第22話:根回しと謁見

天文六年(1537)12月22日:播磨美嚢郡嬉野城:俺視点


 北陸に大雪が降った時点で一向一揆との戦いは中断となった。

 その時には越中を完全制圧して、加賀の河北郡も制圧していた。


 加賀の石川郡と能美郡は完全制圧には程遠かったが、沿岸部だけは確保した。

 一番の目的が本吉湊の占領支配なので、当然の戦略だ。


 普通では考えられないくらい簡単に制圧できたのは、一向一揆を宗旨替えさせる事で切り崩せたからだ。


 小黒親勝と小黒親豊親子に始めさせた、真宗小黒派に宗旨替えする者がいた。

 元々信じられていた、真宗三門徒派 に宗旨替えする者もいた。

 天台寺門宗信濃善光寺に宗旨替えする者が意外と多かった。


 根切りしても良かったのだが、そうすると作物を作る者が激減してしまう。

 農作業ができる大人を一人殺してしまうと、同じ様に働ける百姓を生み育てるまでに、最低でも十六年かかってしまう。


 いや、十六年間作物が得られなくなるだけではない。

 その間放置された田畑は荒地となり、元の田畑にするのに更に数年かかる。


 一向一揆を根切りにして安全を確保するか、餓死者を出さないように食糧生産を優先するか、少しだけ考えて食糧を優先した。


 だが、安全も疎かにはできないので、一向一揆を分断した。

 一つに纏まらないように、大きく三つの宗派に割れるようにした。

 更に真宗高田派や真宗出雲路派など、多くの宗派を誘致して細分化した。


 その時に、越後に下向している公家や地下家の縁を使った。

 彼らが実に良い仕事をしてくれた。


 羽林家に飛鳥井という家があるのだが、十代目当主の雅綱には、表に出しているだけで十男六女も子供がいる。


 五男の堯慧は、真宗高田派の総本山専修寺の住職になっている。

 彼を通じて越中加賀の一向一揆を宗旨替えさせる僧を送ってもらった。


 六男の宗禎は、北条早雲が再建した駿河修善寺の住職をしている。

 彼には駿河の今川義元、相模の北条氏綱と話ができるようにしてもらった。


 御陰で直ぐに手紙のやり取りができるようになった。

 両者は争っているが、俺には関係がない事だ。


 七男の水本は高野山報恩院で僧になっていたので、金剛峰寺だけでなく、他の僧坊とも密接な関係が築けるようにしてもらった。


 長女が真宗佛光寺派の本山、佛光寺の住職に嫁いでいたので、仏光寺からも越中加賀に一向一揆を宗旨替えさせる僧を送ってもらった。


 俺が他の誰でもなく、飛鳥井雅綱と縁をつなげたのは、六女が後に正親町天皇の側室になるからだ。


 他にも次女が朽木晴綱、三女が山城の狛氏、四女が十河氏に嫁ぐ。

 俺は四女が嫁ぐ十河氏が、三好長慶の弟、十河一存だと思っている。


 十河一存の正室は九条稙通の娘だ。

 その嫁入りに従った飛鳥井家の娘が、側室になっていてもおかしくはない。


 飛鳥井家との縁を深くしておけば、天皇家と十河家、いや、三好長慶との縁が繋がり、史実から大きく離れた時に打てる手が多くなる。


 他にも特別に優遇している公家がいる。

 経済的に困窮して京に居られなくなった、清華家の花山院家十七代当主の忠輔が越後春日山城に下向しているのだ。


 花山院家は園城寺と縁が深く、僧になる場合は園城寺に入る事が多かった。

 十一代当主の兼定は、四人もの子供を園城寺の僧にしている。


 何より嫡男に早世された花山院忠輔は、左大臣だった九条尚経の子、家輔を養子に迎えている。


 そうだ、俺は九条家と縁をつなげることにしたのだ。

 摂関家と縁を繋ぐ事には、正直結構迷った。


 利用するだけなのに、強い縁を結ぶ必要があるのか?

 縁を繋ぐにしても、摂関家は五つあるが、どの家と縁を結ぶべきか?


 近衛家は足利将軍家と深い縁を結んでいた。

 だが、最後は見放し、二条家との権力闘争に負けて越後に下向する。

 その時に上杉謙信と深く交流するのだが、同じ様にすべきか?

