一章 ちぐはぐバディ③

「……あのウルフムーンというアプリを作ったのは……萩野はぎの君だったんですか」


 悠仁とルカの対面に腰掛けた森宮もりみやつかさは、戸惑いの滲む声でそう呟いた。先日摘発された違法アプリの製作者で、現在勾留こうりゅう中の萩野はぎの藤太とうたは、一年前に辞めるまではこのスリーバーズ・テクノロジーにエンジニアとして籍を置いていた。


 その彼が作り出した生体干渉アプリ〝ウルフムーン〟は、その名の通り狼男を変身させる満月のように、使用者の超人的な能力を引き出すことを目的としたものである。確かに触れ込み通り、ユーザーの一部は一時的に普段とは比べものにならない跳躍や瞬発力、剛力や俊足を体験することができたらしい。


 ただし、それはごくごく少数で大半の者は違っていた。超人的な能力が発揮されるどころか、アプリからの干渉によって肉体のバランスが崩れ、それまでの日常生活がおびやかされる事態になった者が続出したのである。軽い場合はアプリ使用時にどこかにぶつかって怪我をした程度ですんだが、重い場合は神経がやられて不随になってしまうような健康被害だ。不幸中の幸いだったのは、あくまで違法とわかっていてダウンロードした本人の自損で済んだことと、かろうじて死者が出なかったことだろうか。


 アポイントをとっていた萩野の元上司からは既に話を聞き終えていたが、より情報を集めるために急遽森宮を呼んでもらった。萩野は他者と積極的に交流を持つタイプではなかったようだが、同じ大学を出ている同期の彼とは多少話をしたりしていたらしい。


「すみません。最近忙しくて、ニュースもろくに見ていなかったんです。製作者が捕まったことすら知らなかったもので……驚いてしまって」


 動揺しているらしい森宮はすまなそうに言うと、気を落ち着けようとするように茶を口に運んだ。


「いえ、こちらこそ突然申し訳ありません。身近な人が逮捕されるというのは、あまりない経験ですからね。驚かれても無理はありませんよ」


 ルカが柔らかな口調ですかさずフォローを入れる。悠仁がこういう類のことが苦手だと配属後すぐに気づいたようで、今ではもっぱら彼の役割になっていた。〝私、役に立つでしょう?〟という鬱陶うっとうしい視線つきだが。


「押収した機器の記録を見ると、彼はまだこの会社に所属していた頃から、アプリの制作に着手していたようなんです。自分の趣味のこととか、休日に作っているものとか、何か関わりのありそうなことを話したりはしていませんでしたか?」


 ルカのアピールを全力で無視して悠仁が聞くと、森宮は記憶を探るような目をしてうーん、とうなった。


「萩野君、あんまり自分のプライベートの話はしなかったんですよね……家でも仕事のことばっかり考えてるみたいだったんで……それじゃ気が休まらないだろうから、何か気晴らしの趣味でも持ったら? と勧めたことはありましたけど……彼が会社を辞めてしばらくしてから、どうしているかなと思って一度飲みに誘ったんですけど、ちょっと忙しいからまた次の機会にと言われて、その後音沙汰なしだったもので……」


 しばらく考え込んだ彼は、ややあって首を振る。


「やっぱり、それらしいことは特に話していなかったように思います。お役に立てなくてすみません」

「いえいえ、お話を聞かせていただけただけで充分にありがたいですよ。ちなみに、開発者として彼はどうでした? 同期のあなたの目から見て」


 ルカの問いに、森宮はしばらく言葉を探すように机を見つめてから口を開いた。


「そうですね……途中で開発部から統括部へ転向した私に比べれば、萩野君にはずっと適性があったと思います。ただその……業界で有名な方が何人もいる当社の中では、正直に言って目立つ方ではなかったです。それで焦っているのかな、と思うようなことを彼が前に言っていたことがあります」


 萩野はエンジニアとしての腕は悪くなかったらしいが、その業績には華がなかった。話した限りでは、元上司は『派手さはないが早くて丁寧』なその仕事を評価していたようだ。しかし問題は、当の本人がそれに価値を見出せていなかったということだろう。


