「才能」という呪いにさよならを告げて

シャノル

第1話 挫折

才能とは何か考えたことがあるだろうか

いや、大半の人にとっては考えたくない事柄だろう

運動能力の高さや頭の良さに限らず、この世にはありとあらゆるものに才能が付きまとう。才に恵まれたものは常人では考えられないほどの力を発揮し、大会やコンクールで無双し、多くの名誉を獲得して、人々から称賛される。勝者がいれば敗者がいるのは必然で、その圧倒的な力を目の前にした持たざる者は早々に見切りをつけ、挑戦することさえためらってしまう恐ろしいものだ。


しかし、俺が考える中で最も不幸なのは自分の力量に自信を持っているわけでもなく無自覚にも周りに才があるとみなされ勝手に期待を押し付けられた人間である


世の中には負けることを知らない完全無敗の無敵の超人がいることは重々承知しているが、大半の才があると‘‘みなされた‘‘人間は当然その原石を努力というやすりで磨きあげることで最大限の力を発揮している。そう、彼らは最初の段階で他の人間より優れた能力を持っているのは事実だが、決して才能に胡坐をかいて成功したわけではない。そして自分に才能があると自覚しているわけではないのだが、この段階で大人や周りの人間が勘違いする。うちの子には才能がある、○○君は才能があるからきっとすごい人間になるんだろうなと


自分がその才能に自覚的に気づいて自分で磨き上げてこうと決心したなら問題はない。自分が無自覚なのに周りの人間によって才能があると勝手に認識されるのが問題なのだ。そしてそう認識されたものはそれが自分の使命であると思いこまされて親の操り人形となり、自分のやりたいことを出来ない、あるいは自分は何がやりたいのか分からない人間になってしまう。我が物顔でそれを見る大人は、お前は才能があるのになぜ失敗した?お前はそこらの凡人と違う、なぜそこで踏ん張ることが出来ないのかと他責的に𠮟責する。そうやって失敗を繰り返すたびに本人のメンタルが崩壊し、家庭や人間関係までもが崩壊する有様を俺は経験してきた。


ここからは惨めにも才能があると勘違いしてバカをみた俺、千条走(せんじょうかける)の有様を綴っていこうと思う



それは中学3年生の夏に出場した陸上の県大会の1500mの決勝の時だった



「この感じならいける」

予選の段階で夏の全国大会の標準記録を突破し、決勝への余力を残したまま予選1位で通過した俺は今日の自分の調子に満足感を感じていた。

だが俺の夢は全国大会に出場することじゃない。だって去年も出場したんだから

去年の俺は中学二年ながら3年生の大会に交じって全国標準記録を突破し、全国大会に出場してそこで決勝進出も果たした。まあ、さすがにトップレベルの3年生には勝てなくて結果は散々だったが

そんなこともあって、俺はネット上でかなり期待されている


自分より遅い人間に興味はないが、同じく標準記録を突破し、予選2位で通過した槙島とは去年からの知り合いだった。彼は春の記録会で俺のベストタイムに4秒迫る記録をたたき出した全国ランキング6位の選手である。彼が決勝の唯一の懸念点だが、ここで負けるわけにはいかない。だってここはまだ県大会なのだから。県大会で負けたやつが全国で勝てるわけない

もしここで負けたら…


邪念を振り払うように、両頬をパシンと叩いてスタート地点に向かった


「オンユアマーク」


ダンッ


乾いたピストルの音が競技場に響くと同時にスタートダッシュを切って俺は先頭に立った。決勝では1位を取ることは当然だと思っているのでベストタイムを更新することを最優先に最初から飛び出した


200mの通貨は29秒

「おいおいw これ800mじゃないんだから最初の200を30秒切るってやばすぎだろ」

「だな…異次元すぎる。あいつ本当に中学生かよ」

「まあ、これでバテたら元も子もないけどな」

中学生とは思えないレース展開に観客はざわついていた


1周目(400M)のタイムは60秒、ちょっと早い気がするが悪くないスタートだと思う。もちろん、こんなレース展開にむやみについて来ようとするものはおらず、先頭を走っているのは俺一人だ。もう順位の心配をする必要はないよな…


