偽の勇者クレオン、最後のループ

にしわき

第1話

 黄金色の空が続く下、枯れた大地を四人の少年少女が歩く。ある少女はオリハルコン作りの堅牢な鎧と盾を身につけ、ある少年は黄金の刺繍が入った、威厳のある緑のローブを身にまとう。またある少女は自らの地位を示す記号の入った白い烏帽子と、同じく神の使いである事を示す祭服に身を包んでいた。

 三人の気高き者達の先頭を行く少年は、ごくありふれた鋼鉄の軽鎧とその下には村人服姿。だが提げている剣についた傷は、これまでの修羅場の数が刻まれている。この先頭に立つ少年の名はクレオン。過酷な選抜試験を突破し、王国を救うために勇者となった少年。彼らの目的はただ一つ。王国の平和を脅かす魔王の討伐。そして彼らは、数年にわたる旅路の終着点にたどり着いていた。

 堂々と歩く中、四人はそれぞれの旅路を振り返っていた。勇者候補として名乗り出た時。共に連れる仲間との出会い。初めて訪れた村を、山賊から守った事。小国の姫と剣を交えて、魔族が来れば共に剣を並べて戦った記憶。ある傭兵と出会い、彼の暗い過去と向き合った体験。進む道こそ違えたものの、全ての思い出はクレオンたちをより強く、英雄にふさわしい者として成長させていった。

 彼らに怖れるものはない。魔王の棲む魔界へと足を踏み入れるその表情は、一切の曇りなき堂々さを帯びていた。そして使命にあふれた頼もしい目で魔界の彼方を睨み続ける。その先で待つ魔王を倒すために。

 魔界側の空から、頭上を埋め尽くさんと言わんばかりの魔物が飛来してくる。その姿は一見飛竜のように、大きな両翼を広げている。だがその頭は蛙かあるいは飛蝗のような爬虫類を思わせる姿だった。クレオンたちは気がつくと、言葉にする間もなく陣形を取り始める。彼らの前に、鎧を身にまとった少女、”鉄壁の乙女”ことレンカが右手に持った盾を構える。するとクレオンたちを取り囲むように、透明なシールドがドーム状に展開される。彼女の一族に伝わる防御魔法だ。

 飛竜型の魔族は彼らの頭上で、禍々しい妖気を放つ光矢を一斉に放つ。大嵐の如く降りしきる矢は、次第に大地を汚していった。だが矢はレンカの防御魔法に弾かれ、傷一つ付けられなかった。顕現し続ける防御魔法の中では、杖を持った”若き賢者”アーレントが詠唱を始めていた。その間も飛竜はみすぼらしい口から毒霧や光矢を放つも、レンカの防御魔法を崩せない。やがてアーレントの詠唱が終わると、彼らの前に大きな炎の竜巻が現れる。竜巻は飛竜型の魔族や大地に降りしきった光矢を吸いこみ、魔族たちは炎と無造作に暴れる矢で身を焦がし、切り刻まれて行く。竜巻が過ぎ去ると、魔族は灰すら残さず黄金の空に煙を残していった。

 魔族の防衛はこれに留まらない。奥からはさらに、魔族の歩兵部隊が規律のない各々の武装で一斉に突撃してくる。アーレントは再び詠唱を始めて、さらに”見習い女神官”の少女セルマも、錫杖へ祈りを捧げる。クレオンはセルマの祈りに目を閉じながら、剣を指でなぞる。するとクレオンの剣は、神々しい光に包まれた。彼女が捧げた祈りは、彼の剣へ”聖剣”の祝福を施したのだ。

 その頃には魔族も、勇者一行へ肉薄していた。アーレントの詠唱が終わると、彼の頭上に大きな氷の球体が現れる。球体は全方位へと氷の矢を放ち、魔族の遠距離攻撃部隊を奇襲した。クレオンの剣に祝福を施したセルマは、いま一度錫杖へ祈りを捧げる。

 祈りが終わると、レンカの防御魔法が解かれる。好機と思った魔族は、一斉にクレオンたちへ襲いかかる。だがその瞬間、眩い閃光が彼らの目を焼く。光を失った魔族たちは、知らずの内に両断されていた。クレオンの聖剣が、一凪ぎで彼らを斬り伏せたのだった。

 端から見れば、これは勇者たちによる虐殺とも取れただろう。だがそう思えるほどに、クレオンたちは強く、魔族たちが弱かったのだ。そうして彼らは何もできないまま、勇者一行に魔王への道を開けてしまった。

 勇者一行は顔を合わせて頷き合うと、再び歩き始める。するともう一匹、蝙蝠男のような魔物が現れる。無謀な突進は、クレオンの振るった剣でなすすべもなく両断される。魔物は身体こそ分かたれなかったものの、その場へ屍を曝す。

 魔界の奥へ進むたびに、金色の空に混じって禍々しい気配が強くなっていく。勇者一行も、眉間の皺がいっそう増えていく。やがて世界の果てを思わせるような、草花の枯れた不毛の地にたどり着いた。その中心、禿げた大地に佇むのは、漆黒の鎧を身に纏った者。クレオンたちは彼の放つ気配から、正体を察する。やがて鎧の敵は、ゆっくりとこちらを振り向き、大地に差した剣を抜く。

