秋雨学園の怪談
にしわき
第1話 噂
「そういえば、この学校で自殺した人がいるんだって」
今日の夕飯について想い馳せていると、中学時代からの腐れ縁である東峰秋希が突然物騒な話題をもってきた。深青色にも似た、前髪を揃えた長髪。くっきりと移る瞳に凛々しい鼻と顔。そんな相手が口にした言葉は、日常にはとても不釣り合いなものだ。
「いきなり何だよ、自殺って」
「さっき隣のクラスの関口さんから聞いてね。何かすごく気になっちゃって」
気になるワードなのは確かだが、それをついさっきまで昨日のテレビがどうたらとか、学校での出来事だとかを話している最中にするだろうか。いや、俺なら絶対しない。周りがせっかく楽しく話をしている最中に、空気を読まずそんな話をしていれば大勢が自分から離れていくだろう。でも俺と秋希は、そんな希薄な関係ではない。こいつもきっと、俺との関係を把握しているからこそ切り出したんだろう。
「どんな?」
ひとまず興味を出して尋ねると、秋希は首をかしげて唸り始める。どういう話だったのかを思い出しているんだろう。全く、話す前にちゃんと頭の中で整理しとけってんだ。だがこいつは頭が悪い訳じゃない。勉強も運動も上位どころか、学園内でもトップにいるほどだ。それに仲のいい相手も多く、基本的に毎日忙しそうにしている。二人で話せるのは、大抵学校に来た時とか、これから帰るって時ぐらいだ。それは純粋に、俺への優先順位が低いだけだ。
元々俺たちは中学も同じだったし、お互いの事はよく知っている。っても、中学当時から仲が良かった訳じゃない。むしろ最悪だったというべきだろう。
最初に会ったのは中学に入ってからではなくて、二年の中頃あたりだ。それまでは俺も東峰秋希という生徒の存在こそ知っていても、学校のマドンナ的存在だと小耳にはさんでいたくらいだ。顔を知っていても、話したことはなかった。
で、どうやって知り合ったのかというと、なれそめは生徒会選挙が開始された時だ。俺は生徒会長の権力とやらに気を引かれて、興味本位で立候補した。で、秋希も立候補してきた。最初はお互い立候補者同士ってだけで、ちょっと顔を合わせるくらいだった。選挙期間一週間あたりで、立候補者のうち俺と秋希だけの一騎打ちみたいなものになっていた。俺も部活や知り合いの先輩からいろいろ手回しをしてもらいつつ、支持を集めていった。向こうも人脈では負けていなくて、その選挙はほぼ学校全体を巻き込んだものになりつつあった。
そうしているうちに、俺の中でこの女に負けたくないという思いが強くなっていた。それでどんな方法を使ったのかというと、周りに秋希のあることない事を吹聴して回ったのだった。向こうもいわれのない話を嫌がり、俺の下へ直談判しに来た。当然俺は真っ当に対応せず、一層噂話を吹聴して回っていった。
すると向こうも、全く同じことを始めたのだった。ほとんどはいわれのない嘘だったが、誰かが寝返ったのだろう、中には真実も含まれていた。当時はまだガキンチョだった俺は、自分がやられた時にはキレて直接秋希に罵声を浴びせたりもした。
それからというものの、俺たちは顔を合わせる度に言い合いをしたり、ひどい時には殴り合ったりもした。中でも惨劇と言えるほどの出来事もある。その時は秋希は俺の前歯をへし折り、俺も頭突きで秋希の鼻をへし折ったのだった。それでお互い病院送りになったのもあり、しばらくは接近禁止令みたいなのが発令されたのだった。
結果的に選挙は俺が負けたが、以降も一度顔を合わせたりしたら何かしら言い合いをしていたな。それも中学卒業が近づくにつれてめっきり減っていたが。何せそれどころではなくて、こちとら受験勉強なりで死ぬほど忙しかったというのもある。日付が変わるまで机に向かうのが日常だった頃だ。神経もすり減らしていって、何とか受験には成功したが。
やがて高校に上がり、俺は秋希と同じ学校に入学していたと知る。それを知ったのは入学式後だった。しかも運がいいのか悪いのか、俺たちは同じクラスになったのだった。秋希と顔を合わせた時、俺は滅茶苦茶ビビってたのを覚えてる。またこいつが何かしてくるんじゃないかと。しかし意外にも、秋希はぎこちない笑みを浮かべて手を振って来たのだった。聞けば向こうも、受験でいろいろ忙しかったという。その間に俺への恨みつらみも完全に失せたのだとか。それは俺も同じだった。
