不完全令嬢の開幕劇(2/2)

「失礼します」


 心から思ってもいないような言葉を口にして、私は体育館の中にある演劇部のドアを開ける。


 学校の先生だとか色々と偉い人が話すステージの真横に演劇部室は存在する訳なのだが、その演劇部室を堂々と陣取っている銀髪の女が我が家でくつろぐように席に座っていたのであった。


「ふふっ。待ち侘びましたわ。お帰りなさい雪鶴さん、私たちの愛の巣へ」


「何ですか、この世の終わりのような部屋は」


 辺り一面には目の前の女が主演を務めた演劇の予告ポスターが壁を隠す勢いで貼られていた。


 見渡す限りの京歌・エークルンドに京歌・エークルンド、そして京歌・エークルンド。


 左を向いても右を向いても京歌・エークルンドという京歌・エークルンド地獄が広がっているのであった。


 隙間という隙間がこの女のポスターの所為で存在していない。

 正直、見ているだけで正気度がごりごりと削られていく気持ちになる。


「何ってご冗談がお上手ですわね、雪鶴さん。ここは私たちの演劇部室ですわよ?」


「お姉様の部屋ではないんですよ」


「えぇ、もちろん分かっておりますわ。ここは貴女と私の愛の巣にてございますわ」


「気色悪いんでそういうの止めてくれません?」


 気持ち悪い台詞を口にする彼女をいなしながら、私はどこから調達したのかも分からない京歌・エークルンドのポスターを剝がし、そのポスターの裏に隠されていた壁の穴……経年劣化によって生じた壁のヒビをこじ開けて作り出した空洞に隠しておいたコーヒーケトルと瓶詰にしたコーヒーの粉を取り出して、私はコーヒーを淹れる準備を調える。


「あら、コーヒーを淹れるのですか? 雪鶴さんは確かコーヒーが苦手でしたわよね。ですが私は大のコーヒー好きでしてよ! ほら、ご覧なさいませ? この雑誌のインタビューにもコーヒーが大好きって答えておりますもの! 特に好きなのがブラック・アイボリー!」


「ゾウの糞ですか。なるほど、クソみたいに人の話を聞かないお姉様にピッタリな飲み物ですね。なるほど、そんなモノを愛飲しているから耳にクソが詰まっている訳ですか。クソみたいに哀れですね」


 水道水で軽くケトルを洗ってからコンセントを差し、水道水をケトルに入れて沸騰させる。


 コーヒーフィルターの雑味を熱湯で飛ばしてからコーヒーの粉を入れ、学校に隠して持ってきたお気に入りの陶器に熱湯を注いで簡単に冷めないように吸熱させ、ひらがなの『の』の字を書くようにお湯を注ぐ。


