第2話

 数日にわたる帰郷は、彼らにとって呆気ないものであった。およそ一年に渡りこの地方を旅していたというのに、帰り道は数日足らず。仕方のない事ではあった。クレオンたちが旅を始めた時、魔王の情報は全て手探りで得るしかなかったからだ。近くの村で食料が奪われている。別の村では、商いの為町へ出た村人がもどって来ない。別の国では魔族が侵攻するという危機に迫られて、また別の国では魔族関係なしに、戦争を起こそうとする者を止めたり。彼らの旅は一直線ではなく、地方を渦のように歩いていた。これらは魔王討伐だけではなく、勇者として求められた責任を果たす為とも言える。あらゆる場所に人脈を持った彼らだからこそ、国境を超えた対応が行えたのだ。

 しかし彼らの故郷までは、文字通り一直線でたどり着けてしまう。やがて彼らの眼前に広大な都市が見えて来て、クレオンがため息をつく。それは魔王を倒した実感がないのではなく、偉業を成し遂げた者への待遇についてだった。


「まあ確かに、魔王を倒したってのに歓迎もないのは寂しすぎるね」


 レンカが同調して頷く。王都へ続く門には、普段と変わらない様子で二人の門番が立ってだけだった。


「王が言うには、これは極秘の任務だったな」


 アーレントは粛々と答える。


「きっと人々は、私たちに感謝しているはずですよ。神々だってきっと、私たちの働きを見てくださっているはずです」

「まあ、そうだよな」


 セルマの言葉を、クレオンは適当な相槌で迎える。彼とて報酬目当てで勇者を志願したわけではない。だが偉業を成したというのに、寂しい迎えに辟易しただけだった。

 門へと近づくと、門番が「止まれ」と槍の石突で地面をつつく。普段なら穂先を向ける彼らがそれだけで済ませたのは、クレオンが選ばれし勇者であると知っていたからだ。それを示すように、門番の一人は表情は僅かに綻んでいる。


「王都に何の用だ」


 この質問も、形式を守っているだけに過ぎない。その証拠に、槍を握る門番の手は、握るというより支えていると形容すべき持ち方だった。


「ちょっと、からかってんのあんた」


 レンカが先頭にいるクレオンを押しのけて、腰に手を当てながら愛想悪く顔を突き出す。


「お前達の事は知っている。だがこれがおれの仕事なんだ」

「何それ。あたし達の事を知ってんなら、大人しく入国させればいいじゃない」

「だからって入国させて、後で密偵だったり反乱者だったら、おれ達の首が飛ぶんだよ」


 門番はうんざりしたように眉を吊り上げる。彼らものらりくらりと問答する気はなく、とっとと名乗ってもらって入国許可を出してやりたいと考えていたからだ。理由はもちろん、英雄を迎えるため。

 これ以上の問答は無駄だと察したクレオンが、レンカの肩を掴み押しのける。


「ちょっと……」

「仲間が失礼な事を」


 クレオンはレンカの愚痴を無視して、話を続ける。


「気にすんな。他のクソ共と比べりゃ、天使のささやきみてぇなもんさ」門番は半分皮肉に、もう半分は真実を含めて告げた。「それで、王都に帰ってきたって事は……」


 門番の言葉は続かなかったが、クレオンは意図を汲んだ頷く。


「魔王は斃れた。これでこの土地も平和になる」


 自信満々に告げるクレオン。しかし彼の言葉を聞いた門番は、なぜか一瞬悲しげな表情を浮かべる。すぐにぎこちなくも笑みを見せたため、クレオンたちはその表情に気を取られる事はなかった。


「そうか。そいつはよかった」

「できれば証拠を持ってきたかったんだが、魔王は倒した後砂みたいに宙へ待ってしまって」

「いいさ。あんたらの顔を見りゃ、嘘じゃないって分かる」


 実際のところ、この門番は旅を始めた時のクレオンを見送った当人でもあった。その頃はまだ両親に反抗するのがやっとな、尻の青い小僧でしかなかった。しかし今のクレオンは、王国騎士団の精鋭と同等の風格を漂わせている。曲がりなりにも武芸者である門番は、彼の成長を一目見ただけで察していた。


「それで、入国は許可してくれるのか?」

「もちろん。通っていい」

 門番は頷いて、大扉を拳でたたく。すると彼らから見えない場所で、門戸係の衛兵が歯車仕掛けのスイッチを操作する。扉が開いた先には、人気のない街路地が姿を現す。

 対応していた門番は身体を横に向けて、通れるように道を開ける。反対側の門番も同じく槍を抱えて、クレオンたちを歓迎する。クレオンたちも軽く挨拶をして、門番の脇を通ろうとした。


