一章 ちぐはぐバディ①

 ピピピピッ、ピピピピッ


 もう少しで日本橋、というところで着信通知が鳴った。悠仁ゆうじんはウインカーを出しながら、横目で発信者を確認する。投影された通知画面には〝百瀬ももせ巧真たくま〟の文字があった。彼は上司であり、悠仁が所属する二課の長でもある。


 今日の空は雲もほとんどなくすっきりと晴れていた。まだ冬の終わりの肌寒さは残っていたが、真冬の頃と比べれば随分と気温は緩んでいる。バイクを走らせるには悪くない日だ、などと思いながら悠仁は前の車に続いて左折し、それから回線をつないだ。


「はい、嘉口かぐちです」


 以前、聞き込みの最中に老人から聞かされたところによると、昔はこの辺りにはずらりと橋脚が立ち並び、旧首都高がでんと空を横切っていたらしい。けれど日本橋から江戸川橋の区間が地下に移築され、地上部が解体されて二十年以上経った今となっては、元がどんな姿であったのかいまいち想像がつかなかった。悠仁がこの東京にやってきた時には、すでにこの辺りの首都高は地面の中だったのだ。


『お疲れ様。守備はどうだい? 森尾さん、ごねたんじゃない?』

「大丈夫です。なんとか約束は取り付けました。百瀬課長に連絡を入れると言っていたので、後はよろしくお願いします」

『さすがは嘉口君だ。この後は確か、ウルフムーンの件だね?』

「ええ、萩野はぎのの勤めていたスリーバーズ・テクノロジーに向かっています。今、日本橋の辺りです」


 英雄ゲート、バタフライ、ウルフムーン。最近特に被害者数を伸ばしている、ダークウェブ発の生体干渉アプリ御三家だ。悠仁たちの仕事を盛大に増やしている、憎きかたきでもある。


 今の世ではいくつかの特例を除き、アプリケーションプログラムによる健康な生体への肉体的及び精神的な直接干渉———ある種の、あるいは———を施すのは基本的に違法だ。しかしここ数年、ダークウェブ上での生体干渉アプリの購入は増える一方で、違法ダウンロードになるとわかっていても手を出す者が後を立たなかった。


 それらのアプリの大半は当然のように善意からつくられたものではなく、大抵はなにかしらの厄介ごとを引き起こす。そういったものたちを含む先端テクノロジー絡みの犯罪に対応するのが、悠仁たち先端技術犯罪対策局Advanced technology Crime Bureauの捜査官である。


『気をつけて行くんだよ。……ああ、それとルカ君に伝えてくれるかい。戻ってきたら技術課に顔を出してほしいと。坂本君が英雄ゲートの強制停止のことで相談があるそうだ』

「朝倉はここにはいません」


 悠仁が淡々と告げると、なんとも物言いたげな間があった。


『……またかい? あのね、嘉口君。組んでいる以上、そういう勝手な行動は……』

「前提が間違っています。そもそもあいつは、俺が組むべき相手じゃなかった。人間の振りをするアンドロイドなんか、信用できません」

『嘉口君、何度も説明しただろう。君がずっとそんな調子だから、私や局長がルカ君に人として振る舞ってほしいと頼んだんだ。彼に非はない。それに、これは仕事だ。もうそろそろ譲る心も必要だと思わないかい? 今すぐ迎えに戻って、彼と一緒に行くんだ』

「嫌です。俺はあいつとは組まない。絶対に」


 悠仁がそう語気荒く言った瞬間、ふいに影が落ちてきて、ずしっとバイクが重くなる。


「大丈夫ですよ、百瀬課長。朝倉ルカ、ただいま合流しました」


 悠仁のすぐ後ろで、笑いを含んだ声がそう告げる。先日の英雄ゲートの騒動で正体が露見した彼は、どうやら全力で開き直ることに決めたらしい。その翌日に局に出てきた時には、黒髪がミルクティー色に、目が柔らかな橙色に変わっていた。少しでも日本人に印象を寄せるために色を変えていたらしいが、元の色に戻したのだという。そして彼はそれまでは隠していたアンドロイドらしい能力を盛大に発揮して、〝AIわたしは役に立ちますよ。遠ざけるなんてもったいないですよ〟という鬱陶しい猛アピールを始めたのだ。


「お前……どっから降ってきてんだ」


 眉根を寄せた悠仁のバイクの隣を、運送会社の大型トラックが通り過ぎていく。どうやらその屋根の上から飛び降りてきたらしい。


『苦労をかけるね』

「大丈夫ですよ、ご心配なく。なにせこの一週間で、すでに五回も置いてきぼりを食らっていますからね。嘘の行き先を教えられたり、聞き込み先で合流しようとしたら『俺にバディはいません』発言で追い返されそうになったり、仕方なく尾行すれば不審者だと勘違いされたり、バイクに乗せてくれないから道路を並走したらパトカーが来ちゃったり……通信を入れても出てさえくれないのも、さすがにもう慣れましたよ」

『本当に本当にすまないね、ルカ君』

「……道路交通法違反で逮捕するぞ、お前」


 忌々しげに悠仁が言うと、ルカが軽く笑う気配がした。


「緊急時の接収のようなものですよ。元はと言えば、悠仁さんが相棒を置いていくからいけないんです。原因であるご自分を逮捕するべきでは?」

「だから俺とお前は相棒じゃないって言ってるだろう! 他の奴と組め」

「空いてる人がいないんですよ。局内でバディを組まないなんて駄々こねてるの、あなたくらいなんですから」

「……バディを組むのは別にいい。だがAIはお断りだ。死んでも組まん」

「普通の人では特務捜査官の相棒に役不足だから、私が来たんですよ?」


 悠仁は内心ため息をついた。ここ一週間こんな感じでずっと拒否し続けているのに、この呑気のんきでやけに口が回るアンドロイドは、のらりくらりとげんを左右にして一向に諦めない。そしてその能力を無駄に発揮し、置いて行っても置いて行っても気づくと横にいるのだ。もはやある種のホラーじゃないかと思う。


「そう邪険にしないでくださいよ。自分で言うのもなんですけど、私はただのAIじゃありません。それはもう特別な、相棒にできれば世界中がうらやんじゃうような、最高の感情付属人工知能Emotional−AIなんですよ? 私と組めば、素晴らしい手柄の山はすべてあなたのものです。これを逃すなんてもったいないにも程がありますよ、悠仁さん」


 耳元で囁かれた言葉にうるさそうに頭を振って、悠仁はうめいた。


「手柄なんざいらん。あと、俺のことは苗字で呼べと言ってるだろうが。馴れ馴れしいぞ、AI」

「仮にも相棒ですから、名前で呼びたいと思います。こちらも再三言っていますが、朝倉は便宜上名乗った苗字に過ぎませんから、どうぞルカと呼んでください。呼び慣れないならちょっと練習してみましょうか。L、U、K、A、ルカです。さんはい!」


 暖簾のれんに腕押しとはまさにこのことだろう。


「……もう黙ってろ、朝倉。道路に放り出されて、またパトカーに追いかけられたくないならな」


 小さくため息をついた悠仁は怒りをぶつけるようにエンジンをふかし、ちぐはぐな二人を乗せたバイクは速度を上げて目的地へと向かっていった。

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