第四章 自然の摂理 5.天変地異 三度 --18年経過--

 海は広いな。俺は今日も海に来て魚釣りで食料調達だ。あとで海藻も拾うぞ。

 伊豆に来て4年、富士山噴火が治まって2年経った。もう50歳を過ぎたが体はまだ衰えていない。個人の感想ですが、何か?


 熱海は以前とあまり変わらない。火山灰は気にならない。うっすら積もった程度だったからな。この3年間で風に飛ばされたり、土と混じったり、少しずつ雨で流されたり、収まるべきところに収まった感じだ。

 海に大量に浮いていた軽石も、いつの間にか無くなっていた。どこかに流されていったんだろう。お陰で魚も帰ってきた。


 道は草だらけだ。除草剤はとっくに尽きた。かつてアスファルトで舗装されていたところも背の高い草が生い茂って、どこが道だかわからない。草の中を歩いていると、隠れているガードレールの残骸にぶつかったり、路肩の段差に躓いたりして怪我をする。だから、主要道は毎日歩いたり自転車に乗ったりして草の進出を防いでいる。

 普段行かないところに入るときは杖が必須だ。格好良く言えばトレッキングポール。草に隠れた障害物や凹凸を確認しないと危なくて歩けない。視覚障害者さんの気持ちが少しわかった気がする。


 もうこの星は虫と植物と爬虫類と魚介類の惑星になった。両生類とか菌類とかもいるか。掘り下げても意味が無いが。

 鯨とかイルカとかの海洋性哺乳類がどうなったかは知らない。少なくとも東伊豆沿岸では見かけない。大型の動物が陸上に進出するには早くても数万年は掛かりそうだな。

 虫が巨大化する世界は想像したくない。アニメか? ってね。

 爬虫類は大型化するかも知れないな。恐竜は爬虫類とは違って鳥類の先祖だって言うけどな。


 何れにしても、知性が発生するまで早くても数万から数十万年はかかるな。そのときに人類の形跡が残っているものだろうか?

 万年単位になると地殻変動も結構盛んに起きるだろう。日本なんて海溝に引きずり込まれてマントルに飲み込まれているかも知れん。

 逆に、全大陸が小笠原目指して近づいて、巨大大陸になるって言う説もあったな。そのときには日本列島は押しつぶされて、日本人の形跡は土中深くに埋もれてしまうだろうがな。


 ま、俺には関係ないことだ。


 そんな世界での狩猟採集生活も慣れると楽だ。ちょっと大きな街まで行けばまだまだ食料が手に入る。乾麺は袋を開けて湿気っていなければ問題ない。熱湯で茹でるからな。缶詰は膨らんでなくて、開けて臭いに異常が無ければ大丈夫。もちろん加熱してから食べている。

 夏から秋にかけて柑橘類が結構採れる。秋には栗と柿も採れる。虫食いが多いが、よく探せば無傷のものもある。ビタミンと糖分が嬉しい。砂糖もまだ手に入るが、果物の糖分は別格だ。栗は茹でるのが面倒だが、20年近くやってると手慣れたもんだよ。

 プロテインも結構飲める。新しい袋を開けたらほんのちょっと飲んでみる。半日経って腹が痛くならなければOKだ。もし腹が痛くなったら2,3日動かずに消化の良いものと水分を摂って安静にする。医者がいないから無理をすると死ぬかもしれないからな。


 住居はやっぱりホームセンターだ。まだまだ使えるものがある。資材と手動の道具はいくらあっても困らない。

 富士山が噴火したから東海地震に要注意だ。連動すると思うんだよ。津波と土砂崩れを警戒している。

 高台のホームセンターを拠点にして、自転車で坂を下って食料や必要物資を調達するんだ。帰りは物資を積んだ自転車を押していくから結構大変だけどな。


 電気もガスもほぼ無い。まだ発電できるアウトドア用の太陽光充電器が使えるんで、照明やちょっとした機器ぐらいはなんとかなっている。DVDも見るのが面倒になっちゃった。電子機器は音楽再生ぐらいしか使っていない。

 暇つぶしは読書と筋トレだ。図書館に通って小説なんかを片っ端から読んでいる。知識はもう要らないな、と思うんだが、小説からも結構知識が入ってくるよ。すごいな、人類。

 被災前より体格が良くなっている気がするが、体組成計も使えない。アナログ体重計で測ると体重が増えているが、脂肪が増えた気はしない。パワーも上がった気がする。


 そして、エアチェック、無線の受信だ。高台で、主に東から来る電波を受信しようとしている。東京都心と、横須賀基地、厚木基地あたりで何か動きがないだろうか? ここへ来るときに見つけた生き残りの痕跡。アレを残した奴はどこにいるのか?

