第38話 今日は定休日です

「ふぁぁ……ティナちゃん、おはよう」

「ん、おはよう」


 寝ぼけ眼を擦りながらリビングに向かうと、ティナがのんびりハーブティーを飲んでいた。膝の上には分厚い書物がある。ハーブティーを飲みながら読書をしているようだ。実に優雅だ。


 いつもだったら開店準備をしている時間だが、今日はしなくてもいい。なんてったって今日は定休日だから。


 お店をリニューアルしたばかりの頃は休みなしで営業をしていたが、流石に休みは必要だろうということで定休日を設定した。6日営業して1日休む。週に1日は定休日があるということだ。


 週1休みと聞くとハードに思えるけど、実際はそこまで苦ではない。コスメ工房は日が落ちる前には閉店するから、遅くまで働くことはないからだ。


 週休二日制と銘打っておきながら休日出勤がバンバンあって、残業もたっぷりあったもとの会社に比べたら楽なものだ。あの頃と比べたら、体力的にも精神的にもずっと余裕がある。


 6日働いた今日は定休日、つまり思う存分のんびりしていてもいい日なのだ。


 テーブルについた陽葵ひまりは、ジャムを塗ったバケットを齧りながら今日の予定を考える。


「今日は何しよっかぁ。せっかくのお休みだもんねー」

「何もしたくない。出来れば家から出たくない」

「あはは、ティナちゃんらしいや」


 家から出たくないという気持ちも分かる。最近は新商品の開発が立て込んで働き詰めだったから疲れが溜まっていた。


「じゃあ今日はお家でのんびりしようか」

「そうだな」


 ティナは書物に目を向けながら頷いた。


 リビングにはサクッとバケットを齧る音とページをめくる音だけが響く。スマホやテレビなど暇つぶしの道具がないこの世界では、どうにも暇を持て余す。二度寝をしようにも、すっかり目が冴えてしまった。


「何の本読んでるの?」


 暇つぶしがてらティナに絡むと、端的に返事が来る。


「魔導書だ」

「ふーん、面白いの?」

「まあ、それなりに」


 話が途切れると、ティナは再び書物に視線を落とす。会話が終わってしまった。

 サクッとバケットを齧って咀嚼してから、もう一度話かけた。


「ねー、ティナちゃん。お昼ご飯はどうしよっかぁ」

「いま朝ご飯を食べている奴が何を言ってるんだ」

「そうなんだけどさー」

「ハムとチーズがあるからサンドイッチでも作ればいいだろう」

「あー、そうだねー」


 再び話が途切れる。沈黙が流れた後、陽葵は懲りずにティナに話しかけた。


「ねー、ティナちゃん」

「あー、もう鬱陶しい。何なんださっきから!」


 ティナは苛立ったように書物をパタンと閉じた。ウザ絡みをしている自覚はあったが、何もせずにじーっとしているというのも退屈だった。


「ティナちゃんはお休みの日ってどうやって時間を潰してるの?」


 参考までにティナの休日の過ごし方を尋ねてみる。するとティナは顎に手を添えながら考え込んだ。


「読書をしていることが多いな。あとはのんびり風呂に入ることもあるな」

「お風呂!?」

「ああ、バスタブに飲み物を持ち込んで、のんびり風呂に入るんだ」

「ほほう。いいご趣味をお持ちで」


 ゆっくりお風呂に入るというのは実に良い時間の潰し方だ。日頃の疲れも取れるから一石二鳥だ。


「私も今日は昼間からのんびりお風呂に入ろうかなぁ」


 目を細めながらのんびり湯に浸かる自分を想像してみる。すると、あるアイディアが浮かんだ。


「バスソルトがあれば、もっとリラックスできるよ!」

「ばすそると?」


 陽葵の突拍子のない提案を聞いたティナは怪訝そうに眉を顰める。反応から察するにこの世界には入浴剤の類も存在しないのだろう。陽葵はティナにも伝わるようにバスソルトの役割を伝えた。


「バスソルトはお風呂の中に入れる塩のことだよ。身体を温めたり、いい香りで癒されたりするの。要するにバスタイムをより上質にするための秘密兵器って感じかな」

「秘密兵器……それは凄そうだな」


 ティナはごくりと生唾を飲み込みながら身構えた。


 実際には秘密兵器なんて大袈裟なものではないが、興味を示してもらうには十分な説明だったらしい。


「そのバスソルトとやらは、うちでも作れるのか?」

「天然塩と精油があれば作れるよ」

「どっちもアトリエにストックがある」

「さっすが」


 材料が揃っているなら、こっちのものだ。バスソルトの作り方はシンプルだから、いまからでもすぐに作れる。


 陽葵は残りのバケットを詰め込むと、椅子から立ち上がった。


「よーし、さっそくバスソルトを作ろう」


 そう意気込むと、ティナにふっと鼻で笑われた。


「ヒマリは休みの日でも化粧品を作るんだな」


 ティナに指摘されてハッとする。確かにこれでは休みが休みでなくなってしまう。だけどそれでも構わなかった。


「いいの、いいの。化粧品作りは好きでやっているんだし。それにバスソルトは本当に簡単にできるからお休みの日でもすぐにできるよ」

「そうなのか。なら、私も手伝うとするか」

「いいの?」


 休みの日にティナが手伝ってくれるのは意外だった。陽葵が驚いていると、実に正直な答えが返ってきた。


「私も今日はゆっくり風呂に入りたい気分だったからな」


 それなら手伝ってくれるのも納得だ。サクッとバスソルトを作って、のんびりバスタイムに興じよう。


 予定が決まると、二人はいそいそとアトリエへ向かった。

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