偏愛の籠~悪役令嬢の妹は愛しのお姉様を閉じ込めたい~

夜薙 実寿

泣き顔すらも美しい、私のお姉様。

 かすかな、すすり泣きが聞こえた。階段下倉庫。陰気で狭いその部屋の、質素で飾り気のない扉の向こうから。さめざめと、しとやかに、時折しゃくり上げるような悲痛な感情の波を乗せて――。


「お姉様」


 呼び掛けると、声は止んだ。


「クローディアお姉様、泣いていらっしゃるの?」


 返事を待たずに開扉する。光も差さない窓のない室内、揺らめく燭台の灯りの中、お姉様がこちらに振り向いた。

 さらりとなびく、長い白銀の髪。お姉様の心根を表したみたいに、真っ直ぐで癖のない綺麗な御髪おぐし。淡い青灰色の瞳は潤んで雫を零し、まるできめめく宝石のよう。

 憂いを帯びてひそめられた柳眉も何もかも、全てが溜め息が出る程に美しい。けれど、その瞳はすぐに逸らされ、お姉様は俯いてしまう。今は私の顔など見たくもないのでしょう。それはそう――お姉様を泣かせたのは、私なのだから。


「可哀想なお姉様」


 私は知っている。どんなに酷いことをされても、心優しいお姉様は決して私のことを嫌いにはなれない。

 地べたにへたり込むように座したままのお姉様の元へ歩み寄り、細い身体をそっと抱き締めた。腕に返ってきたのは、強ばり固まる反応。ひやりと冷たい衣の感触が、一層憐れを誘う。


「フリードリヒ殿下に婚約を破棄されて、あまつさえ学園からも追放処分だなんて」


 それもこれも、私がお姉様の悪評を流して、義妹あねに虐められる憐れな義妹いもうとを演じたからだ。

 皆、笑っちゃうくらい簡単に騙されてくれた。フリードリヒ殿下なんか、あれ程一目惚れだと自分から熱烈にお姉様に求婚したくせに、掌を返すようにあっさりと妹の私に乗り換えた。

 ――これでもう、お姉様は世間では完全なる悪役。


「もう誰も、お姉様の言葉なんて信じない」


 甘く、しめやかに、たっぷりの蜜に毒を絡ませて、お姉様の耳元に囁いた。

 お姉様は怖じるように小さく身を震わせて、掠れた声で私に問う。


「どうして? マリーベル……どうして、こんなことをするの?」


 ――どうして? そんなの決まっている。


「だって、許せなかったんだもの」



   ◆◇◆



 ふわりと、緩やかに波を描く金糸の髪。長い睫毛まつげ、深い藍色の大きな瞳。あどけなさの中に色香を含む、華のかんばせ。お人形さんのように美しくて愛らしい私は、生まれながらに誰からも愛される素質を持っていた。

 笑ってみせると皆が見蕩れ、泣いてみせると優しく慰められ、拗ねてみせると周囲が必死に私の機嫌を取ろうとした。お父様は私を溺愛し、私が甘えてねだればどんな我儘だって通った。


 反面、お母様には嫌われた。父の愛情を独占する美しい娘に、彼女は嫉妬していたのだ。

 お母様だけじゃない。女は皆、私が嫌い。女の敵は女とはよく言ったもの。より良い殿方に認められ愛されるには、自分よりも美しく愛でられる存在は邪魔でしかない。だから、集団で排除しようとする。

 まだ弱かった幼い時分には、私は女子から陰湿ないじめを受けていた。


 クローディアお姉様と出会ったのは、その頃。お父様が病で急逝して、お母様が再婚なさったのがクローディアお姉様のお父様だった。連れ子同士、血の繋がらない義理の姉妹。――それが、私達。

 初めて見た時、なんて美しい人だろうと思った。切れ長の凛とした目、細身ですらりと高い背。私のような甘い可憐さはないけれど、お姉様は逆に私にはない理知的で洗練された雰囲気を持っていた。


 この人なら、私を妬まずにいてくれるのじゃないかしら。もしかしたら、仲良くしてくれるのじゃないかしら。

 ……そんな風に期待もしたけれど、そうして裏切られたこれまでの経験から、私はもう誰も信じることが出来なくなっていた。


「お姉様の肌は透き通るように白くていらっしゃるから、陽の光は毒なのではないかしら。窓のない階段下の部屋などは如何でしょう。これまでに育ってこられた環境を考えてもあまり広い部屋では落ち着かないでしょうから、きっとあそこならお姉様もお気に召しますわ」