ああ、だから勝者は気づかなかったんだ。他人の背中を追うことをしらない俺が犯した大きな過ち。前しか見てないから後ろのことなんて何も知らない。ずっとずっと後ろにはいつくばって今か今かと一瞬の隙を狙うハイエナの姿を…


2周目も先頭で通過、タイムは2分7秒 


何かがおかしい


(あれ?…体感的にあと3秒早く通過したつもりだったのに何で…)


確かな違和感を感じたのはこのころからだった

それに気づくと同時に猛烈な焦りから全身の筋肉が硬直したような感じがして体が思うように動かなくなり、息遣いが荒くなった

(ハアハアハアッ ヤバい… このままだと…追いつかれてタイムどころじゃなくなる。全国優勝を狙う俺がこんなところで負けることは絶対に絶対に絶対にあってはならない。)

腕を、脚を動かせ、腿を挙げろ!全身のパワーが枯れるまで使いきれ、俺にはこれ以外に出来ることはない。遅い俺に価値はない


でも1000mを通過するころにはもう遅かった。後ろから聞こえてくるサッサという軽い足音は微かな追い風と共に颯爽と俺の横を駆け抜けていった


プツンと今まで張りつめていた自分の中の糸が切れた


ガランガランガランとラスト1周の鐘が鳴って周りがラストスパートを駆け抜ける中、俺のスピードは変わらない。もう力が入らない

待ってという間もなく前の背中がどんどん遠ざかっていく。遅い自分には興味がないというように…


気づいたらゴール地点にいた。何位でゴールしたかに興味なんてない

‘‘負けた‘‘その事実だけが自分の中で反芻していた

槙島は大会新記録を出して優勝したらしい。決勝のメンバーは軒並み全国大会の標準記録を突破して喜びあっている


俺はお前らとは違う、お前らとは違う…


たかが全国大会の出場が決まっただけで喜ぶようなお前らとは違う…


誰よりも努力した。最初のジョグはみんなより長い距離を走った。本練習は誰よりも本気で、毎回気持ち悪くなるほど、そして筋肉が限界を迎えるまで頑張った。スピード練習だけじゃなくて、1万mのペース走もやって体力をつけて3000Mでも全国ランキングTOP10に入れるくらい成長した。練習後の体幹トレーニングだって本練習で体が限界を向かえているのに毎回必ず頑張った。練習が上手くいかない日だって帰ってから家の近くのグラウンドで納得できるまで走った。トレーニング後のケアだってケガしないように人一倍時間をかけて取り組んだ。毎日最高のパフォーマンスが発揮できるように8時間寝た。

自分の目標タイムで走る高校生と大人のレースを見てたくさんイメージトレーニングをした。陸上以外のことに現を抜かさないように友達からの遊びの誘いは断ってきた


全てを陸上に捧げるために中学3年間の青春を捨てたのに


それだけ努力したのに何で俺は最初の段階で負けたんだ

自分の才能に胡坐をかかないでちゃんと努力したのに…


気づいたら自分の視界が歪み始めていた。負けて嗚咽を漏らす姿など、恥ずかしいことこの上ないとわかっていても止まらない


誰だか知らないが、泣いている俺にニコニコした顔で手を差し伸べてきたやつがいた。きっと全国大会参加標準記録を突破して上機嫌なんだろう


「お疲れ様!今回は不調だったんだろうけど千条君は凄いからきっと全国では活躍できッッ…痛ッ!?」


その言葉を聞き終える前に差し出された手を思い切り振り払っていた


「俺の苦しみを…何もわかってないやつが同情してくんじゃねえよ雑魚がッ… 1度も負けられない俺と全国に出場することだけが目的のお前とじゃ1レースの重みが違うんだよッ!」