「まぁ、素敵で本格的な陶器ですわね。でも、おかしいですわね。1人分しかありませんこと? 私の分はありませんの? ね? 雪鶴? 私の分は? ありませんの?」


 クソ女の言葉を無視し、時間をかけてコーヒーを作るのは心身ともに良いリラックスを提供してくれる。


 注ぎ終えたコーヒーの匂いを楽しみながら、後片付けをして、ようやく私はコーヒーを味わいながら、一息つく。


「ふぅ……」


「あら、ため息なんてついてどうなさったのですか。どうにも疲れが溜まっている様に見えますわ」


「話しかけないでください。お姉様のクソ汚い飛沫がコーヒーに入ったらどうしてくれるんですか」


「私が飲みますわよ?」


「そうですか。では後で下水道に捨てますので溝に口でもつけて飲んでください」


「雪鶴さん、どうしたのですか……? いつもと比べて、ツッコミにキレがないように感じられますわよ……?」


「そうなんですよ。分かるのなら話しかけないでください。それと名前で呼ばないでください。コーヒーを飲んでいるときぐらい私に吐き気を催させないでください」


「あら、それは可哀想に……。そうですわ! 実は私、こう見えてもマッサージが得意ですのよ!」


「いりません。触らないでください。喋らないでください。永遠に動かないでください。死んでください」


「うふふ! 雪鶴さんったら、面白れー女、というヤツですわね!」


「そうですか。そういうお姉様は気色悪い女ですね」


 折角こうしてコーヒーを楽しんでいるというのに、どうしてこの女は水を差してくるのか。


 私はただ、昼休みの時ぐらいは校則を破ってまで秘密裏に持ち込んだコーヒーを楽しみたいだけだというのに。


 しかし、京歌・エークルンドはそんな私の気持ちに気づかないのか……いや、見ないふりをして私にまた声をかけてくる。


「まぁまぁ、そう言わずに……! さぁさぁ……!」


 そう言うと、彼女はいきなり立ったかと思うとコーヒーを飲んでいる私を体育の時間に使うマットの上に押し倒した。


 華奢な身体をしているくせに、演劇をしていて鍛えられている所為か筋肉が無駄に発達しており、私はこれといった抵抗も出来ずに彼女に押し倒された。


 傍から見れば、私が下で、彼女が上になるような体勢にされてしまったのである。


「ちょ、ちょっと……! 押し倒さないで……!」


 私がそう言い終えるのと同時にかちゃりと、小気味いい金属音が演劇部室内に響き渡った。


「……あの。なぜ、このタイミングで手錠を?」


 辛うじて動く眼球で自分の状況を確かめてみると、彼女は演劇で使う小道具の手錠で私の両腕を封じ込めてみせたのであった。


 今の私は1の字を全身で表してみたような体勢で、試しに両腕を動かしてみるが全くと言ってよいほど動かせない。


 この手錠が100円ショップで売っているような簡単な作りのグッズとはいえ、この体勢で壊せるような欠陥品ではなかった。


「出来そうだったので、つい。うふふ」


「うふふ。じゃねぇですよ!?」


「まぁまぁ、そんなに大声を出されたら他の人にもバレてしまいますわよ?」


「マッサージですよね!? ねぇ、マッサージですよね!?」


「えぇ、とっても気持ちよくなるだけの、普通のマッサージですわよ……?」


 そう言って、彼女自身の本性を表したようなギラギラと輝く瞳を浮かべながら、私の制服に手を伸ばし、1枚ずつ脱がせようと――。
















――ッッッ!!!」



















 とても危ない状態だったので、私も隠していた本性を……いや、

 

「うへへ……! お姉様だぁ……! 本物のお姉様だぁ……! 雪鶴は、雪鶴はお姉様に会いとうございましたぁ……!」


 私があるべき立ち位置に戻った事を察してくれたのであろう彼女もまた、京歌・エークルンドという役を一旦放棄した状態で現れた訳なのですが、それにしても気色悪いことこの上ありません。


 目の前の少女の本当の名前は安国寺雪鶴。

 誰がどう見ても分かる通り、クソ女です。

 ゴミです、クソです、カスです、クズです。

 さっさと死んでくれないでしょうか。


「あぁ、もうッ! 本性を表しましたわねこの狂人! せめて学校にいる間は演技をし続けてくれません!? コーヒーが冷めたらどうしてくれるんですのこのクソ女!」


「入れ替わりがバレる心配なんていりませんよ……! ここに来る物好きなんて居やしませんって……! うふふ、昼休みで誰も来ない鍵付き部室にお姉様と2人っきり! 何も起こらないはずもなく……!」


「私とそっくりな顔と声でそんな気持ち悪いことを仰らないでくださいません!? そんなことよりもコーヒー! コーヒーが冷めてしまいますわ!」


「まぁまぁ、お姉様と入れ替わった試験全部で満点を取ったのですし、そのご褒美だと思ってくださいよ……!」


「私と貴女が入れ替わる条件として私が演劇部に入部したでしょう!? いいから早く私をリラックスさせるコーヒーを静かに飲ませなさい!」


「試験で満点を取ったというオプション代は払っても良いのでは……!? 後、私は紅茶派なんで後で紅茶を淹れてくれません? 実を言うとコーヒーの匂い、生理的に無理なんですよね」


「知らねぇですわよそんなこと⁉ helvete! Det ar Satan!」


「地獄みたいだとか畜生だなんてそんな……! 悦いですねぇ……! お姉様のような美人に罵倒されるの本当最高……ッ!」


「嫌ですわ、気持ち悪いですわ、誰か助けて下さいまし!?」


「――あら。そんな大声を出すだなんてはしたないですよ、雪鶴さん。壁に耳あり障子に目ありとも言いますし、下品な声を出すのは控えるべきでしてよ?」


「……ッ⁉ こんな時に私の役に戻るのは卑怯ではなくて……!?」


「本当に宜しいのですか? 本当に誰かが来ても。今の御自身の立ち場を省みて本当に問題がないようでしたら、お手元のスマホで助けを呼ぶといいですわ。安国寺雪鶴が京歌・エークルンドに襲われている、と」


「うっ……!? そ、それは……」


「私は別に構いませんのよ、雪鶴さん?」


 何も知らない人の目から見れば、京歌・エークルンドが安国寺雪鶴を襲っている状況です。


 だけど、それは見た目だけの話なのです。

 中身は全然違うのです。


 しかし、どうしてそうなってしまったのかだなんていう事情を話してしまうことだけは、本当に避けたい訳でもありまして。


「やっぱりこんな狂人がいる演劇部に入るべきではありませんでしたわ――!」


 今の私の役割は、きっと、突如として本性を現しやがったクソ女がどれだけクソなのかを説明するモブ……詰まる所、脇役なのでしょう。


 なので、私は説明役らしく、彼女と私の間に何が起こったのかを話そうではありませんか。

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