タバコと毒と記憶喪失

森本 晃次

第1話 特撮ドラマ

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年10月時点のものです。今回裁判の話が出てきますが、実際の裁判制度と異なっているかも知れません、そこはフィクションとして大目に見てください。事件にしても、このお話が、フィクションだということで、似たようなものは、創作の範疇だと思っていただけると幸いです。特撮などの似たようなお話もフィクションだと認識してくださいね。ちなみに、前作品の続きではありません、同じような名前が出てきますが、まったく別のお話とお思いいただければ、幸いに存じます。


「最近、お濠に興味があってね」

 というのは、F警察署の三浦刑事だった。

 三浦刑事というのは、最近、順さ勤務から刑事課にやってきた、

「若手のホープ」

 といってもいいだろう。

 ここ最近は、F県も少し落ち着いている。首都圏のように、重大事件があるわけではないが、細かい事件は、相変わらずであった。

 それでも、凶悪事件が少ないのはいいことであり、

「喧騒とした街も、休息を欲しているのではないか?」

 と言われるようになった。

 ただ、その理由のはいくつものことが考えられるが、一つは、

「外人による犯罪が、減ってきた」

 ということであろうか?

 というのも、数年前から問題になっている、

「世界的なパンデミック」

 である。

 あの事件は、元々、海外の某都市で、急に降って湧いた、

「伝染病蔓延」

 というものが、あっという間に世界各国に広がり、その脅威を増大させていたことだった。

 本来であれば、外国で、そんな伝染病が蔓延したと分かった時点で、水際対策と呼ばれる、

「入出国の制限」

 を、まずは何をおいても行うべきであるのに、日本政府は、伝染病を甘く見たのか、入国制限などまったくしなかったのだ。

 しかも、伝染病が蔓延しているにも関わらず、伝染病が発生した某都市を抱える国の国家主席を、事もあろうに、

「国賓」

 として招こうとしていたのであるから、そんなものは、

「暴挙である」

 といっても、おかしくはないだろう。

 結果的には、中止になったのだが、とんでもないことに、その中止が決定される前に、政府は国公立の小学校、中学校に対して、

「学校閉鎖命令を出す」

 という信じられないことをしたのだ。

 しかも、学校閉鎖に関しては、ソーリ側近も、

「知らなかった」

 というほどの、速攻だったのだ。

 そんな速攻ができるのであれば、

「どうして、水際対策をしないのか?」

 という批判が野党から上がったが、それも当たり前のことだった。

「これが一国の首相だなんて」

 と言われたものだったが。まさにその通りだったのだ。

 最初、水際対策の失敗が尾を引いて、すべての政府の政策は、後手に回っていたり、トンチンカンなことをして、国民のひんしゅくを買ったりと、さすがに、

「長期政権というだけで、無能なソーリ」

 と言われていただけのことはあった。

 三浦刑事は、子供の頃に見た、特撮番組を思い出していた。

 といっても、その番組は、50年以上前に作成された、いわゆる、

「特撮黎明期」

 いや、本当の特撮と呼ばれるものの、

「最盛期」

 だったといってもいいかも知れない。

 途中から、特撮もヒーローものと一緒になってしまってから、作品が、

「どこか陳腐になってきた」

 という人もいるくらいだ。

 確かに、

「子供層にターゲットを絞った」

 と言えばそれまでなのだろうが、子供向けになってからの特撮ヒーローものというと、

「戦隊もの」

 というジャンルになってしまい、最近では、男女ともに、出演者が、

「アイドル」

 あるいは、

「アイドルへの登竜門」

 のようになってきて、昔からの特撮ファンには、寂しい限りであろう。

 ただ、昔の特撮ものも、戦隊の中には一人は女性がいて、女性のチラリズム的なところが子供心をくすぐるというものがあったのは事実で、それが、ある程度受け継がれてきたところがあったといってもいいかも知れない。

