電脳譚詩
海猫ほたる
前篇
最新の第13世代量子コンピュータがもうすぐ発売になる。
私が開発したのは、そのコンピュータに搭載された、基幹部分にあたるOSのプログラムだった。
ナヴィスシステム。
今では全世界で使われているこの量子コンピュータは、完全没入型フルダイブシステムと呼ばれる、現実と変わらない、いや、現実よりも理想的な仮想空間に人々を導いて行く。
かつて、旧世代のコンピュータに変わる量子コンピュータの開発と量産は、人々の夢だった。
それを可能にしたのは突如開かれた異世界からの扉だった。
その扉は東京都港区の某所に突然現れた。
私達は異世界に繋がるその扉を〝
私たちはゲートウェイを通じて未知の大地に踏み入れ、そこで未知なる物質を発見した。
その物質は、極低温下でなくても恒常的に量子ゆらぎを持つ鉱石。
今までの私達の常識が通用しない未知なる物質だった。
その物質には、〝アシュレードンガーの三毛猫〟の法則で有名な偉大なる量子力学の物理学者、アシュレードンガー博士の名を取って、アシュレードンガー・シリコンと名付けられた。
私達は、その物質を使って新世代の量子コンピュータを作る事に成功した。
新世代の量子コンピュータがもたらす計算能力は恐ろしい速度であったが、それでも人類はまだ完全没フルダイブ型の仮想空間を手に入れるには至らなかった。
それが可能になったのは、ある一人の科学者、ナヴィス博士の閃きによる物だった。
ナヴィス博士はこう言った。
量子コンピュータで仮想空間は実現したが、その仮想空間に我々が実際に入るには、人間の脳に仮想現実を見せる技術が必要になる。
だが、人間の脳と仮想空間を繋ぐ事のできる技術はまだ無い。
脳内にマイクロチップを埋め込む計画も考えられたが、微細なナノマシンに量子コンピュータ並みの演算能力を持たせる事は到底不可能だった。
人間の脳に入り込めるミクロサイズの大きさでありながら、量子コンピュータの作り出した仮想空間を伝えられるような高性能なコンピュータの開発は難しい。
だから、ここで発想を転換する。
人間の脳に匹敵するコンピュータが無いなら、いっそ人間の脳をコンピュータの端末にしてしまえば良い——
最新の量子コンピュータで
人間の脳は量子コンピュータから送られてきたデータによって、制御される。
制御され端末となった脳は、その持ち主である人間に、量子コンピュータの作り出した
そう、人間は夢という形をとって、完全没入フルダイブ空間に入り込むのだ……
宋の思想家、荘子は言った。
ある時、私は夢を見た。
夢の中で蝶になり、ひらひらと飛んでいたが、目が覚めた。
はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも本当は、自分は蝶が見ている夢なのか——
完全な夢は、現実と、もはや区別が付かない。
理想の世界を夢見る人々に、理想の世界の夢を見れるように仮想空間を作りだした。
そして、仮想空間で人々が理想の姿になれるプログラムを、私は作る事ができた。
もうすぐ人々は夢の世界に誘われる。
全ての人が理想の夢を見れるようになった時、果たしてこの世界は、夢の世界とどちらが人々にとっての真実となるのだろうか。
多くの人が、夢の世界の方が真実で、今の現実は仮の姿に過ぎないと思い始めた時、夢が現実を下剋上するのではないか。
夢と現実が入れ替わる日が来るのだろうか。
私の仕事は、そんな未来を作り出そうとしているのだろうか——
わからない。
だけど一つ言える事は、もう誰にも止める事はできない。
走りだした象は、誰にも止める事はできない。
願わくば、その夢がせめて楽しい夢であって欲しい。
どうせ侵食されるのならば、楽しい夢に侵食されてみたい。
私は、ナヴィスOSの開発がひと段落した後、ゲームの開発をする事に決めた。
完全な仮想空間にフルダイブして、大人数が同じ世界で遊べるゲーム。
フルダイブ型VRMMO——
どうせならファンタジー世界が良いだろう。
エルフやドワーフ、ホビット達と一緒に、モンスタを倒して冒険をする。
タイトルは……そうだ。
パストラル・テイルズにしよう。
人々は楽しんでくれるだろうか。
いや、楽しんでくれる物を作らなければ。
私が作り出したナヴィスシステムを、最も有効に使えるのはこのゲームなのだと誰もが納得できるような物にしなければ……
そうならなければ、やがて悪用される事になってしまう。
そう、これは私の——
私、
さて、朝のコーヒーを飲んだら早速取り掛かるとしよう。
ふふふ……楽しみだ。
世界中の人々が、完全没入フルダイブ型MMOに興じる姿を見れるのが、今から楽しみだ。
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