだけ立てていた晴景兄上に子ができた時も、桃子姉上と光子姉上に子ができた時も、前世の知識を使って安全な出産ができるようにしようとは、これっぽっちも思わなかった。
俺は、自分で思っている以上に薄情なのだ。
愛情があるように振舞っているのは、前世で躾けられた範囲だけなのだ。
自分が経験した事、事前に対策を考えていた事以外は思いつきもしないのだ。
「そうだな、神仏にも事情があるのだろう。
神仏に無条件で人を救う力があるなら、このような乱世にはなっていない。
俺が神仏に選ばれたように、この子も神仏に選ばれたのかもしれない」
それがそう言いながら晶の腹をさすると、もの凄くうれしそうな表情をした。
不完全な良心が激しく痛むが、嘘をつききるしかない。
それに、嘘ではないかもしれない。
前世の記憶を持ったまま逆行転生するなんて、神仏に選ばれたとしか思えない。
本来は薄情、酷薄な性格なのだろう俺が、この子ができたのを知って、これまで感じた事のない愛情を知ったのも、神仏の御導きなのかもしれない。
いや、違う、絶対に違う!
さっき自分が口にした事を忘れるな!
神仏にそんな力があるのなら、こんな乱世にはなっていない!
「この部屋では身体が冷えてしまう、火鉢の多い部屋に行こう」
「大丈夫でございます、殿が作ってくださったこれがございます」
晶がうれしそうに、着ている綿入りの褞袍を抱きしめるようにする。
いや、褞袍と言うよりは夜着と呼ぶ方が正確だろう。
冷えて母体に悪影響が出ないように、急いで作らせた。
着替えも沢山あるから、その日の気分で着替えられる。
本当なら、まだこの時代にはない絹布団と組み合わせたら、寝ている間に身体が冷える事もないだろう。
「そう言ってくれるのはうれしいが、油断してはいけない。
冷えて子供が流れてしまう事もある、直ぐに暖かい部屋に移動しよう」
「あれ、まあ、殿様、恥ずかしゅうございます」
御姫様抱っこすると、凄く照れだした。
その姿が愛おしくて、心から守りたいと思える。
酷薄な俺だが、晶と子供には心からの愛情が抱けている。
俺は、頭だけで日本を変えたいと思っている、血も涙もない人間ではない。
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