第7話
数日程、クレオンはテールキンの村で療養に勤しんだ。アルクの妻が作る野菜のスープや、村特製のパンを毎日。時折怪我の面倒を見てくれた薬師の煎じ茶を飲まされもしたが、おかげで傷は癒えていった。
そうしてしばらく経ったある日、ベッドから起きたクレオンは痛みも気だるさも取れていたのに気づく。彼は家の外に出て、久しぶりに陽の光を浴びる。村の朝は早く、既にアルクたちは起きて仕事の準備を始めていた。二人の目が合うと、お互いに挨拶をした。
「やあ、もう傷は大丈夫なのかい?」
アルクは鍬を肩にかけながら、クレオンの元へ近付く。
「ああ。おかげさまで」
「よかった」言葉とは裏腹に、アルクは残念そうに顔をしかめる。「これからどうするつもりなんだい」
「それについてなんだが、もしよかったらしばらくの間働かせてもらえないか」
クレオンはアルクたちと食卓を囲む間、彼らが村の近くで農場をやっていると知った。主に果物を作っており、それを王都にいる親戚の店で買い取ってもらっているという。直に収穫期という事もあり、これから忙しくなるため人を雇おうかと、アルクは考えていた。
「君が? 確かに人手はほしいけれど、病み上がりの人を働かせるのは……」
「これでも魔王を討伐したんだ。もっとひどいけがを負った事もあった事もあるし。まあその時は腕のいい治癒師がいたけど。でもしばらく寝込むなんてのはなかったよ」
アルクは顎に手を当てて考える。村人に声をかけようにも、この時期は他の村人も忙しくなる。かと言って王都で声をかけたくても、信頼できる人間がいないのだ。以前彼は、誰でもいいからとスラム街にいる若造に声をかけた。彼は快く承諾して、よく働いてもくれた。だが収穫期という日に、農場には彼と育った作物が消えていたのだ。結局若者と作物の行方は分からず、その年は小さな椀に入った具のないスープを、家族三人で分けなくてはならない程に飢えてしまったのだった。
その点クレオンは、信頼できると思えた。常に慎み、礼節を弁える彼には、かつての若者のような黒い腹の内はない。ならばこれ以上、欲をかくのはよろしくないだろう。そう思い、アルクは首を縦に振った。
「分かった。ぜひお願いするよ」
「ありがとう。せめて寝泊りした分はちゃんと働くから、安心してくれ」
二人は互いに握手を交わす。ふとアルクは、自分の手が既に泥だらけだったことに気がつく。だがクレオンはつけられた泥を気にする訳でもなく、彼の次の言葉を待っていた。そこで一層、信頼が増すのだった。
「ロイと二人で道具をそろえておくから、先に農場で待ってていいよ」
「いや、俺も手伝うよ」
「気づかいはうれしいけど、ロイに仕事を教えたいからね。いつかあの子も、一人で仕事ができるようにさせたいし」
そこでクレオンは、あることを思いつく。
「時間はかかりそうか?」
「少しね。君の分の鍬も研がないといけないだろうし」
「なら一つ聞いてもいいか」
アルクは、クレオンの質問に首をかしげる。
「僕で良かったら聞くけど、どうしたの」
「この辺りで鍛冶仕事ができる人を知らないか?」
「鍛冶? いや、この鍬はちゃんと自分達で――」
「それは分かってるさ。ただ、別の用事があって」
クレオンはアルクの言葉を遮る。
「用事? 何かあるのかい」
「先立つ物が必要だからな。誰か知らないだろうか」
クレオンは最終的に、村を出るつもりなんだろう。アルクは残念に思いながらも、彼の生き方を尊重して笑みを浮かべる。それから記憶をたどった。
「って言っても、鍛冶職人なら王都の方にいくらでもいると思うけど」
「王都には行けないんだ。できればこの村の近くか、別の村でも構わない。誰か知ってるか?」
アルクはクレオンの話を思い出す。彼は王国騎士の鎧をまとった人物達に命を狙われてたという。だが療養中に話をして、犯罪者ではないとは知っている。もしそうなら、療養中に王都から追手が来ていただろう。そんな彼の為に、鍛冶仕事に覚えがある人物を思い返してみる。
