第15話 お店の名前を変えるそうです

「えへへへへ」


 レジスターの前の椅子に座った陽葵ひまりは、手紙を眺めながらニマニマと笑っていた。それもそのはず。町で化粧品を販売してから、何通もお礼の手紙が届いたからだ。


『魔女様の化粧品を使ったらお肌がもちもちになりました』

『毎日使っていたら肌の調子がよくなりました』

『本当に凄い! もう手放せません』


 手紙に書かれていたのは、たくさんの賞賛の言葉だ。異世界の女の子達にも化粧水と乳液は気に入ってもらえたらしい。


「みんなに喜んでもらえて嬉しいなぁ」


 自分の作った化粧品が、こんなにも多くの人から感謝されるとは思わなかった。あらためて異世界で化粧品を販売してよかったと実感していた。


 陽葵がニマニマしていると、ティナから冷たい視線が飛んでくる。


「おい、ボーっとしてるな。まだ客がたくさんいるんだから」


 そう指摘されて、陽葵は現実に戻ってくる。ティナの言う通り、店の中にはたくさんの女性達が訪れていた。


 町で化粧品を売りに行った日から、ティナの魔法薬店にはドッと人が押し寄せるようになった。評判を聞いた女性達が、化粧品を求めてやって来たからだ。


『お友達から評判を聞いて、買いに来ました』

『肌がもちもちになるそうですね。私にもください』


 口コミが広がり、陽葵とティナの作った化粧品は瞬く間に注目されていった。


 かつては閑古鳥が鳴いていたお店も、いまは活気づいている。化粧水と乳液も飛ぶように売れていった。


 大量のお客さんが押し寄せたら生産が間に合わないのでは? と心配されるかもしれないが、その点に関しては問題ない。ティナの魔法にかかれば、全自動で生産することも造作ないからだ。


 原料を計って、大釜に投入し、くるくる攪拌する。その工程は魔法でこなせた。ティナの頭に作り方の知識が入っていれば、魔法で再現することも可能らしい。


 とはいえ、陽葵としては魔法に全部をお任せすることには最初は不安があった。


「原料を計り間違えたりしないかな?」


 陽葵がおずおずと尋ねると、ティナからは不思議そうな顔をされた。


「ヒマリが計るよりずっと正確なんだが? 量をあらかじめ指定すれば、絶対にその通りに入るんだぞ? ぼけっとして同じ材料を2度入れることもない」


 そう言われると何も言い返せなくなる。実は数日前、陽葵は盛大なミスをやらかしたからだ。


 大釜で化粧水を作っている際に、誤ってグリセリンを2回投入してしまったのだ。分量を間違えたら売り物としては使えない。流石のティナもこの失態はリカバリーできず、泣く泣く廃棄することになった。


 同じことをもとの世界でやらかしたら始末書ものだ。ティナからは始末書を提出しろとは言われなかったが、以降陽葵に生産を任せることはなくなった。その対処法として、魔法での生産に切り替えたのだ。


 そんな事情もあり、生産に関しては人手はいらないのだが、販売のほうはそうも言っていられない。


 お客さんからの質問に答えたり、使い方を説明したりするのは、やはり人でなければできなかった。


「すいませーん。お姉さーん」

「はーい、ただいまー」


 お客さんの一人に呼びかけられて、陽葵は飛んでいく。


「何か御用ですかー?」

「こちらの化粧水の使い方を知りたくって。一度にどれくらい使えばいいんですか?」


 若い女性が化粧水の瓶を片手に尋ねてくる。そこで陽葵は、化粧水の使い方をレクチャーした。


「500円硬貨代の化粧水を手のひらに出して使ってみてください」

「ごひゃくえん?」

「あーいえ、えーっと……そう! 銀貨大の化粧水を手のひらに出します」


 異世界では500円玉で例えても伝わらないことを忘れていた。咄嗟に代わりのたとえを捜したところ、この国の銀貨が500円玉と同じくらいのサイズであることを思い出した。