 話は逸れてしまったが、昔の特撮というと、怪獣ものが主流であったが、

「第一次、怪獣ブーム」

 というと、子供向けというよりも、元々は、ホラー、オカルトのような、

「バランスの崩れた世界に入り込んでしまったら」

 という趣旨の元、作られた番組だった。

 だから、作品の中で、社会体制や、自然破壊などに対しての、痛烈な批判が込められていたりするのは、当たり前のことだった。

 そんな特撮番組の中には、ピンポイントに、時代の

「悪」

 というものを攻撃するものもあった。

 何しろ、

「公害Gメン」

 などというものがあり、当時、高度成長時代の弊害と言われた公害問題を、痛烈に批判し、出てくる怪獣が、

「公害の弊害によって、突然変異をした」

 あるいは、

「宇宙人によって、人類を滅ぼすのに、人類が作り出した弊害で自滅という形にする」

 というものがあった。

 大人になって思えば。

「自分たちの正当化をもくろんでのことだ」

 と思うのだろうが、さすがに子供にはそこまで分かりはしなかっただろう。

 それを思うと、

「起こるべくして起こった人類への警鐘を含んだ番組だ」

 と言えるだろう。

 同じ番組ではなかったが、他の特撮番組で出てきた怪獣に、

「エネルギーを食べて、巨大化する」

 という怪物があった。

 だから、

「攻撃を加えれば、やつは、死ぬどころか、逆に強大化する」

 ということで、やつの巨大化を防ぐには、

「電気、ガスなどのエネルギーを使わないようにする」

 ということでなければならない。

 そうすれば、人間は一日たりとも生きてはいけないだろう。

 しかも、そうなると、病院で手術を待っている人は死を待つだけで、さらに、普通に生活している人も、食べ物すら与えられず、

「バタバタと死んでいくしかない」

 という未来しか見えず、それこそ、

「本末転倒だ」

 ということになるのだろう。

 そんな物体が、宇宙に行ったロケットに載って戻ってきたというような話で、元々は、宇宙研究のための探測ロケットであったが、急に追尾できなくなり、

「宇宙空間で遭難した」

 ということで、大きなニュースになった。

 当時、東西冷戦と言われていて、その宇宙外発競争が激化する中で、

「宇宙で遭難したりしないよな」

 という危惧が叫ばれていたことへの、痛烈な皮肉でもあった。

 実際に、その特撮では、

「ロケットが宇宙空間で行方不明になった」

 ということが、まず出てきた話で、そのロケットが突然、戻ってくるというところから、ドラマは始まったのだ。

 ロケットが戻ってきて。途中から、宇宙飛行士とも、連絡がついて、

「今までどうしていたんだ?」

 ということであったが、宇宙飛行士には、行方不明の意識はなかった。

 むしろ、

「何かの故障があって、地球から、強制送還させられた」

 と思っていたようで、実際には、行方不明になってから、1カ月以上も経っていたので、

「もうダメだろうな」

 ということで、ほとんど、諦めの境地であった。

 国会では、

「この件を、本当に国民に話していいものだろうか?」

 というものだった。

 なぜなら、いきなり話をすれば、国民はパニックになり、宇宙開発どころではなく、日本において、

「開発の中止が叫ばれ、二度とロケットを作れなくなる」

 ということになるであろう。

 そんなことはさせまいと、与党の一部の議員は、叫んでいる。

「日本の未来がどうの」

 あるいは、

「宇宙開発の危険性がどうの」

 というのは、彼らには関係がなかった。

 要するに彼らには、

「いかに、金が儲かるか?」

 あるいは、

「いかに自分の得票数に繋がるか?」

 ということであった。

 それがなければ、宇宙開発など、

「自分には関係がない」

 ということであった。

 逆に反対している方も、宇宙開発がどうのではなく、

「相手の人気をいかに貶めて、次の選挙で票を稼ぐことができるか」

 というものであり、こちらも、

「自分のことしか考えていない」

 という、

「世間一般に普通の国会議員」

 でしかないのだ。

 そもそも、彼らに宇宙開発の「うの字」も分かるはずもない。

 それを思うと、

「日本のソーリがあれなんだから、下っ端だって、こんなものだろう」

 というのは、想像もつくというものだ。

 確かに、有能な若手もいるのだろうが、しょせん、出世していくうちに、

「長いものに巻かれていく」