言い終えると俺は荷物を抱えて競技場を逃げるように出て行った。決勝を走り切ったメンバーから軽蔑のまなざしを送られたような気がしたがそんなのを気にしてられる程の余裕はなかった。そのなかで槙島だけが何か言いたげな様子で心配そうにこちらを見ていることにも当然気づかなかった


暗い面持ちでとぼとぼと歩きながら、更衣室まで向かってる途中、心ない言葉に胸が傷んだ


「千条ってやつネットで話題になってたくせに決勝全然だめだったなw 県でトップになれなかったのに全国で優勝狙うとか夢を見るのも大概にしとけよ」

「兄さんと違って弟は出来損ないだったんだな。 可哀想ww」

「だな。大会記録を大幅に更新する熱いレースが見れると思ったのに本当残念だよ。」

「緊張して力が発揮できなかったのかな?強者は県大会程度で緊張しないと思ってたけど、案外メンタルよわよわなんだね」

「盛者必衰の理をあらわすってやつ?彼も所詮一般人でただの早熟タイプだったんだよ」

「こらこらw 本人近くにいるんだから聞こえちゃうよ」


俺の事情を何も知らなくて、県大会にすら出れる能力もないくせに人の不幸の蜜をレロレロ舐めながら冷笑していい気になっている雑魚共を一発ぶん殴りたかったが、そんなことをしたところで何の意味もないのでやめた


しかし、彼らの言葉で1つ気づいたことがある


自分は本心から全国優勝したいと思っていたわけではなかった


親の操り人形にされた人間の哀れな末路。誠実に競技に向き合っていなかった俺は結局、承認欲求のために戦っていたのだろう。あんな雑魚共の言葉でメンタルが傷つけられるほど、俺のメンタルは弱かったから初歩的な段階で負けたのだ。


「こんなメンタルで全国優勝を目標にしていた自分が本当に馬鹿馬鹿しい…」


これ以上の高みに到達することが出来ないと悟った俺は、灼熱の太陽が照り付ける中、今まで走ってきた大きな陸上競技場を会場の外から一瞥し、二度と後ろを振り向くことがないことを確信して帰路に就いた


家に帰ると誰もいなかった。いや、生活の匂いが感じられなかった。今日の朝まで家に置いてあったものが悉く無くなっている


リビングのテーブルに手紙が置いてあった。もうある程度の察しはついているが、それを開いて読む


「お前に少しでも期待したのが馬鹿だったよ。世界で活躍する千条家にとってお前のような県大会程度で負ける恥晒しは不要だ。父さんと母さんは、いやもう家族じゃないが、この家を出てお前と違って優秀な兄がいるアメリカに行って二度とここに戻ってこないからな。馬鹿なお前が一人で生きていけるとは思わないし、赤の他人となった今ではどうでもいいが、せいぜい一人で生きていくんだな」


「お前らなんてこっちからお断りなんだよ毒親がッ 勝手に期待して勝手に失望するお前が悪いんだ…」


今までひたすら俺の自由を奪ってきた毒親から解放されたことに最高の解放感を感じたのも束の間、事態の重大さを理解し、これからの人生を想像した俺は乾いた笑いを漏らした


ハハハハ…まだ高校生にもなってない俺にいきなり何押し付けてくれてんだよ…

今まで陸上しかやってこなかった俺は、長距離走以外何もできない

頭が悪い、掃除も料理もなにもできない、現実社会についてなにも知らない

そして自分がつらい思いをして頑張ってるのに、ずっとヘラヘラして遊ぶことしか考えてないような同級生を見下していたから友達は一人もいない


「アハハハハハハアハハハハハアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」


 ガッチャンッ!!


やりきれない思いを抱えた俺は薔薇が入っていた大きな花瓶を思いっきり壁に投げつけた。割れた花瓶の破片があちこちに飛び去って、床はびしょ濡れになり、支えられなくなった薔薇は横たわって無残に花びらを散らしていた


昼間まで晴れていた天気はいつしか豪雨に変わっていた。この雨がやむことはしばらくない、いや一生やむことがないのかもしれないと自分の直感が告げていた

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