第24話 私は貴方の平穏を守りたい
(え? 本当の事言われたからって、武器を持たない奴隷の娘にいきなり剣を向けるの? 仮にも一国の王子が? これ、悪役のテンプレ行動じゃない?)
確かにマルガリータの言動は、アンバーのみならず、彼を王位継承者にした王家に対する不敬罪と取られてしまっても、おかしくはないかもしれない。
今のマルガリータは奴隷なのだから、確かに切り捨てられても文句は言えないのも事実である。
けれど、剣を向けられた当人のマルガリータが、あまりにも短絡的な思考を心配してしまうほどに、アンバーは直情型過ぎた。
相手によっては、正義感の強さという評価になるのかもしれないけれど、今の状況はそうではない。
ただの怒りに任せた、考えなしに近い。
そしてその行動は、じっと心ない言葉に耐えていたディアンを刺激するには、十分な行いだった。
マルガリータの隣で手を握ってくれていたディアンから、膨大な魔力が噴出される寸前なのを、ビリビリと感じる。
本当は、止めた方がいいのかもしれない。
こんな馬鹿王子でも、今は第一王位継承者だ。
後々、ディアンの身にどんな不利益が降りかかるかは、わからない。
けれどもう既に、マルガリータの言葉だけで止められるような雰囲気ではなくなってしまっていた。
自分に向けられる理不尽な蔑みや敵意には耐えられるくせに、その矛先がマルガリータに向かった途端、ディアンは我慢することを止めたらしい。
そんな心優し過ぎる旦那様を、守られた側の奴隷が、止められるものか。
「アンバー、剣を収めろ」
「何故です? その女は奴隷の分際で、王子である僕に暴言を吐いたのですよ。それだけで、万死に値します」
「彼女を傷付ける事は、俺が許さない。そもそも、何の罪もない彼女を奴隷に堕とした事すら、俺は許していない。もう一度だけ言う、剣を収めろ」
ディアンの魔力が、圧力を掛けるように空気を震わせる。
いくらアンバーが直情型だとしても、勝ち目が無い実力差がわからない程、愚かではないだろう。
「…………く、っ!」
今はインカローズとの恋に盲目になってしまっている様だから、常識で考えるよりも気持ちが先走っているのだろう。
けれど、これだけ巨大な力を前に正しい判断が出来ない様では、本当に人を統べる王たる資格が無くなる。
「アンバー様」
不安そうにアンバーに寄り添ったインカローズの姿を前に、一瞬戸惑う姿勢を見せる。
だが結局、アンバーはマルガリータに向けた剣を、下ろしたりはしなかった。
(恋に盲目、どころの話じゃないでしょ……)
インカローズに良い所を見せなければと思ってしまったのか、はたまたずっとディアンを下に見ていたが故に、その力を正しく推し量れなくなったのかは不明だ。
けれどその判断が、アンバーの命取りになった。
「兄上の命令を、僕が聞く理由がありません」
「そうか、残念だ」
ディアンが大きなため息と共に、何の躊躇いもなく魔力を爆発させるべく、アンバーへと意識を向けたのがわかった。
(あ、これヤバイやつだ……)
魔力や魔法と言った力とは無縁の、マルガリータにもわかる。
今までは、ただの威嚇だった事が明らかな程の殺気が、ディアンからアンバーに真っ直ぐ刺さって行こうとしていた。
アンバーから発せられた、ディアンを貶める言葉の棘の数々は確かに酷いものだったし、剣を突き付けられたらそりゃあ怖い。
奴隷に堕とされたのも、アンバーとインカローズの自己中心的な理由なのは疑いようがないし、マルガリータにこの二人を庇う理由は一切なかった。
けれどマルガリータには、ディアンを庇う理由はある。
奴隷になったマルガリータを、救ってくれた。
きっと、元々使用人達の勘違いではなく当人達の言葉通り、マルガリータを客人として扱うように指示しておいてくれたのだろう事が、今なら信じられる。
そして何より、何故庭師の振りをしたのかはわからないけれど、ディアンはマルガリータが何者でも関係なく、対等に付き合ってくれた唯一の人だった。
(ディアンが、こんな馬鹿王子と自己中ヒロインのせいで、殺人犯になるのは違う)
しかもそれが、ディアン自身の為じゃなく、マルガリータの為に手を汚そうとしてくれているのがわかるのだから、尚更。
今アンバーとインカローズに鉄槌を下すよりも、ディアンに今後平穏に暮らして貰う方が、よっぽど重要だ。
(止めなくちゃ)
膨大な魔力が、今にもディアンの身体から解き放たれ、アンバーに向かっていこうとする直前。
マルガリータは、思い切りディアンを抱きしめた。
「ディアン、殺しては駄目」
突然のマルガリータの行動に驚いたのか、ディアンがビクリと身体を震わせて、集めていた魔力を分散させ、ゆっくりとマルガリータへと視線を落とす。
(……近っ!)
