第12話 その先にあるものは

 その日清水はある人の元を訪れていた。特別に面会を許された村松の所へだった。どうしても会いたいと思い、山本にお願いしていた。


 村松は面会に応じた。拒否も出来たが応じたのだ。緊張で震える手を押さえつけて清水は村松と会った。


「久しぶりねコウ君」

「ええ、こうして顔を合わせるのはいつ以来でしたか」

「さあ分からないわ。私はここしばらくあなたと連絡を取っていなかったから」

「そうですね。僕もそうでした」


 清水は自分の生活が順調だった。だから連絡をする事は少なくなっていた。村松は恩人だったのに、冷たい人間だと清水は自分に毒づいた。


「ごめんなさい」

「どうしてコウ君が謝るの?私は全然気にしてないのに」

「でも今の僕があるのはユウカさんのお陰なのに、最近は自分の事で手一杯で、そんな大切な事も忘れていた」


 清水の言葉に村松はため息をついた。そして呆れたように首を振った。


「コウ君が忙しくできるのは、あなたの生活が順調な証よ。本当によかったわ、あなたが生きていける道が見つかって」

「ユウカさん…」


 村松は清水を囮に利用した。したが、清水を思いやる言葉の一つ一つにまったく嘘はなかった。それどころか優しさや慈しみに満ちていた。


 それは清水にとって嬉しい事ではあったが、同時に不思議で理解が出来ない事でもあった。清水はてっきり村松に嫌われて憎まれたからこそ囮に使われたのだと思っていた。


 しかしそれは違うようだと清水は思った。だからもっと不思議だった。何故今もまだ村松は自分の事を肉親のように好いてくれているのだろうか。


「ユウカさん、あなたは僕の家族だ。本当の家族より多くの事をあなたから教えてもらった。僕はあなたがいなかったら生きていなかった。だから家族だと心から言える本当に」

「そう…、今でもそう思ってくれているのね…あんな事をしたっていうのに」

「された事をどう思えばいいのか、正直今もよく分かりません。だってユウカさんを憎むなんて僕には出来ないから」


 憎めない、それが清水の本心だった。自分が利用されていた事実をもってしても清水は村松を憎んでも恨んでもいなかった。


「馬鹿ねあなた。本当に馬鹿。私の事なんて恨んで忘れてくれればいいのに」

「そんな事無理だってユウカさんは分かる筈です。僕の事を一番よく知っているのはユウカさんだ」

「本名だって知らなかったってのに?」

「僕にとってあなたに名乗ったコウが本名のようなものだった。だって本名は、どうしたって過去を思い出させるから…」


 清水にとって過去に繋がるものはすべて呪いだった。あの地獄へ引き戻されるような気がする呪い、だからそこから逃れるのに必死だった。そのせいで村松と疎遠になりつつあったのは事実だ。


「もっとユウカさんと一緒にいればよかったのかな?そうすればこんな事にはならなかったのかな?」

「…本当に馬鹿な子。あなたはあなたの人生を生きるべきなのよ、生活だってあなたがあなたらしく生きていける道を見つけられたのだからそれでいいの。悪いのは私、あなたじゃないわ」

「でもユウカさん」

「あのね、私の家族の話をしてあげる。聞いたことなかったでしょ?」


 村松は清水に話した事のない話をし始めた。




 村松優香には物心ついた時から母親しかいなかった。実の父親を見たことは一度もなく、父親というものを知らずに育った。


 母親は自堕落な人だった。村松を産んだ時はまだ未成年で、父親は妊娠が発覚した時点で逃げた。どちらも親になる覚悟はなかった。


 自分が特殊な環境に置かれている事は何となく分かっていた。母は男を取っ替え引っ替え漁り、体を使って多くの男性と関係をもった。


「今日からはこの人があなたのお父さんよ」


 何度もそのセリフを母親から聞いた。そして何度も父親は変わった。同じ父親が長く留まった事はなかった。


 村松が成長するにつれて母が連れてきた父親が村松に触るようになった。村松は嫌悪感に吐きそうになりながら我慢する他なかった。自分一人で生きていく力はないし、母親にはもっとその力がなかった。


 我慢し、心を殺し、耐えて耐えて耐え抜いた。村松は中学を卒業すると就職した。兎に角自立したい、その一心だった。


 家を出て仕事をした。しかしそこでの生活も苦しいものだった。村松は低学歴を嘲笑われ労働を強いられた。パワハラもセクハラも日常だった。それでも歯を食いしばって耐えた。耐える以外の方法は知らなかった。


