第12話
テールキンの村を出て数十日。山道を抜けた先に、小さな国が見えて来た。規模は王都の半分にも満たず、そびえたつ城壁の中には民家や店軒が詰め込まれている。奥にそびえたつ城も、華やかではあるが王都のそれとは比べ物にならない。
その辺境国こそが、クレオンの目的地でもある。彼はさらに歩き、ようやく城門へとやってきた。当然ながら、城門前には守衛が二人立ちはだかっており、彼を見るやいなや槍を向けてくる。
「貴様、何者だ」
もしクレオンが商人や農家の装い――あるいは身なりを整えた旅人ならば彼らを刺激しなかっただろう。しかしながら、今の彼は周囲を威圧するような出立だ。片手には鞘に入った剣を持ち、服も先の戦い以降まともに洗濯していないため、返り血がそのまま残っている。以前よりもやせ細り、目も赤みを帯びていた。
「カーネリアに会いに来た」
クレオンは淡々と述べるが、それが守衛の一人を激昂させた。
「貴様如きが、軽々しく陛下の名を呼ぶな」
「クレオンが来た、と言えばわかるはずだ」
「陛下の名を軽々しく呼ぶだけでなく、自らを救国の英雄と名乗るとは。その罪、万死に値する!」
守衛が槍を握り締め、一歩踏み出そうとした。その時、ゆっくりと城門が開く。その先にいたのは、豪華な甲冑を着た男だった。年は中年くらいで、短いの黒髪と口の周りを覆う髭。その顔つきは猛者の風格を漂っていた。
「騎士長! この者は我々を誑かし、わが国へ侵入しようと――」
守衛が振り向き告げるが、甲冑を着た男は守衛を睨む。
「その狼藉者とは、お前たちの前に立っている若者の事か」
「その通りです。今すぐ彼奴を私の槍で――」
「そうか。ならばこの事をカーネリア陛下へ報告せねばなるまいな。貴様が救国の英雄クレオンを殺めたと」
「な、何をおっしゃいますか。この者があのクレオンなどと……」
すると男は、うろたえる守衛をよそにクレオンの元へ近付く。二人は互いに目を合わせたのち、男が右手を差し出して握手を求めた。
「久しぶりだな、クレオン」
「ああ。ダリウス隊長」
クレオンは彼の要求に応えて、力強く握手を交わした。二人の傍らで、守衛たちが困惑した様子で互いを見つめ合う。
「今は騎士長を務めている。まあ、好きに呼ぶといい」
「ならこれからは騎士長と呼ばないと」
半ば冗談まぎれに、クレオンは笑う。
「それで、陛下に用事か」
「ああ。彼女は今どうしてる?」
「貴族たちと会議をしているが、お前の顔を見ればすぐに切り上げるだろう」
ダリウスは「来い」と首で合図をする。二人は困惑のあまり固まる守衛を余所に、城門を抜けていった。
辺境国ではあるその国は、活気ならば王都以上とも言えるだろう。市井では市民と貴族が、隔てなく接している場面もあった。彼らは時に政治の話で見識を深め合ったり、市場の特価品で競り合いをしたりもする。守衛の兵士も時に混ざりもしたが、それを見た騎士長のダリウスは咎める訳でもなく、むしろ微笑ましく眺めていた。
「前よりも活気づいているな」
辺りを見回しながら、クレオンが呟く。
「どこかの猛き若者のおかげだろうな」
ダリウスも冗談まぎれに答えた。
「俺はただ、自分の使命を果たしただけさ」
「お前はそれ以上の事をしてくれた」ダリウスは城門の方角へと顔を向ける。「先ほどのはすまなかった。奴らも自分達の責務を全うしようと、少し気を入れ過ぎただけなんだ」
「分かってる。それに、こんな身なりなんだ」
「後で服を用意してやろう。流石にその姿で謁見させる訳にはいかないからな」
「悪いな」
ふと通りがかった広場で、クレオンは見覚えのない銅像を見つける。その銅像にはクレオンたち四人が、四方を守るように立っていた。
「あれは?」
「お前達の功績に対して、国民が建てた。ご感想は?」
クレオンはじっと、銅像を見つめる。先頭にいるレンカは威厳のある表情をして、盾を構えていた。女神官セルマは、ローブをなびかせながら中心へ錫杖を向けていた。賢者アーレントも、周囲に魔法の火球や氷の矢らしき物体を携え杖をかまえる。彼らの丁度真ん中には、聖剣を天に掲げていたクレオンの姿があった。
彼にとっても見覚えがある光景だった。その瞳には、かつてこの地で起きた戦いの情景が浮かびつつあった。
「どうした、クレオン」
だがダリウスの声で、現実に戻される。
「ああ。つい見とれてしまったよ」
「それは良かった。職人たちにお前の感想を伝えてやったら、大喜びだろうな」
ダリウスの言葉に、クレオンは笑いをうかべて誤魔化す。再び歩き出そうとしたところで、何人かの住人が彼を見つけて、もてはやそうとした。ダリウスが説得して、ようやく城へと足を進められた。
城の中へ入ると、クレオンは客間へと案内された。きれいな布のベッドに装飾の入ったテーブル。革で出来た椅子。まさに王の城という豪華さだった。
「少し待っていろ。着替えを持ってこさせる」
「ああ。頼む」
ダリウスは先に部屋を出て、戸を閉じる。クレオンは剣を窓辺へ置いて、椅子へ座ると窓からの景色を眺めた。はたから見れば掌で包めそうなほど小さな国ではあるが、街は人であふれかえっていた。その中に、たった一人も悲しい表情を浮かべてはいない。せいぜいお目当ての品が得られず、悔しさを顔に出したりするだけだった。ここでかつて、大きな戦いがあったとは思えない程に。