 その剣には、無数の人間を切り刻んだのだろう、おびただしい量の血が滴っていた。クレオンはその者が行っただろう悪行に、煮えを切らす。剣の柄を持ち直して、セルマの名を呼ぶ。セルマは再び、剣への祝福を行う祈りを捧げる。鉄壁の乙女レンカも右手の盾を掲げて、若き賢者アーレントも詠唱の準備を始める。

 ついに彼らは、魔王と出会った。長きに渡る旅の終着点。その最後の戦いが始まる。クレオンの剣に神聖なる光が纏われると、セルマはさらに閃光の祈りを捧げる。魔王はそうさせまいと剣を掲げると、けたたましい鎧の音を響かせながら走り寄る。

 レンカが防御魔法を展開し、詠唱途中のアーレントとセルマを守る。魔王の攻撃は届かない。そう確信した勇者一行。だが魔王は何の苦労もなく、するりと防御魔法を通り抜ける。驚くのもつかの間、魔王の剣がアーレント目掛けて振り下ろされかけた。だがレンカは素早く反応し、盾で攻撃を受ける。火花を散らしてぶつかり合う剣と盾。互いに一歩も譲らない状況へ、クレオンは魔王の背を目掛けて刃を振るう。だが魔王はまるで見えていたかのように、振り返り剣戟をぶつけ合う。さらにその隙を狙うかのように、レンカは腰に下げた短い片手剣を鞘から抜くと同時に振りぬく。魔王はその一撃すらも見切って、そちらへ目線すら向けていないにも関わらず姿勢を低くして避ける。完全に当たると確信していたレンカは、目の前で起きた事象に対して、わずかに後れを取る。

 魔王は既に構えを取り直して、レンカの盾に片手を。突進してくるクレオンに剣を向ける。すると盾に火が舞い上がり、瞬間、爆ぜる。レンカは盾ごと吹き飛ばされた。今度はクレオンの突進が来る。魔王は爆風の勢いそのままに剣を振るい、剣同士がぶつかり合うと悲鳴を上げた。反動を利用した魔王の力がクレオンを上回り、弾き飛ばされる。

 そこへ詠唱を終えたアーレントが、杖を振りかざして火球を飛ばす。魔王は片腕を掲げて防御態勢を取る。防御魔法の類はなかった。だが賢者であるアーレントは、次の手を警戒してそのまま氷魔法の詠唱へと入る。火が効かなければ氷、氷が効かなければ雷、それも効かなければ――。言葉早く詠唱を続けながら、彼はあらゆる事態を想定する。

 火煙が晴れていくと、その先で煤に汚れた魔王の鎧が見えた。アーレントはつい、詠唱を止めてしまった。

 彼の読みでは、魔王はレンカの防御魔法を打ち破る方法を身につけ、あらゆる魔法を無力化できると考えていたからだ。だが魔王の様子を見る限り、魔法は効いている。全く想定していなかった事態によって、アーレントの計略は杞憂に終わったのだ。

 わずか一瞬出来た思考の隙を、魔王は見逃さなかった。お返しにと言わんばかりにアーレントが繰り出した火の魔法を、そのまま繰り出す。アーレントはすぐさま詠唱を再開するも、既に火球は眼前にあった。

 そこへセルマが立ちふさがり、錫杖を地面に突き刺す。彼女たちの前に、輝く透明な壁が出来上がっていた。壁は魔法を防ぎ、火は威力を失っていく。アーレントはセルマに感謝を告げて、詠唱を続ける。

 だが彼らが目を向けた先に、魔王はいなかった。すぐさま二人は辺りを見回す。ようやく見つけた時には、何もかもが遅かった。魔王は既にアーレントの懐へ飛び込み、杖を両断すると剣を持っていない手を彼の胸部に掲げる。すると彼は猛牛にぶつかったかのように吹き飛ばされる。

 セルマがアーレントの名を叫ぶ。魔王はそんなものを気にも留めないように、セルマへ剣を振りかざした。だがその前に、勇者クレオンが立ちふさがる。つばぜり合いの最中、クレオンが叫ぶ。するとセルマは態勢を立て直して、詠唱を行う。

 クレオンはその間、魔王と激しい剣戟を続けた。この時彼は、不思議にも魔王が自分と同じ技を使っているという疑問を抱く。彼は剣技を手倣った事はあるが、師と呼べる相手はいない。厳しい冒険の最中、ただがむしゃらに磨き上げた剣技は、次第に非合理的な要素が抜けていった。その剣技は尚も完成形にあらず。そんな彼だけが使う剣技のはずが、魔王に対して、似た何かを感じつつあった。

 詠唱を終えたセルマが、錫杖を掲げる。するとクレオンが逆光となるように、辺り一面光に包まれる。彼女が祈った聖なる光は、汚れた魔族を浄化する。魔王とてこの浄化の光には耐えられない。クレオンたちはそう確信していた。