 だから、お母様と一緒になってクローディアお姉様をいびった。

 お母様は、今度は美しいお姉様に嫉妬したようだった。お姉様が従順で反抗しないのをいいことに、家事を全て押し付けてまるで女中のように扱った。

 これまで私にはただ冷たく当たるだけだったのは、お母様の中にもまだ血の繋がりに対する多少の遠慮があったからだと知れた。

 幸い、お姉様という捌け口が出来てからは、お母様は私に優しくなった。だから私はお姉様には感謝しているけれど、そのまま手を差し伸べるつもりなどなかった。


 なのに、お姉様は――。


 あれは、学園の初等部の頃。私が同級生の女子達にお気に入りのリボンを隠されて、見つからずに途方に暮れ、裏庭で一人泣いていた時のこと。


「マリーベル?」


 声を聞き付けたのか、私の姿を見咎めたお姉様に呼び掛けられた。


「マリーベル、どうしたの? こんな所で」


 気遣わしげな表情。けれど、それさえも私には嘘くさく思えてしまって、煩わしかった。


「お姉様には関係ありませんわ」


 それだけ吐き捨てて、背を向けた。お姉様は何か言いたげにしていたけれど、私はとにかく泣き顔を見られたことが我慢ならずに、すぐにその場を立ち去った。

 弱い所なんて見せたら、そこに付け込まれる。次に会った時、一体どんな嫌味を言われるやら。苦々しく思いつつ、また別の場所の捜索に戻った。


 再びお姉様に声を掛けられたのは、もうすっかり日も暮れてしまった頃合いだった。流石さすがにそろそろ諦めようかと門へ向かおうとしていると、背後からお姉様が私を呼んだ。


「マリーベル!」


 高く掲げられた彼女の手の中には、茶色のレースに縁取られたローズピンクのリボンが握られていた。


「これじゃない? マリーベルが探していたもの」


 それは、死んでしまったお父様が最後に下さった、私の大切なリボンだった。

 思わず受け取って掌の中で眺めて、私は呆然と呟いた。


「どうして……」

「マリーベル、いつもそれを付けているでしょう? でも、さっき会った時には無かったから、どこかに落としてしまったのかなと思って。余計なことだったら、ごめんなさい」

「そうじゃないわ。どうして、私を助けるような真似を? 私は散々、貴女に酷いことをしてきたのに」


 お姉様の手は、服や髪は、あちこち土や埃を被って汚れていた。それだけ必死になって探してくれたのだと分かる。


 ――どうして?


 私の疑問に、お姉様は少し困ったように笑みを刻むと、それから決然と言い放った。


「だって、私はマリーベルのお姉さんだもの。妹が困っていたら、力になりたいと思うのが普通よ」


 ――ああ。


 お姉様……土まみれ、埃まみれで髪も乱れて、とても淑女の出で立ちではないというのに。何故かしら……この時の彼女の笑顔は、私の短い人生の中で、一番に美しいもののように映った。


 今も、そう。薄暗い階段下倉庫の中、冷たい地べたに座り込んで涙を流すお姉様の姿は、どんな芸術品よりもお美しい。

 お姉様は、他の人とは違う。――真に、心から美しい人。


「どうして? マリーベル……どうして、こんなことをするの?」


 お姉様が私に問う。

 ――どうして? そんなの決まっている。


「だって、許せなかったんだもの」


 あの王子、身の程知らずにもお姉様に求婚するなんて。


「あんな、お姉様の本当の美しさにも気付けないような愚鈍な男、お姉様には相応しくないわ」


 案の定、あっさりと騙されて妹の私に乗り換えて……本当に情けない男。

 でも、それでいい。


「お姉様の本当の素晴らしさは、私だけが知っていればいいの」


 世間から悪女と謗られ嫌われても、私だけがお姉様の。――ねぇ、そうでしょう?


 風が、開け放したままの部屋の扉を閉ざす。まるで、他者からの視線を拒むように。

 揺れる燭台の炎。隔絶された狭い空間に、私達は二人きり。秘めやかに、身を寄せ合った。


「大好きよ、お姉様」


 ――もう、誰にも渡さない。




   【完】

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