「銀貨一枚の大きさ、分かりました」


 何とか伝わったようで安心した。そこから次のステップも説明した。


「そうしたら、お顔の内側から外側に向かってそーっと馴染ませていきます。このとき、擦ってはいけませんよ」


「なぜ擦ってはいけないんです?」


「肌はとーっても薄いんです。摩擦でダメージを与えると、乾燥やシミの原因にもなるかもしれないんですよ」


「それは大変ですね。擦らずそーっと……分かりました」


 女性は神妙な顔をしながら真剣に話を聞いていた。


「どれくらいの頻度で付ければいいんですか?」


「出来れば朝晩2回がベストですね! とくにお風呂上がりは乾燥しやすいので、すぐに化粧水をつけるようにしてください」


「お風呂上がりですね。分かりました」


 一通り聞き終えると、女性は化粧水と乳液を購入して帰っていった。「ありがとうございました!」と元気よく見送っていると、ティナから感心したように声をかけられた。


「売るだけじゃなくて、使い方まで説明するんだな」

「そりゃあ、そうだよ! 化粧品は正しく使うことで効果を発揮するんだから」

「そういうものなのか?」

「そういうものなの!」


 ティナはほうっと感心したように頷いた。それからある提案をする。


「いまこの店は、魔法薬よりも化粧品が売れている。だから店の看板を変えようと思うんだが……」

「ティナの魔法薬店から名前を変えるの?」

「ああ、そのつもりだ」

「何に変えるの?」

「それをヒマリに相談しようと思って」

「なるほど」


 店の名前を変えるというのは大きな変化だ。文字通り店の看板となるのだから下手な名前は付けられない。


 一目見ただけで覚えられて、どんな店なのか分かる名前が良い。それでいてセンスが良ければ尚更。


 陽葵は両手を組みながらうんうんと唸った。


「ティナのコスメ屋? うーん、コスメ屋ってなんか安っぽいよなぁ。コスメ店……だと普通だし。コスメショップもなー……」


 もっと適切な言葉がないものかと探す。

 化粧品を作って売る。その視点で考えた時、ピンとある言葉が浮かんだ。


「工房……! ティナのコスメ工房はどう?」


 工房であればこの場で作っていることも伝わる。パン工房やガラス工房のようなワクワク感も含んでいる。看板の名前としてはぴったりだ。


「工房か……。悪くないな」


 賛同してくれた。ティナのコスメ工房で決まりと思いきや、思いがけない言葉が飛び出す。


「じゃあ看板は、で作っておくな」


 その言葉で陽葵は固まる。


「え? ティナとヒマリ?」


 まさか看板に自分の名前も入れてもらえるとは思わなかった。驚いていると、ティナはさも当然と言わんばかりに告げた。


「もともと化粧品作りはヒマリが始めたんだろ。名前を入れるのは当然のことだ」


 その瞬間、陽葵の顔がパアアアと明るくなる。


「凄い! 自分のお店を持ったみたい!」


 嬉しさを表わすように、陽葵はティナの両手を取る。突然の出来事でティナは目を丸くしながら固まっていた。


「大袈裟な。たかが看板に名前を入れたくらいで……」

「たかがじゃないよ! 私にとってはすっごく嬉しいんだよ」


 そのまま陽葵はティナの手を掴みながら、両手を上下に振った。


「ありがとう! 名前を入れてくれたのなら、これからは看板の名に恥じないように頑張らないとね。そうだ、化粧品と乳液もバージョンアップしよう! 私、頑張るから!」


「わ、分かったから。とりあえず手を離せ」


 そう指摘されて陽葵は手を離した。頭の中はまだ嬉しさで浮かれている。


 ティナにとっては何でもないことなのかもしれない。だけど陽葵にとっては、自分の存在が認められたかのように嬉しかった。


 ティナとヒマリのコスメ工房。


 素敵な名前だ。その看板に恥じないように働こうと胸に誓った。


「よーし、さっそく化粧水のリニューアルに取り掛かるぞー」


 意気込みを露わにしながら、陽葵はアトリエに走ろうとする。……が、ティナに襟首を掴まれた。


「おい待て。店番はどうするつもりだ」

「あ」


 お客さんで賑わっている状況では、アトリエに籠るわけにはいかない。


「とりあえず、今日は店番をしてくれ」

「はい……」


 出鼻をくじかれた陽葵はしゅんとしながら、椅子に腰かけた。

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