第39話:天文の大飢饉

天文八年(1539)10月1日:能登七尾城:俺視点


「若様、関東一円で夥しい蝗害が発生したしました」


 関東方面の諜報を行ってくれている蔵田兵部左衛門尉が報告してくれた。

 伊勢御師と商人を兼ねる蔵田一族は、全国に表の諜報網を広げてくれた。

 公家、寺社、修験者と並ぶ俺の大切な表諜報部隊の一角だ。


「他の者達から、日照りからの大雨による水害の報告は受けていた。

 百年に一度とも思える大水害で、例年の一割しか収穫が望めない。

 そういう報告を受けていたが、それだけではすまなかったのか?」


「はい、残った僅かな稲に蝗の大群が押し寄せ、全てを喰い尽くしてしまいました」


「分かった、俺の支配地は何とか水害は免れた。

 だが、関東の稲を喰い尽くした蝗が何時やって来るとも限らない。

 早めに取り入れた早生の穀物は、堅固な蔵に納めさせる。

 晩生の穀物は、実りが小さくても早めに収穫させる。

 お前達は、領民が蔵に納めるのを嫌がらないように蝗の噂を流せ」


「若様、そこまで心配なさらなくても大丈夫でございます。

 若様が蝗が来るから食糧を守ってやると申されれば、安心して差し出します」


「いや、絶対はない、戦国乱世に生きる者は皆疑い深い。

 疑い深くなければ生き残れないのが乱世の民だ。

 油断する事なく噂を広めろ」


「承りました」


「蝗が何所に居るのか、できるだけ早く、次に詳しく伝えろ。

 鳩、狼煙、旗振り、早馬を駆使してできるだけ早く伝えろ。

 何としても食糧を守り切る!」


「はっ、必ず」


 迂闊だった、忘れていた、天文の大飢饉があった!

 前世で書いていた仮想戦記の多くが、天文の大飢饉後の話だったから忘れていた。

 日照りや水害では思い出せなかったが、蝗害でようやくつながった。


 このままでは今年から再来年にかけてとんでもない飢饉が起きる。

 俺の支配領域は穀物生産力が四倍になっているが、まだ全国的な飢饉を解消できるほどの収穫量ではない。


「兵部左衛門尉、年貢が払えなくて奴隷になる者が増えるな?」


「はい、既に多くの百姓が野伏になるか奴隷になるかの状態です。

 近隣の村を襲って食糧を奪わない限り、家族も自分も餓死します。

 弱い者が負けて奴隷に売られる事でしょう」


「……関東では奴隷の値段が途轍もなく安くなるはずだ。

 その全てを買い集めろ」


「はい、直ぐに買い集める準備をいたします。

 ただ一つ御教え下さい、食糧をどうなさるのですか?」


「買い集めてもらう。

 兵部左衛門尉にも伊勢御師と商人の繋がりで豊作の国から買い集めてもらう。

 銭に糸目はつけん、一石十貫文でも二十貫文でも構わん、買い集めよ」


「承りました、蔵田家の、いえ、伊勢御師の全力で買い集めさせていただきます。

 ですが、全ての国で凶作や不作だったらどうなされるのですか?