だがどう思い返してみても、この村で鍛冶仕事ができる人物はいない。アルクたちでも鍬や鎌の研ぎ仕事ぐらいはできるというが、話の脈絡からしてクレオンの求めているものは、ちゃんとした鍛冶職人でないとできないようだ。彼が何を求めているのかも、アルクですら察しが付くほど。
すまないが思いつかない。そう言いかけた時、アルクの脳裏に一人の人物が浮かび上がる。
「思い出した。半年前、あの丘にある家に老人が住み始めたんだ」アルクは村から少し離れたところにある丘を指さす。家とは言っていたが、クレオンたちの方角からは木陰に隠れて全く見えないい。「その老人が、確か王都で鍛冶職人をやっていたって聞いたよ」
「その人はあの丘のどこに?」
「ここからじゃ見えないけど」アルクは村の出入り口辺りを指さすと、言葉と同時に道をなぞり始める。「あそこから獣道が続いているんだけど、そこを道なりに進んでいくと、大きな樫の木が立ってるんだ。そこの近くに、元は狩人の小屋だった建物があるんだ。もう何年も前に使われなくなってたんだけど」
「そうか。なら俺は、一旦その人に会いに行ってくるよ」
「ああ構わないけど」
「安心してくれ。仕事の時間には間に合わせるから」
そう告げて、クレオンは駆け出した。アルクは脳裏にふつふつと沸き上がる疑問をこらえながら、背後にやってきたロイの頭をなでる。
クレオンはアルクに言われた道を進んでいく。足場は悪く、所々の勾配が激しい道で、体力の消耗も激しい。道を進んでいくと、大きな樫の木が見えて来た。かなり昔から立っているようで、傷一つない。誰かが伐採してもおかしくない程立派な大木であるにもかかわらず、その跡すらなかった。恐らく村全体で守っているのだろう。件の小屋は樫の木から近い場所にあった。クレオンは足を進める。
その小屋は元々近くへ狩りに来ていた猟師が、休憩をしたり一晩張り込むために作られたものだった。しかし認定狩猟師のいる狩人ギルドが大きくなると同時に、小屋は使われなくなった。一帯が王都から近い事もあり、かつ人材も豊富だからだ。かつてのように一人が徹底的に張り込むよりは、時間おきに人員を交代させていく方が、仕事の成功率も高い。ギルドはこの作戦を実現できるほどに、多くの人材をかくまっているのだ。
しかし残念ながら、現在小屋に住んでいる人物は鍛冶仕事をしていないらしい。外には炉もなければ、砥石すらない。形見としてもおかしくないだろう、槌や火箸さえどこにも転がっていなかった。本当に鍛冶屋なのか、とクレオンは訝しむ。とはいえ聞いて見ない事にはどうにもならなかい。
クレオンは戸を叩いてみる。一応ちゃんと人は住んでいるようで、中からぱたぱたと弱々しい足音が聞えて来た。住人が戸を開けると、眠たそうな目を一瞬のうちに大きく見開いた。
「……クレオン」
「あなたは……!」
それはクレオンも同じだった。立っていた老人は、顎に長い城ひげを生やしており、しかし頭髪は全て抜けきっていた。顔にはやけど跡や黒いほくろ、しわだらけの手にあるたこは、尚も威圧感を放つ。
「久しぶりだな」
老人は再び眠たそうな目を向ける。
「村の近くに来たのはあなただったのか、ケルスさん」
ケルスと呼ばれた老人は、クレオンの背後を見つめる。
「あの女神官はどうしたんだ」
クレオンは顔を伏せて、深くため息をつく。
「あなたに、お話したい事がいくつもあるんだ」
「そうか」ケルスは戸をいっぱいに開くと、家のなかへ顎を向ける。「入りなさい。せっかくなんだから、話を聞こうじゃないか」
クレオンは小屋のなかに入る。小屋には何か仕事をしているといった様子はなく、質素な藁のベッドに、鍋の置かれた釜とテーブル。それ以外のものはなかった。
「本当に、鍛冶仕事は引退したんだな」
クレオンはテーブル前の椅子に座る。ケルスも対面になるように腰を下ろした。