こうして中学時代にいがみあっていた二人は、高校になって仲のいい友人となった。お互いの本心もよく知っていたからだろう、俺たちが今の関係になるのに、一か月もかからなかった。交友が増えた今でも、それは変わらない。
「そうそう。その自殺した生徒がね、夜な夜な校舎を徘徊してるんだってぇ」
きゃー怖い、とわざとらしく身をよじる。つい昔の思い出に浸っていたが、自殺した生徒の話をしてたんだったな。随分長い間待たせていたが、それだけなのかよ。
「どんな話と思ったら、幽霊かよ。くっだんねー」
ふと隣から声が聞こえてきた。振り返ると、ヤンキーっぽい男子が立っていた。
「あ、坂橋くん。てか何? 下らないって」
秋希は不満そうに口をとがらせる。
「だから幽霊だよ。そんな学校のコワい噂とか、小学生かっての」
坂橋は呆れたように嘲笑する。金色に染めた髪に耳たぶのピアス。着崩した制服から一見ヤンキーっぽく見えるだろう。でも実際はケンカとかしたことはないし、いたって普通の男子生徒だったりする。まあいわゆる、高校デビューってヤツだ。
「そもそもお前話聞いてたのか」
「何か面白そうな話してんのかなーって。トオルもガキくせーって思うよな? 幽霊なんか嘘に決まってんだろ」
「まあ、なんとも言えねぇよ。俺も昔は学校の怪談とか真に受けちまってたしな」
小学生の頃はあまり娯楽らしい娯楽が家になくて、せいぜいの楽しみと言えば夕飯時のテレビくらいだ。それで時々やってた怪談話だとか呪の写真だとかを真に受けて、怖くて夜中トイレ行くときに親を起こしてたな。
「ったって小学校ン時だろ? それともトオル、お前も信じてんのか?」
「だから、なんとも言えねえって。信じてないとも言い切れないし、全く信じてない訳じゃない」
「んだよそれ、ずりぃな」
「要は一般ピーポーな考えだっての」
「私もそんな感じかなー。そこまで迷信深いってほどじゃないし」
の割には随分と自信ありげに話してた秋希である。でなきゃ唐突に自殺だなんてワードは出てこないだろ。
「なら何で幽霊がどーたらって言ってたんだよ」
「だって、隣のクラスの関口さんが言ってて、気になったから」
「関口はただのゴシップ好きだろ。アイツ毎日芸能人のゴシップ握ってるとか言いふらしてるし」
坂橋の言う通り、その関口ってのは単純に噂話の類が好きなだけだろう。将来、パパラッチをやってると聞いても別に驚いたりしない。
「じゃあこの学校で自殺した生徒の話は?」
「それもどっかで聞いただけじゃねーの?」
そういや、秋希は噂の出どころ自体は聞いてないのか。
「んで、関口はどっからそんな噂を聞いて来たんだ」
「それは分かんないけど」
「あーっそ。結局下らねー噂話かよ」坂橋は不満げに空いている机を爪先で突く。「そんな話より、この後みんなでどっかいこーぜ」
「皆? 杏子と行きゃいいだろ」
「あいつなんか知らねーよ。どーせ今日も――」
言いかけて、坂橋はふと廊下側を見つめる。丁度その時、何人かの女子生徒がうちの教室前を通りがかる。うち一人が、坂橋と目を合わせる。それが件の杏子だ。
全員、いわゆるギャルっぽい見た目だ。髪を染めたり、肌を焼いたり。杏子もその一人だ。坂橋よりも明るめの金髪に、遠めでも分かるほどの厚化粧。首元や腕にじゃらじゃらとアクセサリーを身につけていて、制服のスカートもギリギリを責めていた。
「どったの、アン」
うち一人が、歩みを止めてこちらを眺めていた杏子に声をかける。
「何でもない、いこっ」
坂橋を無視するように、杏子は振り返り友人たちと再び歩いていく。俺の背中で、坂橋が悪態をつき机を蹴るのがわかった。
「まだ仲直りしてないんだね」
秋希は心配そうに尋ねた。
「アイツがわりーんだよ。おれは何も悪くねぇ」
どうかな、と俺は心の中で呟く。坂橋と杏子は付き合っているのだが、数週間前にケンカをして、以来まともに口をきいていないという。原因はいつくかある。
一つは杏子の浮気疑惑だ。前に杏子は、友人に誘われて遊びに出かけたという。その中には何人か男もいて、うち一人が杏子に惚れたらしい。付き合うまでは行かなくても、彼女はそこまで否定的な断り方をしなかったのだそうだ。それが坂橋の機嫌を損ねたようで、その翌日廊下全体に響きわたるほど口喧嘩をしていた。