 若様は十万の兵を五年養えるだけの兵糧を蓄えられておられます。

 それを使われるのですか?」


「この蝗害で二十万三十万の兵が集められるのなら、蓄えた兵糧を全て出しても惜しくはないが、そんな事はしなくてもどうにかなる。

 真珠や俵物欲しさに多くの唐船がやってきている。

 金ではなく、穀物で真珠や俵物を売ると言えば、来年の夏までには大量の穀物を運んできてくれるだろう」


「確かに、連中の真珠や俵物への執着を思えば、穀物を運んでくるでしょう。

 ですが、あれほど厳しくしていた、金の代価厳守を緩めても宜しいのですか?」


「人の命には代えられない、などとは言わぬ。

 他国の民が可哀想だから、大切な兵糧を使うなどとは言わぬ。

 俺も戦国乱世の武将だ、これまでに幾人もの命も奪っている。

 必要ならば飢えた領民から年貢を搾り取り、親兄弟の命を奪ってでも領地を守る。

 これはとんでもない好機なのだ、分かるか?」


「分かりません、安く奴隷が買えるのがそれほど好機なのですか?」


「飢饉で餓死しかけた者、奴隷に売られた者は、飯を与えてくれる者を裏切らぬ。

 逃げても餓死する者が大半で、野伏になって生き残れる者は極僅かだ」


「はい、それは分かります」


「そんな者達は、殺されると思わない限り、腹一杯飯を食わせてくれる者の所からは絶対に逃げない。

 過酷な普請場であろうと戦場であろうと、死を身近に感じぬ限り逃げぬ。

 そんな者達に三年五作の屯田をさせれば、一年で元が取れる。

 三年で兵糧を蓄えれば、四年目には三十万の兵を率いて京に上れる」


「なるほど、金に拘るよりも奴隷に喰わせる穀物を集める時なのですね?!」


「そうだ、それに、今餓死しそうになっている者達は、働きを認めた足軽達のように、米を渡さなくても良いのだ。

 麦どころか稗や粟を腹一杯喰わせてやれば涙を流して感謝する」


「なるほど、分かりました、できるだけ買い集めさせていただきます。

 奴隷の方は安く買えるとは思いますが、穀物は高くつくと思います」


「構わない、これも兵糧攻めの一種だ。

 戦う事なく銭で城どころか国を取れるのだ、安い物だ。

 ただ、家臣や奴隷に喰わせる兵糧が少なくなるのは不安だ。

 常に三年分の兵糧を確保しておかなければ安心できない。

 銭が幾らあっても食う物がなければ餓死するからな」


「分かりました、若様の兵糧を三年以下にしないように買い集めさせて頂きます。

 毎回買い取った穀物の値はお知らせさせていただきます。

 唐船から安く大量の穀物が買えるようになりましたら、お知らせください。

 穀物の買い集めを止めさせていただきます」


「分かった、その時は直ぐに知らせる、頼んだぞ」


 さて、この後どうなる?

 飢饉で大量にでる奴隷を買い集めて、圧倒的な戦力を手に入れられるか?

 だが、五十万人までなら喰わせてやれるが、百万人だと苦しい。


 俺が記憶している公家の日記では、全国で数千万人が死んだとある。

 馬鹿馬鹿しい、千万人しかいないのに数千万人も死ぬわけがない。

 まあ、公家らしい誇張表現だから怒ってもしかたがない。


 ただ日記には、上京と下京の間で毎日六十人死んだという具体的な数字がある。

 飢饉の資料では、人々の体力が落ちて疫病が流行り百万人死んだ飢饉もある。

 だが、即座に対応できた場合は十万人、対応が悪ければ百万人死ぬだろう。


 唐船がやって来るのを待っているだけでは駄目だ!

 こちらから船団を組んで明国や東南アジアに行って確実に穀物を買い集める!

 

 明国の華北は米が贅沢品で小麦が普及品、山間部では粟を主食にしていた。

 華南では米がありふれた食糧だが、ジャポニカ米とインディカ米が混在して作られているから、ジャポニカ米を買い集めるように言っておかないといけない。


 千石の大型関船を百隻船団にして、積荷を全て穀物にしたら十万石運べる。

 十万石あれば五万の奴隷を一年間喰わせられる。

 手元にある大型関船の内、二百隻を穀物購入に投入するか?


 一番早く行ける外国は朝鮮半島だが、余剰の食糧が有るとは思えない。

 二期作、場所によったら三期作ができる東南アジアが、安く確実に大量の穀物を買い集められると思うが、往復に時間がかかってしまう。


 決めた、今回は銭金に糸目をつけないと決めたのだ。

 朝鮮半島の釜山から済州島、明の上海から福州の順の船団を行かせる。

 買い付けに成功して穀物を満載できた船から順の越後に帰国させる。

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