 時々チェックするが、一度も受信したことがない。どうやら、今現在、無線を使える奴は南関東には居ないらしい。でも、この先どこからかやってこないとも限らない。エアチェックはこれからも続けていこう。


 それにしても、人類滅亡に近い意識を失う大災害、その後起こった関東大震災と富士山噴火。この20年、天地がひっくり返るような天変地異を、よくまあ1人で乗り越えてきたな。

 逆か? 1人だから乗り越えられたのかも知れんな。




 また昔のことを思い返してしまった。そろそろ帰って釣れた魚を干物にしよう。今日は海藻は採らなくても良いか。


「あっ!」


 立ち上がろうとしたときだった。下から突き上げてくる強い力。

 足が滑って膝から崩れ落ちてしまった。左膝に激痛が走る。だが、それどころじゃない。とにかく周りの岩にしがみついて、海に落ちないように3本の手足で踏ん張る。


「地震! 大きいぞ! …… 東海地震か!?」


 揺れは結構長かった。10分以上揺れていなかったか?

 いや、主観かも知れん。実際にはせいぜい2分ぐらいかもな。


 揺れは治まった。次は津波が来るかも知れん。早く高台に逃げなければ。

 痛みをこらえて立ち上がったが、左足に力が入らない。これでは岩場を登ることができん。誰も助けに来てくれない。


 ついにやってしまった。怪我をしないようにいつも気をつけていたのに、いつの間にか油断していた。今日は岩場に来たというのに軽装だった。うかつだった。

 このまま津波にのまれて死ぬのかな。大勢の被災者さんたちと同じか。

 いや、あの人たちは突然意識を失ったから衰弱していく恐怖とか焦りとか怒りとか、そういったものは感じなかっただろう。ところが、俺は溺れて意識を失うまでこの状況と心理戦をしなければならないのか。あの人達より厳しいな。


 年のせいか、なんとかして助かろうという気力は沸いてこない。それよりも、この20年近く、1人でよく頑張ったよな、という思いが込み上げてくる。同時に、俺の人生って一体何だったんだ? という疑問も沸いてくる。

 何のために生きてきた? 何を残した? …… 何にもしてないな。ただ生き延びて、ちょっと遊んだだけだ。

 だけど、人の生涯に意味なんて無いよな。生命だから、ただ生きる。成功も失敗もない。俺は生きた。生ききった。それで良いじゃないか。それが俺の結論だ。




 人生の振り返りを終わり、一応、悟りの境地に達したときだった。


「来た!」


 津波だ。水平線が高くなった。こっちに迫ってくる。

 クーラーボックスの中身を捨て蓋を閉める。ショルダーベルトをたすきに掛ける。これを浮き具にするんだ。


 あっという間に波にの飲まれた。だが、クーラーボックスにしがみついて、右足一本でカエル足で蹴る。

 なんとか海面に顔を出すことができた。

 周囲を見回すと、どうやら1kmぐらい北西に流されたようだ。流れの左手には急峻な山が見える。周りには、どこから来たのか小船やら漁具やらいろんなものが流されている。このままだと街の方に運ばれてしまう。