しばらくして、ダリウスが部屋へ戻って来る。片手にはきれいな衣服を持っていた。
「風呂の支度が出来た。まずは身体を綺麗にした方がいい」
言われてクレオンは、自分の身体を見回す。もう何日も風呂に入っていないせいか、身体からは血と泥の臭いが湧き出ていた。日々汗と泥にまみれる兵士たちなら、大して気にしないだろう。だが真逆の存在である貴族にとっては、無礼そのものである。たとえ救国の英雄クレオンとて、不潔は許されない。
「確かにな」
「さあ来い」
ダリウスに言われた通り、クレオンは彼の後に続く。長い廊下を抜けた先で、風呂のある部屋へたどり着く。クレオンが一人でそこに入ると、早速服を脱いで湯船につかる。適当に体を洗い、血の臭いがしなくなったところで体を拭き、ダリウスが用意してくれた服に身を包む。淡い色のチュニックに黒色のズボン。しっかりと手入されているのか、ほつれは一つもなかった。
着替えを済ませて、浴場を出るとすぐそばにダリウスが立っていた。
「さて、陛下の元へ案内しよう」
クレオンは頷き、彼の後に続く。
王の間は戸が閉まっており、数人の守衛が警護に当たっていた。彼らはダリウスと話をして、それからクレオンを見る。
「あなたが英雄クレオンか」
うち一人、この中で最も階級の高いだろう初老の守衛が声をかける。
「ああ。そうだ」
「お目にかかれて光栄だ。わしもあの戦いには参加していたのだが、不覚を取ってしまってな」
「無理もないさ、あの戦いは過酷だったからな」
「そうだな。それに大きすぎる犠牲も払った」
初老の守衛がそう口にすると、全員が黙り込んで暗い顔を浮かべる。それをダリウスが振り払うように、声をかけた。
「それよりも、早く中へ入るぞ」
「ああ」
クレオンが頷いて、ダリウスは王の間へ続く扉を開けた。狭めの部屋の中心に置かれた卓。それを囲むように、豪勢な身なりをした貴族たちが座っていた。彼らは戸が開くと、一斉にクレオンたちの方へ顔を向ける。
「……騎士長、今は会議の最中なんだが」
うち一人が、嫌味ったらしい表情で声をかける。
「申し訳ありません。陛下にお会いしたいと、お客様をお連れしたので」
「待てよ。もしやその者は……」
貴族はクレオンの顔を見ると、はっと息をのんだ。他の貴族たちも、簡明の声を洩らす。口々で、英雄クレオンの名を告げる。
その時、一人の少女が王座から立ち上がる。年はクレオンより一つか二つ上くらいで、琥珀色の長髪に冠を戴き、澄んだ青色の衣を身にまとう。金色の瞳と整った顔立ちは、凛々しさと可憐さを兼ね備えていた。そして少女がクレオンを見た時、万遍の笑みで迎えた。
「……クレオンか! よく来てくれた!」
「久しぶりだな、カーネリア」
もし距離が近ければ、互いに抱擁をしただろう。それくらいに和気あいあいとした雰囲気に、居合わせた者たちは呆れつつも微笑ましく見守っていた。
「ああまったくだ! あれからというものの、お前達の事を考えなかった日はなかったぞ!」それから少女カーネリアは、貴族たちを見回す。「すまないが、私は来客を向かえないといけない。会議はまたの機会に持ち越しという事でいいだろうか」
「……まあ、来客があの英雄クレオンなら仕方ないか」
愚痴をこぼしていた貴族も、ため息をつきつつも席を立つ。他の貴族たちもそれに続いて、立ち上がっていく。
「それでは陛下、どうぞお二人だけのお時間をお楽しみください」
茶化しながら、貴族は立ち去ろうとしていく。
「な、何を言うか! 私とクレオンはかような間柄では……」
と答えるカーネリアだったが、火照った頬と慌てふためく様子は、まんざらではないと言っているも同然だった。それを隠すように、彼女は咳払いをした。すると再び、一国の主らしい頼もしい顔つきに戻る。
「さて、クレオンを出迎えてくれて感謝する。ダリウス騎士長」
貴族たちをその場で見送っていたダリウスが、カーネリアの声に振り返る。
「いえ、巡回中たまたま通りがかっただけです」
「謙遜しなくてもいい」カーネリアの言葉に、ダリウスは目を伏せて頷く。「手間をかけたな。持ち場に戻っていいぞ」
「では、これにて失礼を」
お辞儀をして、ダリウスは王の間を去っていく。それを確認して、カーネリアはクレオンの方へ顔を向ける。
「ここで話をするのもなんだ。私の私室へ行こう」
「別にここでもいいんだけどな」
「なに、お前と私の仲なんだ。それに、個人的な話をするのにこの場所は適さないからな」
「ならお言葉に甘えて」
うむ、とカーネリアは頷く。それから二人は、王の間を出て彼女の私室へと向かう。
「しかしだ、クレオン」途中、カーネリアは窓へ顔を向けながら声をかける。「来るならあらかじめ来ると伝えてくれれば、こちらも気の利いたもてなしができたというのに」
「その必要はないさ」
「いいや、救国の英雄をもてなさなければ、女王の地位にかかわる」
「別に俺は気にしないって」
「馬鹿言え。私が一番気にする」
そう振り向くカーネリアは微笑んでいた。久しぶりの逢瀬に、彼女は心を躍らせていたからだ。
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