第32話 勉強

「じゃあこれが参考書なんだけど…ボロボロでごめんね?家にこれしかなくてさ…」


「う、うん!全然大丈夫だよ?」


 俺はそう言いながら茜さんに参考書を手渡す。パラパラと茜さんがページをめくって見ている。この参考書は中学生のものだから大丈夫だと思うけど…心なしか茜さんの顔が青ざめている気がする。


「…今はわからないかもしれないけどさ!俺がちゃんと説明するから大丈夫だよ」


 参考書を見て顔を青ざめさせている茜さんを見ながら俺は座布団に座り、勉強道具を準備する。

 先ほどは取り乱しかけたが、俺は今日ここに勉強を教えに来ている立場だという事を思い出して冷静さを取り戻した。


 …しかしそれはそうと俺の目の前に私服姿の美少女がいることには変わりない為、俺の心臓はドキドキしたままだが。


 俺が座布団に座った後、ボロボロの参考書を装備したゾンビのような雰囲気を纏った茜さんも机を挟んで座布団に座る。


「じゃあまず分からないところから聞いて行こうかな」


「えっとね…中学範囲からほとんど分からないかも…」


「な、なるほど…じゃあ一からやって行こうか?」


 そういって俺たちはペンを取り、ルーズリーフに文字を書きながら勉強を始めた。



「えっと……なんで主人公君はここで女の子に嘘をついたんだろ…?」


「あぁ…その問題ね、そこは主人公の気持ちを考えるとわかりやすいと思うよ」


「主人公君の気持ち…?」


「そうそう、なんでその時主人公はヒロインの子に嘘をついたのか。それを考えたらわかるかな」


 数時間後、今俺たちは他の簡単な復習は済ませ、茜さんが最も苦手な物語文に入る前に俺の持っている小説で勉強しているところだった。


 内容は年の差のある男女二人がメインのラブコメで、年下のヒロインに主人公が追われるものの主人公は年の差とヒロインの子の幸せの為に嘘をつき、ヒロインを自分から離そうとしているシーンだ。

 そこで俺が自分なりに問題を作り、茜さんに解いて貰っているという訳だ。


「うーんと……分からないなぁ…」


「難しかったかな、正解はヒロインの幸せを願って身を引く為に嘘をついたが正解だね」


「ヒロインの幸せを願って身を引く為に嘘をついた……?なんでそんな事をしたの?…女の子は好きな人にそんな事されても悲しいだけだよ?」


「そうそこだよ。茜さんは女の子の方の心情はしっかり理解出来てるけど、男の子の方の気持ちが分かってないんだよ」


 そういって俺はボロボロの参考書を立ち上がって持ち、茜さんに説明する。


「例えばこの参考書を女の子、俺が主人公だとしよう。参考書は俺に勉強のために使われることがとても嬉しくて、自分からずっと勉強して欲しいと思ってる。でも主人公の俺は参考書がボロボロになるのが可哀想だし、ボロボロにならない方が参考書の為だと思って勉強をやめようと思ってるって感じかな」


 俺がそういうと茜さんは何かを掴めたのか、俺に真剣な顔で言ってくる。


「つまり女の子と主人公君の考えのすれ違いでお互いの考えが伝わってなかったから、主人公君は女の子側の気持ちが分かっていなかったから嘘をついて女の子を自分から離そうとしたって事?」


「そう!その通り!物語文で大事なのは、登場人物の心情を一人一人読み取って考える事。これが出来れば後は文章の中に答えが書いてあるのが物語なんだよ」


「なるほど…!そう言われたらウチでもわかる気がして来たよ!辻凪君は教えるのが上手いんだね!」


「い、いや…そんな事は……」


 茜さんが興奮したように立ち上がって俺の近くに近づいて来るものだから、ふわっと意識しないようにしていた女の子特有の華のようないい香りが俺の鼻腔に入って来る。茜さんの顔は先程のゾンビの様な顔色ではなく、生き生きとしている。


 それはそうと本当に俺に対して茜さんは無防備だ…なんでこんなに信用されている距離感なのか…男として意識されてないからだろうけどな…ハハ


「…でも本当に辻凪君は相変わらず凄いんだね」


「…え?なんで?」


「だってその参考書。外も年季が凄いけど、全部のページにメモ書きとか赤線とかチェックマークがびっしり書いてあるでしょ?そんなにボロボロになるくらい……。…ウチもよくお兄ちゃんと勉強してた時には教科書に書き込む事はあったけど、辻凪君のそれって本当に何回も何回も辻凪君が解きなおしたんだよね?」


「ま、まぁ…これだけじゃ無いけど…」


「うん…そうだって知ってるよ。辻凪君は出来ない事を出来ることにしようとちゃんと努力する人だもんね。お料理の事もそうでしょ?それって誰にでも出来ることじゃないし…本当に凄い事なんだよ?」


「そ、そうなのかな…?」


 茜さんは俺の参考書を見ながら俺にそう言って来る。…やっぱり今までコツが掴めていなかっただけで茜さんは国語は出来るんじゃないか?


 じゃなかったらこの短い付き合いで俺の性格を当てられるとは思えなかった。


「(…だからそんな真っ直ぐに努力が出来る…そんな辻凪君がウチは好きなんだ…)」


 茜さんが小声で何かを言っているが、あいにく俺の耳には届かなかった。


「ごめん茜さん?何か言った?」


「ふぇっ!?う、ううん!何でもないよ!……あっ!?」


「あぶなっ…!!!」


 俺の言葉に何故か動揺した茜さんがバランスを崩し、倒れそうになる。


 ドシーンッ!


 間一髪で倒れる前に茜さんを抱きかかえ、俺が背中から落ちる様に落下出来た。


「イタタタタ…大丈夫茜さ……!?」


「う、うん…ありがとう辻凪く…ひゃっ!」


 俺が目を開けると目の前には人形かと思わせるほど整っていて、耳まで真っ赤にしているとても可愛い茜さんの顔が少し動けばキスができそうな距離にあった。

 その落下の拍子に茜さんの部屋にある棚の上から何かがひらひらと落ち、同時に部屋のドアが開かれ、瞳さんが顔を覗かせる。


「茜〜?おっきな音がしたけど何かあっ………やるじゃない茜!もうそこまで行ったのね!?お母さん邪魔しちゃったかしら!?今晩はお赤飯にするわね!」


「ち、違うから!事故だから!!待ってお母さん!!!」


 俺と茜さんを見た瞳さんは俺に怒るのではなく、むしろ何故かとても嬉しそうにして部屋を出て行った。そんな瞳さんを猛スピードで追いかけて行った茜さんを見送ってから俺はゆっくりと身体を起こす。


「び、びっくりした……あんなに近くに茜さんの顔が…」


 俺はバクバクと鳴る心臓を抑え、視線を彷徨わせる。するとそんな俺の目に先ほど落ちた何かが目に入る。


「…?なんだアレ?青いハンカチ…?なんかどこかで見たことある様な…?」


 俺の視線の先にある女性のものではなさそうな青いハンカチに、何故だか俺は懐かしさを感じた。

 しかしそんな懐かしさも、顔を真っ赤にして戻って来た茜さんとの勉強再開でするっと頭から抜け落ちていった。

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