君が死ぬまで殺すのをやめない
よねり
第1話
生きる意味とは何だろう。暗い部屋の中で自問する。
俺は全て失った。家族も、仕事も何もかも。もう四十代半ばで、この先何の希望も見いだせない。それならいっそ……と考えているうちに、指が無意識にパソコンのキーボードを叩いていた。
自殺者募集という文字がパソコンのディスプレイに映し出された。これでいくつ目だろうか。これまで巡ったどのウエブサイトもダミーか悪戯の類いだった。
ロードされたページは黒背景に赤文字という見づらいデザインで、使われている言葉も陳腐な物だった。思わず口元が歪む。口元からアルコール混じりの生臭い息が吐き出され、それがまた気分を落ち込ませる。
『死は甘美なる媚薬』
どこかで聞いたフレーズだ。古いゲームのキャッチフレーズだったような気がする。そのページを離れようとしたとき、指が止まった。コンテンツの中に、本日の自殺内容というものがあったからだ。
「ゲーム……か」
クリックしてみると、妄想とは思えないほどリアルな文章が目に飛び込んでくる。体のどの箇所が、どのように痛むか。それによって、どのように感覚に作用するのか。この作者は詳細にそれを書いていた。眉をしかめながらも、それを読んでしまう。いや、読まされてしまうのだ。
所々、血のついたナイフや何かわからない器具が写っている。どうせ作り物——と思いつつも指先が震えた。
コンテンツの中には動画もあった。カウンターを見ると、相当な再生回数だった。このコンテンツがこのサイトの最大の売りなのだろう。再生ボタンをクリックしてみる。突然、仮面が画面に大写しになる。すぐにカメラは引きの映像に切り替わり、どうやら仮面をつけた人間はビルの屋上に立っているようだった。映像からは男なのか女なのかわからない。顔は仮面で見えないが、金髪の毛は肩まで伸び、風になびいて踊っている。華奢であるが色気はなく、中性的に雰囲気を持つ少年のようだった。少年はジッと下を見据える。カメラも少年の視線を追うように、ビルの下を映す。ただの映像であるのに、意識が遠のきそうだった。それくらいの高さを持つビルの際に立っているにもかかわらず、少年は震えるどころか落ち着いているように見えた。
唐突に少年はポケットからナイフを取り出す。不良少年が振り回すようなチャチな物ではなく、アウトドアで使うようなごつい奴だ。少年はためらうことなくそれを自らの腕に突き立てた。一瞬、少年の体が震える。少し遅れて赤い血。少年は自分が本物の人間であることを見せるために、そんなことをやって見せたのだろうか。そして、ナイフを後ろに投げ捨てると、あっという間もなくそこから飛び降りた。カメラが彼の後をズームで追う。そして……ほんの数秒後、彼の体はまるで、夏祭りで取ったヨーヨーを落として割ってしまったみたいに体液や脳漿を飛び散らせる。カメラは限界までズームし、それらを映していった。
俺は気持ち悪くなってトイレに駆け込んだ。カメラはズームのために随分手ぶれしていたから酔ったのだ。そうに違いない。あんな作り物の映像……作り物に決まってる。
嘔吐感はあったが、胃液以外何も出なかった。当然だ。もうずっと、何も口にしていない。酒も飲み飽きた。
部屋に戻る途中、ゴミ袋に足を取られた。部屋の中はもう、ゴミで一杯だ。片付ける気も起こらない。最後に風呂に入ったのはいつだったろう。
動画は終わっていた。コメント見ると、賞賛するものと罵倒するもので言い争っていた。信じられないことだが、彼を神と崇めている連中がいるらしい。馬鹿馬鹿しい。
俺は彼のページを離れて、集団自殺のコミュニティを探し当てた。山奥で練炭自殺するというレトロなものであったが、今の俺には何でもよかった。とにかく、人に迷惑をかけずに死ねるなら練炭でも、硫化水素ガスでも窒素ガスでもヘリウムガスでも良い。とにかく人生を終わりにしたい。今の俺の頭にあるのはそれだけだった。ちょうど決行は今夜だった。直前まで参加者を受け付けているようなので、メールを送ってみた。集合は午前0時。ちょうど二時間後だ。さすがに返事は期待していなかったが、意外なことにメールを送った三分後に返事が返ってきた。