「ああ」
「聞けばこの辺りに来たのは半年前だそうだが、何かあったのか」
「別に。ヤンを覚えてるか?」
「確か、あの鍛冶場で一番若かった」
「そうだ。最後にアイツの才能を開花させてやろうと思ってな、随分と時間を食っちまった」
「今あの鍛冶場は、誰のものなんです?」
「そのヤンだ。他のヤツは文句を垂れてたが、いずれ全員納得するだろうよ」
「それは何より」
「で、こんな話をしたかったわけじゃないだろう。お前さんのほうはどうなったんだ」
ケルスはテーブルの上に腕を置く。クレオンも本題に入るように、両腕を組んだ。
「結末を言うと、魔王は無事に倒せたよ」
「そうか……そいつは何よりだ」
ケルスは一旦笑みを浮かべるが、険しい表情から変えないクレオンを見て眉間にしわを寄せる。
「で、その数日後に王に謁見して、翌日報酬を貰うと約束した」
「報酬は?」
茶化し半分に聞いたケルスを、クレオンは一瞬睨む。ケルスは悪びれた様子で、次の言葉を待つ。
「代わりに仲間が殺された。セルマも、旅の途中で出会った二人の仲間も、全員」
それを聞いて、ケルスは先ほどふざけた事を一層後悔した。その訃報は彼にとっても、胸が痛むものだったからだ。
「……すまなかった。そうだと知らず」
「いや、あなたは何も悪くない」
「それで、殺したのは?」
「王都騎士団の鎧を着た奴らだ。多分そうかもしれない」
「王都騎士団が? ありえない」
「野党にしては、奴らかなり統率が取れていた。その中の一人はよく覚えてる。黒い馬を駆る、黒い鎧の騎士」
「待てよ。そいつは大槍を持っているか?」
「もしかして、知っているのか」
「お前さんの話が本当なら、お前さんの仲間を殺したのは間違いなく王都騎士団だ」
ケルスの言葉に、クレオンは息を飲む。額から流れる冷や汗に気づかず、テーブルの上へ零した。
「ケルスさん。王都騎士団について詳しく聞かせてくれないか」
「ああもちろん。奴らの剣も鎧も、おれの鍛冶場で作ったものだからな」
「なるほど。あなたが騎士団について知ってるもの頷ける」
「その中でも、お前が教えてくれた黒い騎士についてはよく知ってる」
「奴は一体誰なんですか」
「他でもない。その男こそが、王都騎士団団長のハイネリオだ」
「奴が?」
「ああ。奴のランスを作ったのもおれ達だからな。あれは確か、奴が騎士団長に昇格した――」ケルスは思い出話に花を咲かせようとしたが、クレオンの険しい表情を見て言葉を止める。「――いや、この話はお前さんにとっちゃどうでもいいか」
「奴は普段どこにいるか知ってるか」
その質問に、ケルスは眉を寄せる。何故居場所を知る必要があるのか。それは長年生きて来た彼にとって、想像に難くない理由だった。
「お前さん、まさか復讐を考えているんじゃないだろうな」
「だからこそ、あなたに用がある」クレオンは姿勢を正す。「俺に、剣を作ってほしい」
ケルスは長く伸びた顎鬚をなでると、小さく首を横に振る。
「おれはもう鍛冶屋をやめたんだ」
「もちろん知ってる。だが奴を倒すためには、あなたの剣が必要なんだ」
「なら猶更駄目だ。もし村の近くに居座る害獣を駆除するってんなら、おれも考えただろうさ。だが、自殺の手助けをする気はない」
「そうはならない。ツテがあるんだ。うまくいけば、かたき討ちが出来るはずだ」
「お前さん、一体なにをする気だ? まさか戦争を起こそうってんじゃないだろうな」
無論クレオンとて、戦争をおこしたがるほど野蛮人ではない。だか彼は、再び両手を組むと話を続けた。
「セルマとは、結婚するつもりだった」
「あの女神官と?」
「彼女が殺されたのは、婚約を誓った翌日だ」
「そうか、それは……気の毒に」ケルスはどこかで見た祈りを、ぶっきらぼうに捧げる。「だからって、そいつを殺して何になる? おまえさんの仲間は戻ってこないし、仮にハイネリオの首を獲れたとして、お前さんは一生追われる身になるぞ」
