第8話 オムスビ

 台所で焜炉こんろの前に立ち喜治よしはるは難しい顔をしている。その後ろを爺がふわふわ浮いているが気にしている様子はない。鍋から湯気が上がり二十秒カウントしてから火を止めると、棚からのりと書かれた缶を出し机に置いた。



『お、なんだ?』

 爺がそれの前に立つと喜治は息を吐く。



『どうせさあ…ちゃんと飯なんて食ってないんだよなあ…。』

 小皿に塩を乗せて、冷蔵庫から梅干、佃煮つくだに、漬物と取り出すと机に並べた。



『おお?もしかして雨芽あめちゃんに持っていくのか?』

『そのもしかしてだよ。あんなちっこくてガリガリで、放っておけるわけないだろ

 ?』



 喜治は仕方なさそうに頭を掻く。

『せめて、お母さんか、お父さんのどっちかがいてくれりゃあいいんだけど。』

『うん?そういう感じだったのか?』



『ああ、それにあの家はダメだ。人が住むってのとは違う。暖かさがないんだよ。

 』

 爺が椅子に腰掛けるとその足元で猫がニャアと鳴いた。



『あんなに小さいのに…そんな状態か?』

『ああ…そんなつもりはないんだろうけど、子供は気がつくからなあ。』



 時計をみて喜治は鍋の蓋を開けると、しゃもじでゆっくりと炊きたての米をかき混

ぜる。そして念入りに手を洗い、手を濡らすと塩をつけ湯気の上がっている米を手に乗せて具をいれそっと結ぶ。



『せめてあったかいのを食わせてやりたいね…。』

 三角形のお結びを五個作り、タッパーに詰めると保温バックに突っ込んだ。



 爺はそれを見て頬杖をつくと、足元の猫が台所を出て行く。それに続き喜治が玄関

へ行くと猫が座って待っていた。



『うん?なんだ?お前も行くのか?』

 猫はニャアンと鳴いてまた家の中へと戻っていく。



『きまぐれだな。』

 喜治は草履ぞうりを引っ掛けると玄関の扉を開いた。外はまだ明るく人通りも多い。すれ違う近所の住人に軽く会釈をして先日行った雨芽の家へと向かう。



 突然の訪問になるが特には問題ないだろう。ただ、雨芽が一人であの家にいること

のほうが心配ではあった。片手にぶら下げた保温バックを見て喜治は笑う。



『俺も…お人よしだな。』

 マンションの前にたどり着くと上を見上げた。前回来た時も思ったが黒いもやがマ

ンションの上に行くごとに濃くかかっている。エレベーターもそうだが、なにかしらあるのは間違いないが、かと言ってわざわざ何かするほどでもない。



 小さなわざわいはどこにでもあって、払ったとしてもまたいてくる。人が居続ける限りは必ず何かあるし、なくなるものじゃない。人が悪さをすれば返ってくるだけ、そう考えるほうが自然だし角も立たない。



 喜治はエレベーターに乗り込むと九階のボタンを押す。肩越しにボソボソ何か呟か

れたが喜治は唇でぶるるっと空気を震わせる。ぬめっとした空気が背中から首元に回されて何者かが抱きついていた。うんざりした顔で息を吐く。



『寒い、やめろ。』

 エレベーターが到着し扉が開くと肩を払って廊下に出た。何者かはエレベーターの

中で喜治の背中に向かい手招きをしたが、彼は気にせずに雨芽の部屋へと向かう。



 ドアの前に立ち、インターホンを押す手を止めた。

おせっかいか…手元の保温バックを見てドアの取っ手にかけると踵を返してまたエ

レベーターに乗り込んだ。

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