 というのか、それとも、

「世渡りというものを知ってしまうのか」

 どちらにしても、日本の将来は、いつも、似たような政治家が出てきては消えていくという、そんな時代になっていくのだった。

 そんな時代において、まるで犠牲者ともいうべき宇宙飛行士は、何とか難を逃れて地球に帰ってきた。

「何をいまさら、帰ってこなくてもいいのに」

 と、話題をうまく消そうとしていた国会議員には、

「いい迷惑」

 にしか、映らなかったのだ。

 地球の科学力も、当時にはかなりのものがあったようで、火星近くくらいまで、レーダーで追えていたようだ。

 しかし、通信に関しては、月の軌道から、だいぶ地球に近づかないと、音声が途切れてしまう、

 そういう意味で宇宙開発において、ソ連やアメリカに勝るものはなかったようで、その分、日本は、開発に遅れている分、焦りもあった。

 そもそも、日本には、憲法で決められた、

「軍事力の放棄」

 というものがあり、時代としては、やっと、

「もはや戦後ではない:

 と言われ、

「万国博覧会」

「オリンピック」

 まで開くことのできるだけの、国家に戻ってきたのだった。

 これは、大日本帝国時代の、欧米列強の植民地にならないように、不平等条約の撤廃ということで行っていた、

「富国強兵」

「殖産興業」

 とはまったく違うものであったが、突き詰めれば、

「軍事力を使わないだけで、やっていることは同じだ」

 と言えるのではないだろうか?

 それを考えると、

「本当であれば、ここまで必死になって、宇宙開発を進める必要などないのではないだろうか?」

 と言えるのだろうが、今度は、政治家のプライドや他国に対しての意地のようなものから、国民の税金を使って、開発したロケットも、結果失敗に終わってしまうと、すぐに、次の計画に移るという、一種の、

「潔さ」

 であったり、日本における科学力を証明することで、海外へのアピールも大切だと思われるのであった。

 宇宙空間から戻ってきたロケットの乗組員は二人乗りで、最初、連絡が取れなくなるまでは2人だったものが、連絡が取れるようになると、一人になっていたという。

 地球の管制塔から、

「どうして一人になったんだ?」

 と聞かれた、残った宇宙飛行士は、

「分かりません、私も途中までは、意識があったのですが、気が付けば、今のような状態になっていたんです」

 というではないか。

「一か月、行方不明だったんだぞ」

 というと、

「そうなんですか?」

 ということであった。

 だが、一人の科学者は、それを聞いた時、この状態を、

「当たり前だ」

 と思ったようだ。

 子供向き番組としては、かなり難しいものであったが、その見た時は大学生だったので、その科学者が考えていることが、

「相対性理論というものを、考慮に入れている」

 ということが分かったことだ。

 当然に、子供に分かるはずがない。相対性理論というと、アインシュタインが考えたもので、

「光速で移動すると、普通の時間軸と違った進み方をする」

 というもので、考え方として、

「ロケットに3カ月搭乗していれば、普通の世界では、数百年が経過している」

 というような理屈であった。

 さすがに、この違いは大げさなのかも知れないが、ありえないことではないと考えられていたのだ。

 地球に生還するためのルートを正確に戻ってきていたロケットだったが、普通に考えれば、分からないことが多かった。

「果たして、ロケットは、この2カ月の間、どこにいたというのだろうか?」

 その一人の科学者は、その答えを、

「相対性理論」

 の中に求めた。

 つまり、

「光速と、普通の速度の違いが、生んだ時間の歪というものが、その辻褄を合わせようとして、2カ月の空白期間を、ロケットの中に作った」

 という考えであった。

 ただ、これは、実際の辻褄を合わせるものではなく、

「相対性理論の辻褄」

 を合わせようというものである。

 逆にいうと、

「この空白の時間が、時間の進みを示さないという証拠になるもので、宇宙空間に、人間が出ていけば、どうしても、避けては通れないものではないか?」

 ということであった。

「では、二人のうちのもう一人は、どうして死ぬことになったのか?」

 ということであるが、

「本来なら、一人の人間しか通ることのできない。宇宙空間においての歪を飛び越えることに、二人も載っていたということで、もう一人は時間旅行というものから弾き出されたのだ」