 調書によれば『このままでは名の売れた開発者の駒として働くばかりで、自分ではなにも成せないまま終わってしまうと焦燥感を感じていた』彼は会社を辞め、孤独の中で『価値あるものを生み出せなければこの存在には意味がない』と強迫観念を募らせ、『自分と同じように無力感にさいなまれる人に、新たな可能性を感じてもらえるよう』ダークウェブに危険性があるアプリをあげるという凶行に至ったらしい。


「……萩野君は、これからどうなるんですか?」


 心配そうに、ぽつりと森宮が言った。


「判決がどう出るのかは、我々にもまだわかりません。そもそも被害者側も、ドラッグなどと同じで違法だと承知の上で手を出しているわけですからね……ただ、ウルフムーンは英雄ゲートとは違って、人を害することを目的に作られたわけではありません。そして幸いなことに、死者は出ませんでした。一応、そのぶんは加味されると思います。損害賠償責任はあるでしょうけど、一生刑務所から出られないというような事態にはならないかと」


 ルカが慰めるようにそう言い、小さく頷いた森宮はふと顔を上げた。


「そういえばあの英雄ゲートというアプリ……開発部の人たちと話してたんですけど、あれはまずいですよね。カフカみたいにアンインストールして終わりには、ならないんですよね?」

「ええ、残念ながら。ご存じでしょうけど、侵食を受けている最中に器物破損どころか死者が何人も出てしまっていますし、身体に負荷がかかりすぎて使用者本人が死亡した例もあります。ウルフムーン以上に評決が難しくなるでしょうね。カフカのようであれば、我々ももう少し気が楽だったんですが」


 世に生体干渉アプリの存在が広く認知されるようになったきっかけは、三年ほど前にダークウェブ上に現れたとある愉快犯的なアプリだった。


 通称、カフカ。正式名称をメモリーズ・オブ・ザムザというそのアプリは、様々な生物を体感して新たな視点を獲得するという触れ込みだった。そのコンセプトゆえに、不条理文学として有名な『変身』の主人公、グレーゴル・ザムザの名を拝借したものと思われる。


 機能面については画期的で素晴らしいつくりだったらしいのだが、そのアプリには一つだけ問題があった。それも絶対的な問題だ。なんと体験対象を選択したが最後、自力で元に戻れなくなる。今は人間ではないので、そういう処理はできないでしょう?というブラックジョークかなにからしい。


 そんなわけで、四つ這いのままになってしまったり、ナマケモノの速度でしか動けなくなってしまったり、たわむれにゴキブリを体験したばかりに例のカサカサした動きで派出所に駆け込む羽目になった人などが続出した。


 ただ、製作者は使用者を本気で害するつもりはなかったようで、衝突などの危険は自動で回避するようになっていたし、認識も発声も奪っていなかった。本人はおかしいと把握できて、助けを求められる。外部介入でアンインストール処理をすれば、後遺症もまったく残らない。使用者たちを一時保護したACBや警察署が、悪夢の虫籠か動物園のような有様になってはいたが、迷惑千万ではあっても後から笑い話にできる類のものだ。


 しかし英雄ゲートは話が違った。製作者の意図により、使用者には破滅以外の道が残されていない。侵食中に行われた殺人を、一体どう扱うのか。精神的にも肉体的にも追い詰められている使用者たちにどう対応するのか。昨今の裁判官や医師たちはさぞ頭を痛めていることだろう。


 その後、ひとつふたつ質問をしてから、悠仁とルカは引き上げることにした。エレベーターが来るのを待っていると、森宮がふいに口を開く。


「あの、今思い出したんですけど……もしかしたら萩野君は、なにか目標にしているものがあったのかもしれません」

「目標?」


 悠仁が聞き返すと、彼は自信なさげではあったが頷いた。


「彼が辞める前の飲み会の時に、『いずれ肩を並べたい、いや、越えたいものがあるんだ』って言ってたんです。ただ、萩野君あの時かなり酔ってて、話が色々飛んで不明瞭だったので……越えたいそれがなんなのかとか、あのアプリに関係があるのかとかは、ちょっとよくわからないんですが」

「なるほど」


 ルカが「ご協力ありがとうございました。もしも後でもっと何か思い出したことがあれば、こちらにご連絡を」と電子名刺を渡し終えたところで、ピンポン、と折よくエレベーターが到着する。悠仁たちは再び箱の中へと乗り込み、森宮に見送られて三十三階を後にした。

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