「……待て」


 丁度全員が王都に入り、門戸係がスイッチを入れようとした時だった。門番が呼び止める。その目は非情に物悲しい様子で、勇者一行を見ていた。


「ちょっと、この期に及んで入国させないつもり?」


 食って掛かるレンカだが、門番は首を横に振る。


「そうじゃない。ただ……」歯切れの悪い門番を、クレオンたちは待ち続けた。やがて門番は、ひどく悲し気な微笑みを浮かべる。「おれは……お前達を誇りに思う。誰が何と言おうと、お前達は真の英雄だ」


 クレオンたちは、その言葉をありのままに受け入れた。セルマは感謝の祈りを捧げ、アーレントは胸に手を当ててお辞儀をする。レンカも照れ隠しにそっぽを向いたものの、軽い調子で感謝の言葉を述べた。それから勇者一行はそれぞれ踵を返して、王城を目指す。門番は彼らの背を、門が閉じるまで眺め続けた。


「……どういうつもりだ」


 これまでずっと沈黙を続けていた、もう一人の門番が尋ねる。


「やっぱり、こんなの間違ってる」

「だったら王に直訴すればいい。同僚のよしみとして、お前の死体ぐらい拾ってやる」


 そう言われて、門番は黙りこくった。代わりに心の中で、クレオンたちの無事を願う。

 一方でクレオン一行は、活気づく市場を通り過ぎようとしていた。市民の殆どが彼らの姿を目の当たりにするものの、勇者として崇めてくれる者はいなかった。ほとんどの市民が彼らを旅人と思い、目で追いつつも声まではかけなかった。この地方でも各地を旅する者は少なくない。その中に魔王を討伐した一行がいるなど、彼らは知る由もなかった。

 クレオンたちはその寂しさを、平和な光景で満たそうとした。果物やパンを売る中年女性の快い声。手を叩きながら自慢の野菜を売る若い男。手をこすりながら妖しくも輝く装飾品を売る老人。路地裏からは鉄を打つ音も聞こえてくる。ありふれた風景を守れた事に、彼らはただ喜ぶ。

 市場を抜けた先で、大きな噴水のある広間へと出る。そこから奥へ進めば裕福層の領地となり、その先にそびえたつ城こそが、彼らの向かっている王城だった。貴族たちも勇者一行の姿を目にしていたが、誰も気に掛ける素振りはなかった。誰かが雇った傭兵か、それとも士官に来た見習いか。そう思ったとしても、貴族たちは言葉にしない。なぜなら彼らが熱を入れているのは、ほかならぬ政治に関する話だったからだ。

 結局クレオンたちは、凱旋のないまま王城へとたどり着く。城の門番である近衛兵は、彼らの所存を尋ねずに王城へと案内する。うち一人が案内役として彼らの前を歩く。

 やがて豪奢な扉が現れて、案内役の近衛兵は扉を開けた。そこはまさに、王の領域であった。赤いじゅうたんには所々金の刺繍があり、じゅうたんは真っ直ぐ玉座へと向かっていた。頭上には神々と王国の紋章が象られたステンドグラス。玉座の傍らには絢爛な服に身を包んだ直近たち。そして偉大なる王は、堂々としたたたずまいで頬杖をついていた。

 近衛兵が用件を叫ぶと、直近の一人が下がっていいと乱雑な仕草で指示する。クレオンたちは近衛兵が去るのを見届けずに、赤いじゅうたんを歩き始める。玉座への階段前で、彼らは跪いた。


「我らが神王、ジークヴァルド陛下。この旅はご報告に参りました」


 クレオンは目を伏せたまま、佇む王へ言葉を投げかける。それを受け取ったのは、執政の男だった。


「話は私が聞く。報告とは何か、申してみよ」

「……魔王を、討ち滅ぼしました」


 クレオンの言葉に、王は眉をピクリと動かす。


「証拠は?」


 執政が問う。


「ありません。魔王を討った後、彼奴は砂埃となって消えました」

「貴様、我らが神王を誑かすつもりか」


 執政は険しい言葉を投げかけた。反対側にいた、怪しいローブを身にまとう男が不気味な笑みを浮かべる。


「いいえ。すべて真実です」

「この期に及んで……きさま随分と――」


 執政が言葉を投げかけた時、それを止めるように”神王ジークヴァルド”は手を挙げる。執政はすぐに口をつぐんで、頭を下げると後ろに控える。


「勇者よ」年老いた王の声は、ゆっくりながらも確かな威厳があった。その一声で、まるで地面が揺れ動くような感覚を、その場にいた神王以外が感じた。「名は、クレオンと申したな」

「はい。私の名はクレオンです」


 クレオンはお辞儀にお辞儀を重ねる。


「此度の務め、よくぞ果たした」

「有難きお言葉、光栄にございます」

「貴様達には褒美をやらねばな。だが……」神王の言葉に、クレオンは唾を飲む。「以前申した通り、魔王討伐の任は極秘裏に行われねばならん。よって、褒美は後日与えよう。仔細は、執政が伝える」


