第3話:足利義晴将軍

天文二年(1533)11月30日:越後春日山城:俺視点


「よくやった!

 麦も大豆も、できの悪い畠でも例年の二倍は収穫があったと聞いている。

 できの良かった畠では、四倍の収穫だと聞いた。

 神仏の加護があると言うのも嘘ではないようだ」


 獲物を狙う狼のような目で睨むのは止めてくれ!

 心はともかく、身体はお前の子供だぞ!


「お褒めに預かり光栄でございます。

 約束通り、例年よりも多い収穫は自由に使わせていただきます」


 俺が自由にできた三条長尾家の田畑は、例年の取れ高が一万石分だった。

 平均して例年の三倍の収穫量があったから、増えた分は二万石になる。

 だが、年貢は五公五民だから、俺の手元に残るのは一万石だけだ。


 それに、一万石とは言っても米ではなく大麦だ。

 大麦の値段は米の八掛け、米の値段で八千石分にしかならない。

 越後で銭に変えると永楽銭八千貫文になる。


「分かった、約束はちゃんと守る。

 本当ならこのまま越後に残らせたいが、どうしても京に行く必要があるのだな?」


「はい、三条長尾家が越後で絶対的な存在になるには、もっと軍資金が必要です。

 越後が雪で閉ざされている間に京で動けば、他の領主に差をつけられます」


 来年の事も考えて、地侍と百姓に何度も繰り返して農業指導をしてきた。

 畝と畝の間に適切な量の人糞堆肥をまく土づくりをさせた。


 収穫の二カ月前に、畝と畝の間に大麦の種蒔きもした。

 幸い麦は踏んだら丈夫になって収穫が増える、都合の良い穀物だ。


 俺が越後に残っても、雪で覆われた農閑期には何もする事がない。

 戦いたくても、敵味方共に大雪の下では何もできない。


 問題は荒れ狂う冬の日本海をボロ船で京まで行く事だが、船での商売に慣れた蔵田五郎左衛門と荒浜屋宗九郎が大丈夫と言ってくれている。


 京での護衛も何の心配もない。

 俺の指導で例年の三倍もの収穫があった、三条長尾家譜代の地侍と百姓が志願してくれたので安全だ。


 この時代の人間は、前世の日本人以上に信心深い。

 前世でも宗教を使った洗脳や詐欺が横行していたが、この時代は前世とは比べ物にならないくらい狂信的だった。


「若様は私の命に代えても護って御覧に入れます!」

「はい、私も命を惜しまず仕えさせていただきます!」

「若様が京で自由に動けるように支援させていただきます」


 俺が心をつかんだのは地侍と百姓だけではなかった。

 三条長尾家譜代の、重臣達の心もつかむ事ができた。


 いや、完全につかんだとは言い切れないが、有力な跡継ぎ候補には成れた。

 晴景を押しのけて跡継ぎになる気はないが、何をするにも立場地位が必要だ。

 三条長尾家の重臣や譜代衆は、俺が京でどれだけの働きができるのか、同行して見届ける気になっている。

 

 京で帝と将軍、管領からある程度の利を手に入れられたら、兄上達よりも跡継ぎに相応しいと思われるだろう。


 長尾為景が長生きすると分かっていれば、晴景、いや、今はまだ定景だな。

 定景兄上を中継ぎにする事なく、俺が越後守護代になれた。

 俺が守護代になる前に、定景兄上を守護にできた。


 だが、俺が覚えている為景の死亡年では、そのようなやり方は危険だ。

 状況によって臨機応変にやるべきだが、定景兄上を守護代にして、俺は補佐役、軍になるのが一番安全な気がする。


 まあ、俺が前世の考えを捨てられない事が一番の原因だと分かっている。

 母まで同じの、人の良い定景兄上を押しのけて跡継ぎになるのは気が重いのだ。


 前世で元農家の長男に生まれたから、家は長男が継ぐという考えが、心の奥底に沁みついている。


「では父上、京に行って参ります。

 雪が解けるまでには帰って来る心算ではありますが、京の騒乱に巻き込まれて遅れるような事があっても、心配しないでください」




天文二年(1533)12月15日:近江観音寺城下桑実寺:俺視点


「苦しゅうない、面を上げよ」


 俺を見下ろす場所にいる、室町幕府十二代将軍足利義晴が偉そうに言う。

 自分の力では京に入られず、六角定頼の庇護で生き長らえているのに偉そうだ。


「はっ、有難き幸せ」


 まあ、今年は義晴将軍の味方が大活躍しているから、調子に乗る気持ちも分かる。

 義晴将軍自身も、法華宗と呼ばれている比叡山延暦寺の僧兵や信徒を使って、暴徒化する一向一揆を打ち破っている。


 細川晴元も延暦寺の僧兵を使って一向一揆を打ち破っている。

 守護に匹敵する国人、三好元長の遺児である三好千熊丸を味方に引き入れられた。

 ……三好千熊丸には同情しかない。


 味方として戦ってくれていた三好元長を裏切り、一向一揆を使って自害にまで追い込んだ細川晴元、絶対に味方にできない糞野郎だ。


 何時裏切るか分からない味方ほど危険な奴はいない。

 俺なら、敵が増える事になっても構わないから厳しく接する。

 どうしても味方に加えないといけないなら、裏切る前提で作戦を考える。


 三好千熊丸……父親の仇を主君として仰がなければいけないとは、内心でどれほどの怒りをため込んでいる事だろう。


「千石もの麦を兵糧として献上するとは殊勝である。

 米ならばもっと良かったが、越後が水害ならしかたがない」


 他人に奉仕されるのが当然と思っている奴は、好い気なもんだ。

 民百姓が苦しんでいるのは、お前らが権力に執着したからだろう!

 前関白・近衛尚通の娘を正室に迎える事が決まって調子に乗っているのか?


「はっ、私が下手に米に替えようとして買い叩かれるよりは、上様の御威光で替えていただく方が良いと考えました」


「幼いのに良く考える、のう」


「「「「「さようでございますな」」」」」


 義晴将軍の言葉に、近臣達が阿諛追従する。

 露骨に舐められているが、まだ四歳の俺では威厳が足りなさ過ぎるのだろう。


 だが、俺は兎も角、越後の兵と兵糧は無碍には扱えないはずだ。

 細川晴元と細川晴国が生き残りをかけて戦っている最中なのだから。


 俺が率いてきた三条長尾勢千兵は、馬鹿にならない戦力だ。

 余り舐めた態度を取って俺や後見人を怒らせて、細川晴国に味方されたら大変な事になるくらい分かるよな?


 その程度の事も分からない馬鹿なのか?

 うん、馬鹿なんだ!

 馬鹿ばかりだから、これほど長い間、戦いが続いているのだな。


「恐れ入ります」


「そなたが願っていた、越後の麦を座を通さずに畿内で直接売る事、許可する。

 内裏への参内もできるように取り計らってやる」


「有り難き幸せでございます」

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