 ということではないかと思った。

 その証拠に、生き残った宇宙飛行士に、もう一人がどうなったのかを聞いた時、

「ミイラのように干からびている」

 という返事が返ってきたのだった。

 ミイラというのは、もう一人がいっているだけで、地球にいる人間には想像もつかない。一体どういう内容なのかと思っていたが、科学者には、想像がついていた。

 実際のロケットの運用として、途中からは、自動運転を行い、宇宙飛行士は、1週間の睡眠マシンに入り、自動睡眠に入る予定になっていた。

 実際に、二人とも睡眠マシンに入り、カプセルの中にいる間、理論的に、二人は、

「光速を意識しない」

 つまりは、電車に乗っている時、飛び上がっても、

「電車の中だけの同じ場所に飛び降りる」

 という、

「慣性の法則」

 というものを想像させるかのように、

「光速で飛んでいるロケットであっても、カプセル内で睡眠している間は、時間の歪みが生じない」

 という考え方だった。

 助かった男の方は、ちゃんとカプセルの中で、2カ月を過ごしたのだが、もう一人はカプセルから弾き出されて、表に出ていた。

 それを抱え起こすと、思わず宇宙飛行士は、

「ひーーっ」

 という大声を出して、ブルブル震えだした。

 白骨となる寸前の一番醜い姿の同僚が、そこに転がっているではないか。

 すぐに状況を把握するのは無理であった。当然、宇宙飛行士も、頭が停止してしまい、頭脳が固まってしまったのだ。しかしすぐに、

「そうか、何かの原因で、表に出されて、光速の時空をまともに受けてしまったに違いない」

 と理解した。

 ただ、状況だけを、管制室に連絡をしたが、その時、本当の状況を理解できたのは、いや、自分の考えが実証されたと思った研究員は、思わず、ほくそえんでいたくらいであった。

 ロケットは、どんどん地球の軌道に入ってきた。だが、政府は、

「実験が失敗だった」

 といってしまった手前、本当はロケットに戻ってこられたは困る。

「戻ってきたら、身柄を拘束して、とりあえず、監禁することにしよう」

 という手筈まで整えられていた。

 当然のことながら、行方不明のロケットが帰還してくるなど、管制室の中と、一部の政府要人しか知らないことだったのである。

 しかし、そうもいっていられなくなった。ロケットが地球の軌道に入ってくる近くになって、当初の予定の位置と若干の違いがあることが分かった。

 それによって元々の大気圏突入の場所が変わることで、地球への到達地点が変わってしまった。太平洋上だったものが、どこに落下するのかを再計算しなければいけない。

 いくら、若干の違いといっても、それは宇宙でのことであり、地球が時点していること、さらに、公転も考えると、さらに精密な計算が必要になり、この若干が、まったく別の場所、想像もしていないところに落下してくるとなると、

「無視して、公表を怠る」

 などということは許されないだろう。

 それを考えると、急いで管制室からは、落下場所の計算を行うのは当然のこと、

「いかに世間に説明するか?」

 ということも問題だった。

 最初にロケットを打ち上げる時、そして打ち上げ成功までは、華々しいものであったが、通信、追尾不能となって、レーダーから消えてしまったことを、世間に通知を行ったことで、