 神王の言葉に、再び執政が前に出る。


「神王陛下が申した通りだ。お前達の褒美は明日、街はずれの森林にて授与する」

「お尋ねしてもよろしいですか」


 クレオンが質問を投げかけようとすると、執政は首を横に振る。


「何故森の中で褒章の授与が行われるのか? そう聞きたいのであろう。もし貴様らが金銀財宝を両手に持ったまま、裕福層地区を歩いてみろ。賢い彼らは、すぐに疑りかかって来る。今我々は、一つでも疑念を抱かれたくない」

「だから授与を人知れず行う必要があるというのですね」

「その通りだ。無論、我々とて無情ではない。この分も含めて、貴様らが満足する以上の額を揃えてある」

「お心遣い、感謝します」

「よし」執政は手を叩く。「以上だ。報告、ご苦労だった。下がっていい」


 クレオンたちは立ち上がり、それぞれお辞儀をする。そして踵を返すと、赤いじゅうたんの上を通って王の間を去る。しばらくして、王の傍らに怪しいローブを身にまとった男が寄る。

 王城を出たクレオンたちは、近くの広場で、それぞれ手すりにもたれかかかる。その場所からは王都を一望でき、中層の市場や下層の町並みもよくうかがえた。活気づく街は、すぐそこに危機が迫っていた事を知らない。危機を振り払った英雄たちの存在さえも、彼らは気にも留めなかった。懸命に、しかし漠然と一日を過ごしている間に、一体どんな物語があったのかを。


「しっかしホント、冷たいね皆」たまらず、レンカは愚痴をこぼす。「せっかく魔王を倒してあげたんだから、もっと気の利いた祝いをしてよって感じ」

「無理もないさレンカ」


 アーレントが優しい声で諭す。


「アールはさ、なんとも思わないの? 人々の為にって隠居やめたのに、誰からも感謝されないって」

「私は感謝や報酬が欲しくて、この旅に参加した訳じゃない」アーレントは杖をついて、空を見上げる。少し前までは金色に輝いていた空も、今は澄んだ青色へと変わっていた。「魔王を倒し、この世界を平和にするのが宿命だと思ったからだ。感謝されずとも、褒美がなくとも、この世界が魔王の手に怯えずに済むのならばそれでいい」


 レンカはアーレントの言葉に、うっとりとした。


「ホント、アールって損する性格してるよ」

「構わんさ」


 二人は目を合わせると、互いに頬を赤く染める。そこへ割って入るようにクレオンが咳払いをする。


「雰囲気を壊すようで悪いけど、この後はどうするんだ」

「そうですね。解散って言っても、明日褒章を授かるためにまた集まらないといけませんし」


 セルマの言葉に、アーレントは首を横に振る。


「別にここで道を分かつつもりはないが」

「それにさ、この前の話もあるでしょ?」


 レンカも三人の方へ顔を向ける。


「四人で冒険を続けるか、あるいは一緒に暮らす……か」


 クレオンが呟く。


「そう。でも確か……」


 レンカがセルマの方を向くと、他二人も顔を向けた。


「ごめんなさい。まだどうするかは……」


 セルマは自信なく告げる。


「ま、その話はまた明日にでもして、今日はもう休もうよ」


 レンカは両肩を回す。一行の中でも重装備な彼女は、たとえどれだけ鍛えられているとしても体力には限界がある。それに四人はここまで、殆ど休みなしで歩き詰めであった。


「賛成だ。その辺の安宿でも見つけて、一晩休もう」


 アーレントはローブのフードを被り直して、一帯を見回す。


「えー? せっかくの王都なんだし、豪華な宿に泊まりたいなー?」

「残念だがな、レンカ。そういった宿は我々を詮索してくるに決まってる。国王陛下も仰っていただろう? 我々の使命は極秘だと」

「べっつにいいじゃん。酒のつまみとして、武勇伝語る位」


 レンカはぱっと見うら若き少女ではあるが、彼女が属していた故郷で、既に成人の儀を終えている。当然酒も飲める。


「駄目だ。どうしてもというなら、いつしか自分の子供にだけ話してやればいい」

「おっとぉ、それって誘ってる?」


 レンカは後手を汲むと、愛らしく体を左右に振りながらアーレントへ顔を近づける。アーレントも頬を赤く染めつつも、せき払いをしてクレオンの方へ顔を向けた。


「まあとにかく、今日は休んだ方がいいな」

「そうですね。わたくしももう足が……」


 セルマは錫杖を杖代わりにして、腰くらいの高さほどの塀へもたれかかる。


「あたしもそろそろ鎧脱ぎたいし」

「それじゃあ、さっさと宿を見つけるか」


 クレオンが頷くと、一行は裕福層地区へと足を進めた。

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