かといって坂橋にも問題がない訳ではない。何でもよくデートの約束をフイにしたり、一時間以上もの遅刻をしたりするという。その上でデートにかかる費用を、杏子に全額負担させるなんて事もやっていた。一応、坂橋が奢る場合もあるが、結果的に杏子が払う時の方が多いらしい。俺もその辺は詳しく知らない。
こうしてそれぞれの問題が最悪なタイミングでぶつかり合い、仲たがいをしてしまった。
「まあ、アイツの事はもういい。どーせその内別れようとか言ってくるだろーし」
それを聞いて、秋希は言葉を失う。俺としても、あまり褒められた態度じゃないな。だからと素直になった方がいいとアドバイスしても、そんなのは向こうも知ってるだろう。そうして自分から別れを切り出せないでいる訳だ。高校生の恋愛ってのも、案外シビアな所あるしな。
「それより、この後どうする? 気晴らしにカラオケでも行こーぜ」
「えー……?」
困惑する秋希。それ以前に、坂橋は重要な事を忘れているな。
「別にいいけどよ、お前試験はどうなんだ?」
「あ、やべっ」
やっぱりコイツ、もうすぐ試験だってのを忘れてやがるな。さっきのホームルームでも散々言われてたのに。
「俺と秋希はどーせ合格だからいいけど、お前次赤点だと留年じゃなかったっけか?」
「あ、あと一回はチャンスあるから」
「別に勝手に留年してもいいぜ。そん時は嫌という程パシってやるから」
「ざけんなって。自分で買いに行けや」
「なら遊んでねぇで、家帰って勉強しとけ」
「ったく、クソ試験が」
頭を抱える坂橋。うちの学校は結構な進学校なのだが、こんな奴でも入学できる制度がある。スポーツ特待生だ。この男はそんな大層な制度で入学を決めたにもかかわらず、先輩が気に食わないという理由で退部したのだった。言うて、俺もその先輩は全く好きじゃない。何て言うか、後輩の前では偉そうにして、先輩や先生らの前では行儀よくするところとか。要はセコい人だ。
「坂橋くん、次は赤点取れないし。それに私も、今日はちょっとね」
「ん? めずらしーじゃん東峰」
「あー、うん。ちょっと家の用事で」
「へー。そーいう事もあんだな」
「テストが終わったらまた一緒に遊ぼうね?」
「しょーがねぇ。今日は大人しくお勉強してますよーだ」
坂橋は乗り気じゃないながらも、自分の席にあったカバンを持つ。俺たちのまえに来ると挨拶をして、先に帰っていった。
「トオルはこの後委員会だっけ?」
「ああ。そっちは手伝いだろ」
「あはは。もうほぼ生徒会役員だよね」
手伝いというのは、生徒会関連の仕事だ。いっそ秋希が生徒会長になればという話は何度も繰り広げられたが、かくいう本人がその気じゃないってのが大きい。一応確認しておいたが、中学時代のトラウマみたいなのがある訳じゃない。俺にも打診は来ていたが、こいつとのいざこざでもうこりごりって感じだ。
代わりに別のツテというか、ある先輩から委員会を任されてしまった。一年の頃にその人の世話になったのもあり、断わるわけにもいかなかった。まあ嫌な仕事じゃないし、部活をやってない今、家に帰っても暇だから悪い気はしない。
「んじゃあちょっくら行ってくる」
「私もそろそろ行かないと」
「そうだ、ちょっといいか」お互い立ち上がった時、俺は言いそびれた話を切り出す。「多分終わる時間同じだろ? 一緒に帰ろうぜ」
「話聞いてなかったの? 私用事あるんだって」
「別に帰る位いいだろ。どうせ方向同じなんだし」
地元が同じなので、帰り道もほぼ一緒なんだよな。なのでよくこうして一緒に帰ることは多い。秋希はあまり乗り気ではなかったが、やがて諦めたように首を縦に振る。
「分かった。でも寄るとこあるからそこまでね」
「どこに寄るんだ」
「買い物だよ。今日の晩御飯とか、明日のお弁当もつくらないといけないから」
「だったら尚更一緒の方がいいだろ。荷物持ちぐらいしてやるよ」
「んー、そうだね。じゃあお願いできる?」
「ああ」
「そっか。じゃあまた後でね」
秋希は軽く手を振って、教室を出て行く。何故あいつと一緒に帰りたかったのかは、聞きたいことがあったからだ。内容は、二人きりの時じゃないと話せないだろう。もし皆に言えるのなら、とっくに言いふらしているだろうし。お互いの事をよく知っていても、まだ全部というわけではない。それが何だがぎこちなくて仕方がなかった。
とりあえず約束は取り付けられたし、今は委員会に行くか。俺は鞄を持って、早速向かう。
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