海のたまご

aqri

私は沈む

私は沈んでいく。ゆっくりとゆらゆらと。

沈むなんてありえないと思っていた、途中までは順調だったのに。一体どうしてこんなことになったんだろう。




「一体どうしてこんなことになったんだ!?」


 男の胸ぐらを掴んで壁に叩きつける。


「は、はなせ!こんなことをしてただで済むと」

「この状況でそんなことが言えるお前の脳みそが本当にイカレてるって事はよくわかった! ブチ殺すぞクソ野郎!」


 怒りに染まった顔で真正面から怒鳴られる。相手は年下だというのに殺気立ったその顔は本当に恐ろしかった。

 幼い頃から勉強が人一倍できて褒められた事しかない、怒られたことが一度もない。四十歳になって二十歳も年下の若造に怒鳴られて怖くて震えている。プライドに大きなヒビが入る音を聞いた気がした。


「覚悟しろよクソが! お前の持ってるデータは全部警察か第三者委員会に渡す!」

「あ、あ、あれは機密情報だ、勝手なことを!」

「警察の取り調べに勝手もクソもねえんだよ! 自分が犯罪者だってわからねえくらい頭が悪いじゃねえか! 何が天才数学者だ、笑えねえ冗談だ!」


 犯罪者。その言葉に男は震える。そんなはずはない、自分は悪くない。誰か助けてくれと思って周りを見ても、自分を取り囲んでいる者たちが全員同じ顔をしている。味方は一人もいない。


「梶枝を……海雪みゆきを返せ! 人殺し!」


 一人の天才数学者が作り出した新しいモデルの深海探査艇。無人探査で到達することはできても有人で調査にたどり着けていない深海に行くことができると、様々なスポンサーがついてようやく完成の目途がついた。




 子供の頃から海が好きだった梶枝海雪は、大学で海に関することを学び調査団に入ることができた。若い女性がこの手の調査団に入るのは珍しい。普段漁業をしていたり海の保護活動している人たちなど様々な職種の人が集まっている。

 日焼けをするのが嫌だ、力仕事が多い、磯臭さが我慢できない、何をやっても目に見える成果がないからつまらない、そんな様々な理由で若い女性が次々と辞めていく。ここ十年ではそもそも入団希望さえなかった。


「日本は海に囲まれているから、海のことを知らないのは恥ずかしい。海を守らないのは自分たちの首を絞めることになります。その調査に加わっている自分は誇らしいです」


 完成間近の深海探査艇の前でそう語る彼女に、谷山はあきれたように聞いた。


「あっそ。で、本音は?」

「いつか必ずこの目で! 深海で生きてるグロテスクな深海魚さん達とご対面したい!」

「やっぱりな」


 梶枝は他の人が逃げ出したくなるくらいに深海魚オタクだった。ダイオウグソクムシ可愛い! 実物を見たい! と言うので、ダイオウグソクムシを飼育している沿岸の水族館へ行った。美人な梶枝と二人きりで出かけたので谷山としては落ち着かなかったのだが、その水族館にあるレストランでダイオウグソクムシのステーキを食べて「美味しい!」と喜んでいる姿を見て何とも言えない気持ちになったのを覚えている。

 顔は可愛い、仕事は真面目で性格も前向き、様々なアイディアを出して優秀なのだが深海魚に関しては変人を通り越して変態。ちょっとがっかりな美人、それが梶枝に対するチームメンバーの総評である。


 深海探査艇が完成したら誰が乗るのか、これに関しては揉めに揉めた。絶対自分が行きますと名乗り出たのは四名。深海に行くことの目的、なぜ行きたいのか、それを今後どう生かすのかをプレゼンをして投票で決めることになったのだが。

 プレゼン能力の意外な高さと、投票しないと呪われるのではないかという熱の入りように全員が震えながら梶枝に投票した。


「密着取材まであるとは驚きです」


 探査当日はテレビ局が取材をしながら進む。自分たちがのぞんだことではない。探査艇開発者が勝手に進めたのだ。記者会見まで大々的にやっている、ソイツ一人で。


「邪魔なんだけどな、船の中狭いのに」

「いいじゃないですか、私たちの活動を広く知ってもらうチャンスですよ」

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