 大きなものにぶつかったり、網に絡まったら一巻の終わりだ。痛みをこらえて左足でも水を蹴る。流れと垂直方向に移動して、左手の山肌にとりつくんだ。




 何がどうなったのか解らないが、とにかく山肌に取りつけた。

 クーラーボックスを捨てて、蔓草とか藪とか木の枝とか、手当たり次第に引っ張って山肌を登った。途中、何度も滑り落ちそうになった。

 ようやく道路だったところまで登った。見下ろすと5mぐらい下をいろんなものが沖に流されていくところだった。

 一息ついたが、油断はできない。第2波の方が大きいことは珍しくない。もっと高いところに移動しなきゃ。


「ぐへぇっ!」


 歩こうとしたら左膝に激痛が走った。

 一息ついたところでアドレナリンが途切れたのかな。斜面を登っているときは痛みを忘れていたんだが。

 右足の靴は無くなっていたが、そんなことは気にしていられない。辺りを見回して、松葉杖の代わりになりそうな棒を使って少しずつ高い方へ移動した。

 道には落ち葉が積もっている。裸足でもそれほど痛くない。と油断したら隠れていた小石を踏んで痛かった。よく見るとトゲトゲした新しい枝も落ちている。よく見なければ。


 しばらく行くと、斜面に石階段があった。手すりはない。後ろ向きで階段に腰掛け、手と右足で一段ずつ尻を持ち上げて階段を登った。

 登っている途中に揺れが来た。余震だな。小さくて良かった。油断できんぞ。

 少しずつ海面が遠のいていく。一番上まで上がったところでようやく一安心した。元々の海面から20mぐらいはある。この高さまで来る津波はそうそうないだろう。


 夕闇が迫っていた。振り返ると神社だった。この階段は参道だったんだな。そう言えば鳥居が…… あんな下に落ちてるよ。

 拝殿は大きな被害がないようだ。ビッコを引きながら拝殿前に。神様にお礼とお詫びを言って、拝殿に上がる。

 扉には古びた小さい南京錠がかかっていた。ポケットに入れていた十徳ナイフで鍵周りを削って中に入った。木が痩せてるから削るのは簡単だ。

 中は埃っぽいっていうか、床は地面と変わらない。だが夜露はしのげるだろう。今夜はここをお借りして休もう。


 服はまだ濡れている。夏の終わりとは言え、濡れたままでは体が冷える。着ているものを脱いで、広げて乾かした。神様の前でワイドオープンだよ。ここの神様が男性でありますように。


 膝は出血こそ無いものの、赤紫色って言えば良いかな、変色して一回り太くなっていた。

 半月板とか軟骨とか、その辺の損傷かな? 簡単には治らないかも知れない。

 まだ乾いていないシャツを膝に巻いた。少しでも熱が取れて痛みが引けば良いな。


 体の他の部分もチェックする。水中でいろんなものにぶつかったな。小さい打ち身がたくさんあるが、痛みはほとんどない…… って、認識した途端に痛み出すじゃないか。なんてこった。

 擦り傷がたくさんできいる。山肌を登ったときについたみたいだ。消毒したいが、水すらない。感染症にならないことを祈りつつ放置だ。

 でも、膝以外に大きな怪我が無くて良かった。




 いつの間にか寝ていたようだ。余震で目が覚めた。

 寒い。夏の終わりとは言え、流石に裸で寝てると冷えるよ。それに、怪我のせいかな、発熱してるみたいだ。

 まだ夜明け前だ。星明かりを頼りに乾いた服を着て横になって考える。

 覚悟ができたはずなのに、あがいて生き残ってしまった。これも生命の性か。


 じっとしていれば痛みはないが、少し体をひねっただけで痛みが出る。参ったな。しばらく動けないぞ。

 昨日の昼から10時間以上食べてないが、熱のせいか食欲はない。今は。だが、何か食べないと。


 それにしても、ここはどこだろう? こんな神社知らないな。

 神社があるってことは、近くに集落があるのかな? 探せば食べ物見つかるかな?




 また寝てしまったようだ。気がついたら日が高く昇っていた。

 熱は引いたようだ。すこし頭が軽くなった。

 体を起こすと、やっぱり左膝が痛む。


 一旦パンツを脱いで、十徳ナイフで両足の膝上を切断した。もう一度パンツを履いて、切れ端の一方を細めに切り裂いて包帯にして左膝に巻いた。テーピングの要領だな。やったことないから効果があるかどうか怪しいが。

 もう一つの切れ端は靴下のように右足に装着した。無くした靴の代わりだ。


 拝殿を見回すと、何に使うのか解らない角材があった。手頃だ。杖にしよう。


 神様にお礼を言って拝殿を出る。今日は蒸し暑いな。


 登ってきた階段は表参道だな。横を見るともう一つ参道があった。そっちに行ってみる。ゆっくり、ゆっくり。


 ちょっと行くと元畑らしいところがあった。杖で草むらをつついて蛇とか蜂とか居ないことを確認してから近づいてみる。

 キュウリがあった。細いな。肥料がないからか、雑草に栄養取られているからかな。とりあえずかじりつく。

 かじりながら奥を見るとトマトもあった。やっぱり小さめだ。ひょっとしたら巨大化したミニトマトかも知れんが。

 ナスもある。生で食えるぞ。灰汁も味のうちだ。


 取りあえず小腹は満たせた。

 複数種類の作物が少しずつある。この感じは、何だか家庭菜園ぽいな。あるいは、農家の自家消費用かな?