「今回の国産ロケット計画は、失敗に終わった」

 ということで、世間的には決着したのだった。

 だが、そのロケットがまた戻ってきた。普通なら考えられないことだ。地球からの分かる範囲を逸脱したのだから、どうしようもなかった。

 確かに、宇宙から帰還するまでのスケジュールはしっかりと施されていたロケットではあったが、そのロケットが追尾できなくなるところまで飛んでいくというのは、まったくの想定外だったので。その時点で、普通であれば、

「地球への帰還は絶望的だ」

 と言われても不思議のないということであった。

 それでも、地球に戻って来ようとしている。当初の着陸地点と違うのは当然のことで、何しろ本来であれば、地球への帰還は、すでにされているというのが、当初の計画だったからだ。

 だからこそ、

「地球への軌道を通って戻ってくる」

 ということ自体が奇跡なのであって、そのコースの若干の狂いなど、誤差の範囲でしかないのだろう。

 しかし、時間の差はいかんともしがたく、結局、

「地球上のどこに落ちるのか、再計算をしないと分からない」

 ということになったのだった。

 それを考えると、

「今回の帰還には、分からないことが多すぎる」

 ということもあってか、宇宙研究所の方も、迂闊にロケットの帰還を公表するわけにはいかなかったというわけである。

 しかも、政府の意向もあったわけで、今のボンクラ政府に、この状況を判断し、いかに公表するかなどということを考える頭があるわけもない。

「意味のない会議を延々と続ける」

 ということを、

「小田原評定」

 というが、

 それは、織豊時代、羽柴秀吉による天下統一の最期の過程における、

「小田原征伐」

 にて、小田原城に籠った、後北条氏の家臣たちが、

「取り囲まれた状態で、どうすればいいのかということを、延々と会議をしていた」

 という状況から、

「小田原評定」

 と言われるようになったとおい。

 そんな会議が、政府の中で話し合われ、とっくに、研究所の方では、

「国民はおろか、全世界に公表するしかない」

 といっているにも関わらず、政府は煮え切らないので、業を煮やした研究所は、政府をすっ飛ばして、公表に踏み切った。

 さすがに、他の国は怒っている国もあったが、そのあたりは、国連がうまく纏めていた。

 そして早急に、国連や、各国も軌道計算に躍起になり、日本側からも、分かっている範囲での情報提供を行い、共同で軌道計算を行っているのだった。

「面目丸つぶれ」

 となったのは、日本政府だった。

 世界各国からは、コテンパンに言われ、日本国内世論でも、9割近くの人が、

「政府の対応には、反対」

 というものであり、個々の意見として、

「政府のやり方には、怒りを通り越したものがある」

 あるいは、

「どこに落ちるか分からないなんて、政府は人の命を何だと思っているんだ。世界に対しても恥晒しだ」

 と言われ、元々低かった支持率は、さらに低下していき、これ以上やっても、

「史上最悪の支持率を更新する」

 というのも時間の問題だった。

 さすがいここまでくれば、

「ソーリの座」

 にしがみついていた人間も、内閣総辞職ということにしかならなかった。

 即日の内閣総辞職となったが、これにも国民は総すかんだった。

「あいつらは、支持率最低と言われるのが嫌で、今一番しなければいけないことを放棄して、総辞職したんだ」

 と言われ、支持率こそ、最悪を更新はしなかったが、世間からは、

「内閣制度発足後の、ダントツで最悪の内閣だった」

 と言われた。

 大日本帝国時代に、戦争に突入した当時の内閣よりもひどいということだった。もっとも歴史を知っている人は、戦争突入の経緯を分かっているので、

「史上最悪の内閣」

 というレッテルを貼っているわけではない。

 あの時代の内閣による戦争突入は、無理もないことであった。問題は、

「陸軍の暴走」

 であり、政府はむしろ、

「外交による戦争回避」

 というものを、ずっと模索していた状態だった。

 ただ、時代と陸軍がそれを許さず、しかも、アメリカの、

「ヨーロッパでの戦争介入」

 を画策するための、世論捜査のために、

「わざと日本に、先制攻撃をさせた」

 のだから、それだけ情勢が日本に不利だったのかということである。


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