 

 でも、俺が歴史を改変した事で、一時的にでも足利将軍家が強くなればどうなる?

 俺自身がしっかりとした長期計画を立てないと、誰と縁を結ぶか決められない。

 悩みに悩んだ結果が、九条家と縁を結ぶ事にした。


 今の近衛家は足利義晴将軍に正室を送り、長男次男をもうけている。

 史実通りに進むなら、次の義輝将軍の正室も近衛家が送り込む。

 足利将軍家は叩き潰す予定なので、縁の深い近衛家とは結べない。


 次に権力を握るのは、足利義栄や三好長慶と手を組む二条家だ。

 今の当主である尹房は、加賀の井家荘の領有を勧修寺家と争っているのを仲裁したが、身分を笠に着て偉そうにするので、加賀から叩き出してやった。


 今の勧修寺家当主は十一代の尚顕なのだが、叔父の賢房が万里小路家の養子に入り、従妹が正親町天皇の正室になるのだ。


 そういう打算が全く無かった訳ではないが、井家荘の領有を勧修寺家にした。

 二条家に味方をした真宗本願寺派の証如が文句を言ってきたが、無視した。

 そもそも今戦っている一向一揆は、真宗本願寺派なのだから当然だ。


 公家は養子や嫁入りで複雑に血縁が絡み合っている。

 だが、困窮して娘を借金の形に取られるような状態では、公家との関係よりも、荘園を補償してくれる大名や国人との関係を優先する者も現れる。


 俺はこれまで縁を結んできた全ての組織人間を使って、九条稙通に近づいた。

 勧修寺家は九条家の門流なので、井家荘の恩は紹介状を書く事で返してもらった。

 飛鳥井家にも、越中と加賀の布教を許した恩を紹介状を書く事で返してもらった。


 高野山金剛峰寺を始めとした真言宗の人達、園城寺を始めとした天台寺門宗の人達にも、九条稙通への紹介状を書いてもらった。


 九条稙通に会う前に、自分の身分も高めてもらった。

 足利義晴将軍には、越中と加賀の守護に任命してもらっていた。

 だが、朝廷からは官職をもらっていなかった。


 そこで、越後に下向している公家衆はもちろん、子弟子女を三条長尾家で雇っている公家衆や地下家衆に、官職がもらえるように働きかけてもらった。


 問題は後奈良天皇の清廉潔白な性格だった。

 土佐一条家の二代目当主一条房冬が、裏で百貫文の献金を収める条件で左近衛大将に任命されたのを知り、激怒して献金を突き返したほどの方だ。


 後奈良天皇の即位式に献金した大内義隆も、大宰大弐への任官を申請した際には拒絶されている。


 朝廷の困窮は痛いほど理解しておられたから、側近達の説得で翌年には認められたが、普通なら俺の願いも拒絶されている。


 ただ、多くの公家衆の下向を受け入れているのは大内義隆と同じだが、俺の場合は公家衆の子弟子女を召し抱えている。


 普通なら大名や国人が見向きもしない、微禄の地下家の子弟子女も召し抱えて、本家よりも裕福に暮らしていけるようにしている。


 何より俺はまだ幼く、長尾為景の命じる事を一生懸命にやっているように見える。

 黒幕の長尾為景の官職なら拒絶されたかもしれないが、三条長尾家が求めたのは幼い俺の官職だ。


 それに俺は後奈良天皇の即位にだけに献金していない。

 長尾為景の代から、額を増やしながら毎年献金し続けている。

 何か見返りを求めるのは数年に一度、困った時だけだ。


 しかも今では、一万貫文という非常識なほどの献金額だ。

 二万石の領地を持つ有力な国人でも、家臣の領地があり、家臣や足軽小者に扶持を支払わなければいけないので、全収入でも献金できないような巨額なのだ。


 後奈良天皇は、俺を正五位下越中守に任命してくださった。

 これでようやく九条稙通と同じ部屋で話ができる。


 織田信長が初めて上洛した時は、上総介の官職しか持っていなかった。

 九条稙通は、殺されるのを覚悟で立ったまま信長に声をかけただけで立ち去るような硬骨漢だ。


 俺が無位無官のままだと、庭先にも入れてくれなかっただろう。

 全ての伝手を使って官職を手に入れてよかった。


「お初にお目にかかります、越中加賀の長尾晴龍と申します。

 禅定太閤殿下の御尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます」

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