 お金は使わずに貯めた。今いる会社は腰掛けに過ぎず、すぐにでも出ていきたい気持ちで一杯だった。同年代の子達が、制服を着ておしゃれをして、恋愛をして青春を送る日々を横目に村松は食いしばった。


 村松はお金を目標まで貯めると会社を辞めた。そして次の職を探した。しかし中々就職は難しかった。中卒という学歴がここでも響いた。


 生きるために出来る事を探した。村松はそうやって生きてきた。どうにか生きられる場所を見つけた時、母親が死んだ。子宮頸がんから全身に転移したのが死因だった。


 母親は死ぬ前に借金やトラブルを多く抱えていた。主に男性関係の奔放さが招いた事だった。村松は母親の呪縛にまた囚われた。


 巡り巡ってまた地獄へと引き戻される、村松の根底には常にその考えが染み付いていた。




「私はね、別に不幸を恨んじゃいないの。ただどうにもならないっていう現実が嫌いなだけ。本当はやり方はいくらでもあったのかもしれない。だけどその時そのやり方を知らなければ同じ事だわ」


 村松の表情は諦念に満ちていた。清水はそれを見て胸が締め付けられるような思いだった。


「コウ君を助けたのは最初は気まぐれだった。でも話を聞いていく内に自分と重なる所を見つけた。そしてあなたを助ける事で私も救われたような気分になっていた。あなたからは多くのものを貰った。家族というものを初めて知ったの、あなたとの生活でね」

「そんな…それは、それは俺にとっても…」

「泣かないの。こんな人間の話で泣くもんじゃないわ、あなたは私を蔑むべきよ」


 清水の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。その涙が何故出ているのか清水には分からなかった。何の為に誰の為に泣いているのか、清水はそれを理解出来ずただ涙した。


「私があなたを利用した理由は、確かに刑事さん達の言う通り都合がよかった。でもそれだけじゃないの、もしかしたらコウ君なら私に味方してくれるんじゃないかってそう思ったの。あなたに甘えたのね、最低な人間よ」


 村松は自嘲的に笑った。しかしそんな彼女に清水は首を振った。


「僕はあなたの事を思い出した時、それらを告げずに時間稼ぎをしようとした。あなたの罪に手を貸そうとしたんです。僕は同じように罪を負おうとした」

「そう…、やっぱりあなたはそう考えたのね…」

「でもそれがあなたの為にならない事が今ハッキリと分かりました。僕がするべきだった事はあなたに罪を犯させない事だった。家族としてあなたを支えるべきだった。この事件が起こる前に、あなたともっと話すべきだったんです」


 それからしばらく、清水も村松も言葉もなくお互いの顔を見つめた。すぐそこにいるけれど、二人の距離は遠く離れていた。


「僕は待ちます。あなたを待ちます。どんな事があっても絶対に」

「そんな無駄な事はやめなさい。あなたの人生を生きるのよ」

「無駄じゃない。少なくとも僕にとっては無駄じゃありません。ユウカさんが迷惑だと言っても待ちますから、絶対にです」


 清水は立ち上がった。面会の時間が終わる。村松の返事は待たなかった。もう心の内は決めていたからであった。


 清水と村松の間にあった家族の絆は、村松の裏切りによって一度絶たれた。村松は清水を拒否し続けるだろう。


 しかし清水は違った。消えてしまっても、また一からやり直せばいい。過ちはお互いに犯していたのだから、そう思った。


 清水は携帯電話を取り出すと、記憶を頼りに番号を打ち込んだ。何回かコール音の後、女性の声が聞こえてきた。


「もしもし、そちら清水さんのお宅でしょうか?」

「は、はいそうですが。どちら様ですか?」

「僕は…、僕は清水湊といいます。家出した湊です。あっ、詐欺じゃありませんよ、詐欺にしか聞こえないかもしれないけれど…」


 電話をかけた先は実家だった。まだその番号が使われていて、家族がそこに住んでいた事に清水は胸をなでおろした。


「家族の、家族の話がしたいんです。今更かもしれないけれど、僕はもう一度向き合えるかもしれないから」


 嘘の血濡れから始まった殺人事件。失うばかりで取り戻す事の出来ない数々の事。しかしその先にあるものは変えていけるかもしれない、上手くいかなくともそうしたいのだと清水は過去と向き合う決意をした。




 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る