『了解。あなたの安息を望むものより』
素っ気ない返事だった。だが、安息を望むという署名を見て、少しほっとした。何故なら俺の安息を望んでくれる人なんてこの世には誰もいるはずがないからだ。
出かけるなら準備しないと、と思ったがすぐにそれが間違いであることに気づいた。これから死にに行くというのに、何を持って行こうというのだ。着の身着のままで行けば良い。そこで俺の人生は終わるのだから。
ふと、楽しかった頃のことを思い出した。俺は一度結婚していた。大学生の頃から付き合っていた彼女で、二十代最後の年だった。子供が出来て、仕方なしにした結婚だったが、子供が生まれたとき、俺は涙を流した。こんな小さなものが、一生懸命に行きようとしているということに感動した。初めて触ったあの小さな手の感触を、今でも覚えている。少しでも力を入れたら壊れてしまいそうで、でも力一杯抱きしめたくなるほど愛おしい。そんな存在だった。ただ少し身じろぎしているのを見ただけで、歓声を上げたくなった。子供のためなら、何だって出来る。人殺しだって出来ると思った。
妻と赤ん坊が一緒にアパートにやって来る日、俺は落ち着かなくて朝から三十回もトイレに行った。病院へ行って退院の手続きをしている間も、俺は落ち着かなくて何度も書類を書き間違えた。自分の名前すら間違えたほどだった。
振り返って玄関の扉を見る。そこから二人は入ってきて……俺は考えるのをやめた。これ以上は耐えられない。時計を見上げる。まだ五分程度しかたっていない。集合場所の駅はここから一時間もかからない場所である。しかし、俺はいても立ってもいられず部屋を出た。
ポケットからたばこの箱を出すと、中身は空だった。握りつぶしてポケットに突っ込む。すぐ目の前にコンビニがあった。たばこを買っていこうかと思ったがやめた。コンビニの明かりが、まるで自分を拒むように明るく見えた。コンビニの前に座り込んでしゃべっている若者でさえ、自分をあざ笑っているように思える。背筋を冷たい汗が流れた。
コンビニの前で呆然と立ち尽くす俺に気づいた若者たちが、こちらを見て何か笑い合っている。俺は早足でそこから立ち去った。
汗が引かない。心臓が高鳴る。自然と足が速くなり、いつもよりも早く駅に着いた。終電間近の電車の飛び乗ると、車両が酒臭かった。
何度か乗り換えをして目的の駅に着く。駅の名前は知っていたが、降りたことはなかった。思っていたよりも寂れていて、駅前のロータリーに並ぶタクシー以外、人の気配が全くなかった。そういえば、何を目印にすればよいのかわからない。時間になれば誰かが呼びに来るのだろうか。
それらしい人影はまだ無かった。俺はロータリの端にあるベンチに座った。風が冷たい。随分山の方らしい。町から少し離れただけでこんなに寂れるのか……。
することもなく、空を見上げた。星が輝いていた。こんな寂れているというのに、それでも星が多すぎるとは感じなかった。もっと真っ暗な中でしか、星はよく見られないのだろう。
俺はベンチにごろりと寝っ転がった。このままここで凍死するのも悪くない。そう思った。ロマンティックではないか。こんな星空の下、目をつむり、楽しかった頃の夢を見ながら死ぬことが出来たら、最高だ。もちろんそれは不可能だと言うことはわかっている。そこまで寒くないし、こんなところで眠ったら、駅員がきて起こすだろう。ならば、誰かに起こされるまでしばし楽しい夢を見よう。
俺は目を閉じた。
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