 しかし光が消えた後で、魔王は何一つ変わらない様子でいた。光の中で魔王はセルマに近づき、光が消える瞬間を伺っていたのだ。風景がもとに戻った時、魔王はセルマの錫杖を奪い、槍のように腹を突いた。錫杖の先端に尖りや刃はなかったため、致命傷には至らない。だが退ける事は出来る。セルマは吹き飛ばされた後で腹を抱えてうめき声を上げる。

 レンカ、アーレント、セルマ共に戦える状況でなくなってしまった。唯一残されたクレオンは、聖剣でなくなった剣を構えなおす。そして叫ぶ。


「刺し違えてでも、お前を倒す!」


 魔王は言葉ではなく、彼と同じ構えを取って応えた。互いににらみ合い、やがて距離を詰め合う。幾度となく繰り返される剣戟に、クレオンも魔王も、その身に切り傷を増やしていった。魔王の手甲が欠けると、中から人間の手が見えた。クレオンは距離を離して、一度剣を降ろす。


「お前、まさか人間か!?」


 魔王は手を隠そうとしたが、そのまま剣を構えなおす。言葉を離すつもりがないと悟ったクレオンは、首を横に振ると同じく剣をかまえる。繰り返される剣戟。次第に起き上がる仲間達だが、すでにクレオンと魔王は、二人だけの世界に入っていた。三人に出来る事はただ一つ。声援を送る事だけだった。

 激しい剣戟の末に、ついに魔王の剣が折れた。クレオンはその隙を逃さず、渾身の一撃を放つ。剣は魔王の胴を貫き、辺りに血しぶきが飛び散る。クレオンは剣を離そうとしたが、魔王がその手を震えながら支える。そして何かをささやいたが、彼には聞こえなかった。魔王は息絶えたのか、その場へ倒れ込んだ。

 クレオンは抜けなかった剣から手を放して、深く息を吸う。新鮮な空気ではなかった。焦げた魔族の臭いに、手にまとわりついた魔王の血。それでも彼はむせずに、ゆっくりと息を吐いた。

 その背後に、三人が近寄る。


「終わったな」


 アーレントが力なく微笑みながら、クレオンの肩に手を置く。


「ええ。悪は討ち滅ぼされました」


 セルマが頷きながら、近くにあった錫杖を拾い上げる。


「でもさ、何かあっけない感じだよね」ふと呟いたレンカへ、一同が顔を向ける。「魔王って言うから、なんかすごい魔法でも使ってくるのかなって思ったけど」

「だとしても、魔王は死んだ。これで世界は平和になるんだ」


 そう呟きながら、クレオンは自分の手を見おろす。そうだな、とアーレントが肩を軽く叩くと、セルマ、レンカの三人と共に踵を返す。

 クレオンは言葉とは裏腹に、実感のなさを痛感していた。レンカの言う通り、あっけない終わり方と言えば納得できる。そう考えたからだ。それを打ち払うように首を横に振り、魔王の身体に突き刺さった剣を抜こうとした。

 剣が抜けると同時に、魔王の兜が脱げる。その時、クレオンは息をのんだ。兜の下にあった顔は、まぎれもないクレオンそのものだったからだ。あまりにも意外な状況に、彼は息はおろか、まばたきすら忘れる。


「クレオン、どうした」


 来ないクレオンに疑問を抱いて、アーレントが再び戻って来る。彼も魔王の正体を見ると、驚いた様子で首を横に振る。


「うそ、これって……」


 同じく戻って来たレンカも、口を手で覆う。


「そんな……。神よ……」


 セルマも仰天のあまり、息を荒げながら天を仰ぎ、神官のペンダントに祈りを捧げる。

 クレオンは何事かを確かめるため、魔王の傍へ膝をつく。魔王の首には、見たこともない翡翠石のペンダントがかけられていた。それに気を取られて、手を伸ばそうとした。だが触れようとした瞬間、ペンダントはおろか魔王の肉体は、砂埃のように消えていった。


「一体何だったんだ」


 クレオンの疑問は晴れない。そこへアーレントが息を整えて、灰塵の消えた先へ目を向ける。


「もしかすると、質の悪いいたずらだったのかもしれない。いざという時、我々を誑かす為の」

「でもどうしてでしょうか」


 問いを投げかけたのはセルマだった。


「こんな話思い出したんだけど」レンカの言葉に、一同が顔を向けた。「ある戦いで、片方の陣営が捕虜を盾にして、敵が攻めあぐねている間に進攻したって話があったっけ」

「魔王はそれと同じ事を?」

「分かんない……」アーレントの問いに、レンカは首を横に振る。「けど、もし戦いの最中に兜が脱げてたら、皆、アイツを倒せてた?」


 その疑問に答えられるものはいなかった。魔王の謎さえも、誰も解決することができなかった。やがて時間が立つだけだと知り、一行はひとまずその場を後にした。最終的に彼らは魔王の素性よりも、ただ魔王を倒した達成感に浸る事を選んだ。

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