「構わないさ。もしあの村の人に見つけてもらえなければ、俺も死んでいたんだからな」
「いいか。お前が何と言おうと剣を作るつもりはない。第一、作るための道具も材料もないんだ。どうしても欲しけりゃ、どっか別の奴に頼めばいい。そいつはどうせ、お前さんの心配なんかしてくれねぇだろうからな」
「それは駄目だ。あなたの作った剣以外、信用できない。王都で一番の鍛冶職人ケルスの剣でなきゃ駄目なんだ」
ケルスは閉口した。目の前意にいるクレオンの、必死な眼差しに応えたくなかったからだ。今更自分の作った武具で、誰かが死ぬのを見たくないなどとぼやく歳でもない。だがどうしても、彼の死を手伝いたくはなかった。
かたやクレオンも、ケルスが頷くまでその場を離れないつもりでいた。仲間と婚約者を無くした彼に、復讐以外の縋る道などない。王都騎士団長ハイネリオンの首を獲るか、あるいは死ぬか。彼にこの二つ以外、道はなかった。
ケルスは、クレオンが気の毒で仕方がなかった。一体なぜ、この若者がここまで復習に駆り立てられているのか。神王はなぜ、彼から仲間と恋人を奪ったのか。何十年という長い間仕えてきた彼からすれば、神王がいたずらに若者の命を弄ぶとは思えなかった。その理由も、聞く事はないのだろう。
尤も愛する者を失い、不幸なままでいさせるのもかわいそうだ。ならば本人の願いをかなえてやるのが慈悲というものかもしれない。たとえその先に破滅が待っていたとしても。
結局ケルスは、首を縦に振った。するとクレオンの口角は上がり、自信に満ち溢れた表情を浮かべる。
「助かるよ。あなたの剣があれば、騎士団長にだって勝てる」
「その前に、当然ながらただでは請け負わんぞ。払うもんはしっかり払ってもらう」
「勿論そのつもりだ。ただ今は手持ちがないから、少し待ってほしい」
「どちらにしろ、剣も三日三晩で出来上がりはしない。どう稼ぐつもりかは知らんが、額が揃うまでは待っておいてやる」
「ありがとう。だが……」クレオンは小屋を見回す。鍛冶場がないのに、一体どうやって剣を作るつもりなのだろうと。「この小屋に鍛冶場はないみたいだが、どこで作るんだ」
「王都の俺の店に決まってる」
「鍛冶屋は譲ったんだろう? 大丈夫なのか」
「心配するな。アイツらはおれに、一生返せない程の恩があるんだからな」
それは鍛冶仕事を教えてあげた恩か、あるいは個人的な問題に関するものか。どちらにしろ、クレオンにはあまり興味のない話だった。
「分かった。金はちゃんと工面しておくから、剣は頼む」
「任せろ」
ケルスは重い腰を上げると、小屋の隅に置いてあった杖を取る。彼の足取りは、老人にしては軽い方だ。なのに杖が必要なのだろうか、とクレオンは訝しむ。
「杖が必要なようには見えないな」
「村から王都までは半日くらいかかるからな。老骨には長旅だ」
「なら馬を借りればいいのでは? 村で何頭か馬を飼っている人もいたが」
「どうやって返す? 自分だけで戻ってこれるのか」
「なるほど」
飼われている馬とて、自力で村まで帰れる程賢いのだろうか。その手間を考えると、徒歩で行くのが一番かもしれない。クレオンも納得して頷く。
「とにかく、剣が出来るまでしばらくかかるだろう。お前さんはこの村で寝泊まりするのか」
「そのつもりだ」
「ならウチを使ってもいい。ただし物は壊すなよ」
クレオンは小屋を見回す。藁のベッドに椅子とテーブルしかない小屋で、物を壊す方が難しそうだ。
「有り難いが、まだ怪我を直さないといけない。しばらく世話になっている人の家で療養するよ」
「好きにしろ」
愛想の悪い返事をして、ケルスは小屋を出て行く。やはり杖は必要ないほど、軽快な歩調だった。クレオンも買って出た仕事を思い出して、足早に農場へと向かった。
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