自分から抱きついておいて何だが、ディアンの驚きと戸惑いの混じった表情が、思っていたよりも直近にあった。
先程の馬上での近さよりも更に至近距離で、瞳がぶつかり合う。
「あいつ等は、罪のないマルガリータを侮辱しただけではなく、剣まで向けた。許す必要は、どこにもない」
「そうね。確かに、アンバー様やインカローズ様に思うところはあるわ。でもこうなってしまったのは、付け入られる隙を見せてしまった私にも、落ち度があったの」
真奈美の記憶が戻る前のマルガリータの行動に、ヒロインであるインカローズを傷付けたりいじめたりした事実は無く、何も悪いところはなかったはずだ。
それでも、学園内の大勢の人の前で断罪イベントが行われてしまったという事は、マルガリータに伯爵令嬢として、貴族としての重要なスキルの一つである、根回し力が足りなかった結果でもある。
王族貴族が通う学園は、言わば小さな上流階級国家そのものだ。
故に時として、真実よりも根も葉もない噂が本当になる事もある。
マルガリータは友人のガーネットを助けたい一心で、そんな貴族社会のゆがんだ常識よりも、正義だけを信じてしまった。
だからこそ、正しく貴族というものを理解し、学園内で一番力のある王子のアンバーを手玉に取り、しっかり根回しをした、元平民のヒロインに押し負けたのだ。
真実だけが全てではないと、インカローズは正しく理解していたと言える。
ゲームでは「プレイヤー=ヒロイン」だったから、気にも留めていなかったけれど、デフォルトのヒロインの性格は、なかなかに強かだったと言わざるを得ない。
確かにそうでなければ、元平民から突然男爵令嬢になって、貴族の通う学園に放り込まれた普通の女の子が、いずれこの国の王になる事が約束された王子の婚約者などという地位に、収まる事が出来るはずもなかった。
(悔しいけど、私は負けたのよ。悪役令嬢らしく、ヒロインに。可愛らしく可憐で守ってあげたくなる様な相手とは、大分違ったけれど……)
何の罪も犯していないのに、最下層の奴隷に堕とされた事は、やっぱり理不尽だとは感じているけれど、どこかで納得はしている。
だからマルガリータの為に、ディアンの立場をこれ以上悪くする必要はない。
「マルガリータが良くても、俺が嫌だ」
「貴方が、こんな人たちのために手を汚す必要なんてないわ。ディアンは優しいから、私の代わりに怒ってくれるのだろうけど……私はこれ以上、彼らに関わり合いたくないの」
それに何より、母親が違っていても、ディアンとアンバーは兄弟だ。
血の繋がりだけが全てではないと思うけれど、それでも悲劇を避けられるのならば、出来るだけ避けたい。
ディアンがここで、自身の魔力を使ってアンバーを屠ってしまえば、きっとこの先この国のごたごたと、無関係では居られない。
ディアンが正統な第一王子なのだとしたら、王家転覆の首謀者にはならない様に内々に処理されるかもしれない。
けれど、小さい頃から何を言われても我慢し続け、大人しく軟禁生活を甘んじて受け入れてまで手にした、彼の望む穏やかな生活はこの先訪れない。
もう何もかも嫌になって、国ごと滅ぼしてしまいたいと言うのなら、悪役令嬢らしくそして忠実な奴隷らしく、協力するのはやぶさかではないし、止めたりもしない。
けれど、今ディアンが使おうとしている力に、その意思は一ミリも感じられなかった。
(出来るなら、誰からも悪意の向けられることのないあの優しい屋敷で、ゆっくりと暮らすディアンの傍に、奴隷としてで良いから置いて貰えたら。それで私はこの先、楽しく暮らしていけるんだから)
「お願い。私の為にと思ってくれているのなら尚更、その力を収めて」
「マルガリータ……君は優しすぎる。けどわかった、今回は……、っ!」
ディアンが悔しそうに、けれどどこか優しい表情で頷き、魔力を収めようとしてくれたその瞬間。
憎しみに顔を歪めたアンバーの剣が、彼ごとディアンへと真っ直ぐに向かってくるのを目の端に捉えた。