 よくよく辺りを見回すと、畑の隣にツタが絡まった家が建っている。別荘っぽいな。結構立派だ。

 石で扉のガラスを割って、十徳ナイフでガラスの中にあったワイヤーをカット。もうこのナイフはダメだな。新しいの調達しなきゃ。

 空いた穴に手を突っ込んで解錠。侵入する。ちょっとカビ臭い。いや、ちょっとどころじゃないな。以前だったら完全防護服でなきゃ入らなかったな。


 靴と、靴代わりのズボンの切れ端を脱いで室内へ。室内を見回りながら、窓を開けて換気する。

 意識を失う災害は平日だった。この別荘の持ち主はここには居なかったみたいだな。

 クローゼットを見ると男女の服が何着かあった。やっぱりカビ臭い。仕方ないか。

 窓の外に服を出してよく叩く。カビの胞子が見えるよ。はー。その後、直射日光に当てて消毒だ。


 食料を確認。インスタント食品はダメだな。缶詰は食べられそうだ。2Lペットボトルの水が段ボール1箱。

 調理器具はいろいろあるが、ほとんど電気製品だ。使い物にならない。

 カセットコンロとガスがあった。ガス缶にはサビが浮いているが穴は空いていない。大分中身が抜けているが、まだちょっと使えそうだ。


 ブランケットを掛けてソファーにごろ寝。歩けるようになるまでこの家で過ごそう。




 怪我の回復に体力が使われているのかな。また寝てしまったようだ。既に日暮れだ。

 塩に浸かった服を脱いで、日光消毒した男物の服に着替える。まだカビ臭い。五十歩百歩だが、五十歩と百歩じゃ倍も違うんだぞ、って自分にそう言い聞かせて我慢だ。


 喉が渇いた。20年前のペットボトルの水をそのまま飲む勇気は無い。カセットコンロと鍋で煮沸する。ついでにその湯の中に蓋を開けた缶詰を浸けて温める。


 食事をすると大分落ち着いた。体のだるさも引いてきた。

 膝の腫れも少し引いたようだ。曲げなければそんなには痛まない。明るくなったらここを出よう。


 しかし、どこへ行くか? 一旦家にしているホームセンターに戻るか。必要物資と食料の蓄えはそれなりにあるからな。

 だが、街が津波でやられているだろうからな。今後の物資調達は難しいな。長期的にはどこかに移住しなければ。

 どこに行く?


 静岡県東部--駿河--は富士山の溶岩とか土砂で埋まってるな。伊豆半島沿岸部と相模湾一帯は全部津波でやられたな。東京と神奈川東部は火山灰が積もってるだろうな。山梨は想像もつかない。

 うーん。行き場所がないな。




 地震から1日半、大体40時間ぐらい経過した。

 怪我は見た目ほど酷くはないようだ。まだ膝は痛むが、歩けないことはない。この別荘らしき家は資材も食料もないから移動しよう。


 玄関に行ってシューズラックを見ると、トレッキングシューズとスポーツサンダルがあった。残念ながらトレッキングシューズはサイズが合わない。スポーツサンダルを頂戴しよう。

 その横にはトレッキングポールが2組あった。男性用かな、サイズが合う方を頂戴する。

 他には帽子があったのでサイズを調整して、これも頂戴する。


 外へ出て振り返る。ふと見ると、玄関脇に自転車があるじゃないか。

 チェーンが錆び付いているが、車輪は回る。これにまたがってキックスケーターのように右足で地面を蹴って行けば左膝を守れるんじゃないのか?

 玄関に戻ってよく見ると、下駄箱の上に自転車の鍵があった。引っかかったが解錠できた。ブレーキのワイヤーも錆びているが、ギリ使えそうだ。


 天気は良い。今日も暑くなりそうだ。

 草が生えて落ち葉が積もったまともじゃない道路だ。タイヤの抵抗も大きい。足下に気をつけながら、ゆっくり蹴り出した。とりあえず、家のホームセンターへ…… って、どっちに行けばいいんだろう?

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