「ディアン!」
思わずマルガリータは、自分の身を盾にする様に、ディアンの前に立ち塞がって――――。
そしてその脇腹を、アンバーの剣が貫いた。
「マルガリータ!」
じわじわと、お腹の辺りが熱くなり痛みを感じ始めるより早く、マルガリータはディアンに抱きしめられながら、その身を赤に染めて崩れ落ちていた。
「ディ、ア……ン、怪我は……ない?」
「マルガリータのおかげで、どこも。何故俺なんかを、庇ったりしたんだ!」
「だって貴方は、私の……大切な……旦那様、だも……の」
マルガリータの言葉に、ディアンは目を見開いて息を飲む。
そして、もう痛いのか熱いのかもわからなくなったその場所に手を当てて、マルガリータに向けて一気に魔力を注ぎ込んできた。
異物が身体を這い回る感覚が、襲ってくる。
回復魔法と呼ばれる存在は、この世界では失われた技術とされているものの一つだ。
真奈美の良く知る、RPGなどで気軽に体力を回復する魔法とは違い、この世界では、治療する方には多大な魔力が必要になり、かつ治療を受ける方との魔力の相性が良くなければ、効果を発しない。
『君ダン』の誰かのルートで、そんな説明を聞いた気がするが、上手く思い出せない。
呑気にゲームの記憶を辿っていられる状態ではないから、当たり前なのだけれど。
それでも多分、今ディアンがマルガリータにしてくれようとしているのは、それなのではないかと思った。
自分のものではない、未知の力が入り込んでくる感覚は気持ちが悪いけれど、そこにマルガリータを助けようとする温かさが、確かにあったから。
「ちょっと苦しいかもしれないが、我慢してくれ」
「くっ……あっ、ん……っ」
怪我をしているマルガリータよりも、ずっと苦しそうな顔でディアンが祈るようにそう言うから、マルガリータは思わず頭上にあるその頬に、重たい手を伸ばした。
(大丈夫。ディアンが私を傷付けたりしない事は、わかっているから)
そう言って笑ってあげたいのに、口が上手く動かなくて言葉にならない。
やがて注ぎ込まれたディアンの魔力のせいなのか、それとも刺された怪我のせいなのか、その両方なのか、マルガリータはこれ以上意識を保っていられなくなって、くたりと身体から力が抜けていく。
重たい重力に逆らうように、やっと持ち上げてディアンの頬に触れた手も、力なく落ちた。
傷口を塞ぐことを優先してくれたのか、感覚が麻痺してしまったのでなければ、もう脇腹に痛みは感じなかったけれど、今度は何故か胸元の辺りがやけに熱い。
そこは黒仮面の男、つまり恐らくディアン本人に出会った時に付けられた奴隷紋がある辺りだったから、ディアンの魔力に反応したのかもしれない。
熱さに顔をしかめながら、意識を手放すその前に見たのは、ディアンから放たれた魔力によって、血に染まった剣を握りしめて呆然と立ち尽くしていたアンバーが、一瞬にして遠くに吹き飛ばされて行く様子と、今にも泣きそうなディアンの顔。
「マルガリータ……マリー!」
途切れていく意識の端で聞こえた呼び声は、遠い昔マルガリータの事をそう呼んで笑いかけてくれた誰かを思い出した気がして、なぜだかとても懐かしい。
こんな状況だというのに、少しだけ安心して口元が綻ぶ。
「マリーに何かあったら、俺はお前を絶対に許さない」
アンバーを吹き飛ばした先へディアンが投げつけた言葉は、まるで呪いのようい冷たく、それでいて絶望の色を含んでいて、聞いているマルガリータの方が泣きそうになる。
(大丈夫よって、言わなくちゃ……)
ディアンを置いて、何処へも行ったりしない。
そう慰めて、その沸き立つ殺気をちゃんと止めてあげなくちゃ。
そう思うのに、マルガリータの身体はそれ以上言うことを聞かず、一度閉じられた瞳を開く事は出来なかった。
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